FACE programの第二回はプレゼンテーションについてで、hook(つかみ)の話に終始した。というのも、レクチャは(日本でもそうかもしれないが)もはや過去の遺物くらいに思われていて、まず最初に聞く人の関心や注意を引かなければ、聞いてもらえず、まして理解もしてもらえないというわけなのだ。私はレクチャは効果的な学びの機会と思っているので意外だった。
レクチャは、ただ聞いたのではだめだが(かくいう私もつまらないと良く寝ることで有名だ…)、その場でメモを取り、分からないことは質問するか自分で調べ、忘れないように別の場所にまとめて整理して書き残し、さらに他の人に説明まですれば、かなり有益と思う。問題は、どうしたら聞き手がそこまで真剣に聞いてくれるかだ。
それには、レクチャする人がレクチャ内容をよく知っているのみならず、それを分かりやすく説明することができ、さらに聞き手がどれだけ理解したかを大事にしていることが必要だ。Sir William Oslerは言う、"The successful teacher is no longer on a height, pumping knowledge at high pressure into passive receptacles... he is a senior student anxious to help his juniors."(BMJ 2003 326 437より)。これだ!
人と外国語と音楽が好きで、世界に通用する実力と癒やしをもったお医者さんを目指しています。国内外いろんなところでいろんな経験をしてきて、逆境も多かったけど、そのぶん得られたしなやかな強さと優しさをもって、周りの世界を少しだけ幸せにできたらなと思っています。
10/19/2012
10/18/2012
Curriculum development
Teaching Portfolioに記入すべき業績の一つに、Curriculum Developmentがある。これは、何を教えたいのか、なぜ教えたいのか、どのように教えるのか、学習成果をどう評価のか、などをすべてきちんと具体的な形で示し実行することだ。だから、企画書を書くのが始まりだ。
そこには、問題提起としてのBackground(○○の知識や技能は必要だが、その教育は不十分だ)、理想としてのGoal(おおきな教育目標)、具体的なobjective(このコース・プログラムを終えた学習者は具体的に以下のことができるようになる)、より具体的なFormat(プログラム内容)、それに評価方法(feedback)を書く。
それを腎臓内科なり総合内科なりのスタッフ達の前で発表し、「どうして必要なの?」「その方法じゃなければならないの?」という批判を全て言い返さなければならない。そのうえで、彼らの意見も参考にプログラムを改善し、パイロットプロジェクトを立ち上げ、その成果次第でさらに広くimplementする。
正直今までの自分には無縁の世界だ。まるで企業家のようだ。唯一近いものがあるとすれば、Toastmasters ClubのCompetent Manual、それにPersuasive Speech Manualだ。幸い、腎臓内科のスタッフでその道のプロがいるので、彼と一緒にプロジェクトを立ち上げることにした。何についてでも、どこででも、人を説得してプロジェクトを立ちあげられるようになりたい。
10/05/2012
Teaching Portfolio
FACE Program(Fellows As Clinician Educators)が始まった。2001年に総合内科で小さく始まったのが、2003年には全専門内科に受講資格を拡大し、これまでに100人近いフェロー(チーフレジデントも含む)が課程を修了している(J Grad Med Educ 2011 3 302)。第一課は、Self-AssessmentとTeaching Portfolio(TP)についてだった。
Self-Assessmentでは、誰を対象に、どんな設定での教育を考えているのか、それらについて自分の強みと改善すべきところを書きだした。学習者が正答にたどりつくまで我慢強く導く、聴衆の注意を維持する、レベルの違う学習者がいても教えられる、教育の方法論など、各々がいろんな改善点を口にした。
そして、TPを作ることになった。ポートフォリオ自体は、日本でも研修医教育に取り入れられいる。「自分を見つめて、長所を伸ばし短所を改善する」というのは同じだが、TPの目的は一に仕事を得ること、二に昇進することだ。面接で"Are you a good teacher?"と問われれば誰もイエスと答える。TPは、さらに"How would I know?"と問われたときに用意しておく武器なのだ(Acad Emerg Med 2004 11 307)。
TPがないとどうなるか。教育は研究のようにグラントやpublicationのように客観的に業績を示しにくい。CVでは、回診・講義・スモールグループ学習に割かれた時間を記載するのが普通だが、これは量は測れても質は測れない。それで、大学病院のような場所でEducator Trackのポジションを維持するのはClinician Track、Physician Scientistと比べて困難だった。
