5/25/2011

FTLD

 MKSAPによれば、FTD(frontotemporal dementia)は現在ではFTLD(frontotemporal lobar degeneration)という疾患群の一部と考えられているらしい。他にはprogressive nonfluent aphasia、semantic dementiaなどが含まれる。前者は失語、後者はanomiaを特徴とするが、いずれも進行はゆっくりである。
 さらにFTLDは、他のmotoneuron diseaseを合併することがあるという。たとえばFTDの10%、それにprogressive non-fluent aphasiaの一部の患者はALSによる下位運動ニューロン変性を伴う。Primary lateral sclerosisも、運動野のある前頭葉後部が侵されるという点でFTLDスペクトラムの一部と考えられている。

trigeminal autonomic cephalalgia

 頭痛のひとつcluster headacheは、いまやtrigeminal autonomic cephalalgiaというカテゴリーに分類されていることを知った。これらはみな重度の片側性頭痛で、脳神経症状(流涙、鼻閉、眼の充血など)を伴うが、頭痛の持続時間と頻度により三つに分類されるという。MKSAPなど基本だと馬鹿にしていたが、このように知らないことも実は結構あるので、勉強して「これぐらいは常識でしょう」と早く言えるようにならなければ。
 Cluster headacheは持続が長く(1時間前後)、頻度は少ない(1-3/日)。治療には100%酸素や皮下注トリプタン、予防にはverapamilが有効だ。それに対しparoxysmal hemicraniaは持続15分前後で、頻度は10/日前後。予防にはindomethacinが有効。SUNCT syndrome(Short-lasting Unilateral Neuralgiform headache attacks with Conjunctival injection and Tearing)は、持続は短い(60秒前後)が頻回だ(30-200/日)。予防にはLamotrigine(ただしエビデンスは乏しい)。

5/19/2011

Yale All-Star

 今週はRheumatologyのロテーションをしているが、ここの先生が一緒にいて非常に刺激になる。観察能力、診察能力、そして知識がどれも「ふつうの凄さ」ではなく「かなりの凄さ」だ。聞けばYaleのRheumatology fellowship出身でベストフェロー“Yale All-Star”にも選ばれたという。ただ者ではない。

 今日はjevenile rheumatoid arthritis(JRA)と診断された女性がセカンドオピニオンでやってきた。私が先に問診したが症状がどうにもJRAらしくない。胸骨上部の圧痛は触知したが、他には目ぼしい所見もなく診察を終えた。

 ところがその先生は、胸骨の圧痛と訊いてすぐさまjuvenile spondyloarthritisっぽいと感じ、その後頸椎の可動域制限と首を曲げたときのcracking(パキパキという音)、脊柱の若干の堅さを示した。さらに他の情報も合わせ、臨床的にほぼ確定診断した。sterno-manubrium joint(胸骨頸部と体部の間)はjuvenile spondyloarthritisの好発部位らしい。さらに爪に注目すると水平なridgesが多数見られ、皮疹はないけれどもseronegative spondyloarthropathyの中でも多い乾癬関節炎の可能性が高まった。

 別の患者さんは、Hashimoto甲状腺炎の既往がありANA(自己抗体)高値で紹介されてきた。目ぼしい症状や所見もない。しかし先生は、患者さんの手指の微妙な異常に気づき、眼底鏡を最高倍率にして爪の甘皮を観察し始めた。すると毛細血管の怒張や結節などが見られるではないか。

 この先生は技能だけでなく、患者さんとの接し方もすごい。理路整然と説明するだけでなく、目線が物凄くcaringなのだ。といっても全くベタベタしていない。寧ろドライだ。でも透徹した理性の光が全てを明らかにし、節々の痛みに苦しむ患者さんを涙させてしまうのだ。

 さらにこの先生、臨床だけでなく治験にも積極的に関与しており、ことにSLEの治療薬としては50数年振りFDAに認可されたBenlysta®(一般名belimumab、B lymphocyte-stimulator inhibitor)の臨床応用にも貢献したらしい。久々に優れた先生と出会って、日頃のナアナアな診療で曇っていた目が晴れた。



イエール大学の校章
(Wikipediaより)


5/07/2011

他者の可能性

 Toastmasters clubでまたTable Topic Masterをした。今回は子供の日に因み、「~の日」について即興で話してもらうことにした。前回は自分の経験について話す訓練だったが、今回はcreative thinkingの訓練というわけ。このテーマはちょっと難しいから、皆スピーチが上手くいかず盛り上がらないかもしれないと直前まで心配だったが、結果的には大成功だった。 

 これにより、私は他者が無限の可能性を持つことを学んだ。自分に分からないことは他者にも分からないなどと思い上がってはいけない。「コンピュータの日」について話した人は、コンピュータ嫌いな人にコンピュータの利点や魅力を教える日だと語った。「机の日」について話した人は、今日がそうだと切り出し、机に手を置いていかに机が文明生活に貢献しているかを感謝する日だと言った。

  ある程度相手を知らないと会話にならないが、想定内の質問でコミュニケーションをしていては理解が広がらない。たとえば今の職場にいると、面白いように「どこのロテーションか」「フェローシップの準備はできているか」という質問しか来ない。つまらないから最近は「今度、5km走るんだよ」とか「ダースベーダーとジェダイについて考えたよ」とか突拍子なく教えてあげることにしている。

ジェダイ

 ふとジェダイについて考えた。現在の医療があまりにも標準化され、あたかも診療のアート亡きが如くなのを見かねてのことだ。レジデンシーを卒業して開業でもすれば、保険会社、役所、第三者機関などによる絶え間ない査定・評価・規律・規制に縛られていくらしい。

 私は、医師とはジェダイ騎士のようにジェダイマスターからフォースの使い方と行動規範・倫理観を習い、それを後進に伝えていくものかと思っていた。しかし実際には、ダースベイダーが支配する銀河帝国の一兵卒にすぎないのかも知れない。それが堪らなく哀しい。

 標準化医療は必要だ。「人は間違いをする」というテーゼは否定できない。しかし結局標準化とはどんな阿呆でも間違えないようなセイフティーネットだ。行き過ぎると、「お前たち医者は何も知らず、放っておくと勝手なことばかりし、ミスをし、嘘をつき、怠ける」と言われているようで、非常に不快だ。

 医療の質の確保というのは「最低限の」質の確保であり、ベストの診療とはその遥か上にあるのだと私は信じる。性悪説を唱えた荀子は、性悪を改めるのに礼(外的な規範)を奨励し、法治主義の元となった。しかし、彼はそれのみならず、善を学び続ける継続的な努力も勧めているではないか。