逆に言えば人生は自分が決めるし、決めたことを変えるのも自由だ。フランクルはこういっているそうだ、環境や教育、また素質ではなく自分が自分を決める。人間であるということは、このあり方しかできない、他のあり方ができないということでは決してなく、人間であるということは、いつでも他のやり方ができることなのである、と。
だから「AだからBできない」という理由探しは止めにして、やらなければならないことは腹をくくってやらなければならない。失敗するはずがないという楽天主義ではなく、現実を見据えて一生懸命もがく楽観主義で。二匹の蛙がミルク壺に落ちて、片方は悲観して溺れてもう片方は一生懸命もがくうちミルクがチーズに固まり壺から出られたという寓話もある。
アリストテレスによれば素材因、作用因、形相因、目的因があって物事が行われるという。彫刻にたとえれば大理石(素材因)、彫刻家(作用因)、題材・イメージ(形相因)、作ろうという意志(目的因)。新しい職場、自分の能力、仕事の内容の三つだけが揃っても、やろうという目的意志がなければ何事も成し遂げられない。
しかし一人でできることには限界があり、社会生活には周囲の助けが必要だ。そのためには黙っていては駄目で、他の人に言葉で依頼しなければならない。ただ相手の助けを期待したり当然視してはいけない。他の人はあなたの期待に応えるために生きているわけでもないからだ(逆もまた然り)。しかし善意があれば助けてくれるだろう。
10人いたら、一人くらいは何をしても自分のことを良く思わない人はいる。だが二人くらいは何をしても受け入れてくれる。残りは状況による。自分のことを良く思わない人や、自分を型にはめようとする人に心煩わせることはない。自分を受け入れてくれる人を向いて、自由に生きることだ。自分をよく思わない人がいるというのは自由に生きる代償だ。
自由に生きれば(自由に生きなくても)失敗することもある。自由に生きて失敗すれば自分の責任だが、自由に生きなくて失敗したときに「俺のせいじゃない」と責任転嫁することもできない。結局選んだのは自分なのだから。しかし、失敗は起こると思っておいたほうがよいし、それで自分の価値が下がるわけでもないし、人の評価を気にする必要もない。
自分のやりたいように生きることを周囲が諸手を挙げて賛成してくれると言うことは稀だと思ったほうがいい。抵抗があるから自由に生きられる。鳩は真空を飛んでいるのではなく、空気という抵抗があるから、それにあらがい支えられて飛ぶことができるのだ。などということを岸見一郎著『アドラー心理学入門』(ベスト新書)で読んだ。