TPには、教育の哲学、カリキュラム作成、教育スキル、学習者の評価能力、学習者へのアドバイス能力、学会発表/論文発表、研修委員会など組織への加入、教育者としての生涯教育、教育者としての賞、将来の野望などが含まれる。内容を研ぎ澄まし、「ほうこれは」と思わせること満載にしてA4に5-6枚に収めることが目標だ。
というわけで、私の教育哲学を明らかにするべく、いくつもの質問に答え、自分のこれまでの教育経験を振り返り、ローテーションやレクチャに対する評価を読み直している。ただ「教えるのが好き」では、甘い(仕事は来ない)。最初にこれをやらないと、何が自分に必要で、何を努力すればいいのかも見えてこない。じっくりやってみよう。
10/02/2012
Memorial service
昨月亡くなったボスのmemorial serviceに出席した時のことを思い出した。最初に牧師さんが聖書の文脈で死の意味、残された者の悲しみと希望などにつき説明した。念仏と違って日常的な言葉で説明されるので理解できる。ある意味accountableだ。そして、驚いたことに冗談も言う。
次に、弟のひとりがスピーチをした。これまた、小さいころから医学部に行くくらいまでの思い出を中心に、楽しいムードだった。彼は学生の頃に牛乳配達のアルバイトをしたことがあった。そういえば、生前に彼が私のクルマを見て、牛乳配達のクルマみたいだな、と言ったのを思い出した。
そのあと娘がスピーチをして、これはさすがに涙であったが、それでもこんなくだりもあった。彼女が小さかった頃に「お父さんは何を研究しているの?」とボスの同僚に聞いて「彼の研究内容を理解できる人は世界に三人しかいないんだ」と言われた。それに続けて彼女は「ここにいる(腎臓内科の)皆さんは、(自分が)がその三人だと思ったでしょう」と。会場は笑いに包まれる。
彼はレジデントを終えてすぐに、遠位尿細管のNCC(Na-Cl cotransporter)の存在を予言する論文をsingle authorでJCIに投稿するなど超越した研究者であったし、うちの腎臓内科と内科を臨床・教育も含め長年リードしてきた人なので、歴代の(いまは引退・移籍した)スタッフも駆け付けた。近所の人達もいた。
さらに、FOE(Fraternal Order of Eagles)という博愛NPO財団のメンバーも来ていた。ボスは、糖尿病腎症の研究を可能にするためにこの財団の寄付を訴え、それいらい数十年にわたりこの財団と堅い結束で結ばれてきたのだ。彼らは、FOEのトレードマークであるオレンジのブレザーを着て、FOE専属の牧師を連れてきて、独自の儀式をした。
ここでもまた、ボスがICUで一言「これが糖尿病の結果だ」と強い調子で言ったのを思い出した。心疾患、脳梗塞、腎臓病、足壊死、敗血症、たしかに患者さん達がICUにいるのは、ほとんどが糖尿病の悲しいconsequenceによるものだった。FOEとのつながりの話を聞いて、彼の信念の強さがより分かった。
明るいムードであったのは、彼が天国に行ったからだろうか。キリスト教には死は愛で乗り越えるという言葉もあるし、よく英語では"He is in a better place"とも言う。そのことと、人のことを思い出すのは業績や肩書ではなく、(牛乳配達みたいな)小さなことなのかもしれない、という二つを感じた機会だった。
次に、弟のひとりがスピーチをした。これまた、小さいころから医学部に行くくらいまでの思い出を中心に、楽しいムードだった。彼は学生の頃に牛乳配達のアルバイトをしたことがあった。そういえば、生前に彼が私のクルマを見て、牛乳配達のクルマみたいだな、と言ったのを思い出した。
そのあと娘がスピーチをして、これはさすがに涙であったが、それでもこんなくだりもあった。彼女が小さかった頃に「お父さんは何を研究しているの?」とボスの同僚に聞いて「彼の研究内容を理解できる人は世界に三人しかいないんだ」と言われた。それに続けて彼女は「ここにいる(腎臓内科の)皆さんは、(自分が)がその三人だと思ったでしょう」と。会場は笑いに包まれる。
彼はレジデントを終えてすぐに、遠位尿細管のNCC(Na-Cl cotransporter)の存在を予言する論文をsingle authorでJCIに投稿するなど超越した研究者であったし、うちの腎臓内科と内科を臨床・教育も含め長年リードしてきた人なので、歴代の(いまは引退・移籍した)スタッフも駆け付けた。近所の人達もいた。
さらに、FOE(Fraternal Order of Eagles)という博愛NPO財団のメンバーも来ていた。ボスは、糖尿病腎症の研究を可能にするためにこの財団の寄付を訴え、それいらい数十年にわたりこの財団と堅い結束で結ばれてきたのだ。彼らは、FOEのトレードマークであるオレンジのブレザーを着て、FOE専属の牧師を連れてきて、独自の儀式をした。
ここでもまた、ボスがICUで一言「これが糖尿病の結果だ」と強い調子で言ったのを思い出した。心疾患、脳梗塞、腎臓病、足壊死、敗血症、たしかに患者さん達がICUにいるのは、ほとんどが糖尿病の悲しいconsequenceによるものだった。FOEとのつながりの話を聞いて、彼の信念の強さがより分かった。
明るいムードであったのは、彼が天国に行ったからだろうか。キリスト教には死は愛で乗り越えるという言葉もあるし、よく英語では"He is in a better place"とも言う。そのことと、人のことを思い出すのは業績や肩書ではなく、(牛乳配達みたいな)小さなことなのかもしれない、という二つを感じた機会だった。
登録:
投稿 (Atom)