アメリカの医学教育の歴史を書いた本"Time to Heal: American Medical Education from the Turn of the Century to the Era of Managed Care"(2005年)の緒言と序章と目次を訳していたことを思い出した。興味がある人もいるかもしれないから、ここにシェアしよう。まず、緒言。
本書は二つの課題を念頭に書かれた。一つ目は20世紀の初めから現在にいたるまでの医学教育の歴史を包括的に解釈して提供すること。二つ目は現在の「マネジドケア」時代において市場原理が医師たちの学習や診療にもたらした変化を読者に警告することだった。だから、話はより大きな診療の枠組み、それに現在患者、医療者、一般大衆のあいだにあるアメリカ医療に対する多くの不安に関係している。
以前に医学教育についての本「Learning to Heal:アメリカ医学教育の発達(1985年、Basic Books)」を書いた経験なくして本書を概念化することは不可能だったろう。以前の本では南北戦争から第一次世界大戦にかけてわが国の医学教育のシステムが作られる様子を調べた。この意味で、本書のための作業は1976年に始まった。しかし、新しい本を書く必要が私に明らかになったのはマネジドケアが急速に広まった1980年代後半であった。多くの医学部と教育病院はもはや教育と研究のプログラムを十分に支えらるだけの診療収入を得ていなかった。それより分かりにくいがしかし重要なことに、医学生と研修医の学習環境は浸食され、診療におけるプロフェッショナルな価値がないがしろにされていた。これらのジレンマの起源は1980年代以前にさかのぼり、単に敵対的な市場原理で説明することはできなかった。むしろ、これらの一部は20世紀後半のアカデミックな医療界それ自身のなかでの行動(あるいは行動を起こさなかったこと)から起こっていた。本書はこれらの出来事の理解を助けるために書かれた。
本書にとって最も重要な情報源は、医学部、病院、大学スタッフ、経営陣、学生、それに様々な私的公的機関からの非公開記録だった。これらにより得られた豊富で詳細な情報は、他の方法では入手不可能だった。研究の間に、私は代表的なサンプルとして全国にあるアカデミックな医療センターの約1/4を訪れた。もし特定の医療機関が他より多くテキストに出てきたとしたら、それはたいてい彼らの資料が他より豊富だったからだ。一般的に、記録の容量は1965年以降に特に多くなった。それは同時代の歴史を研究するときの困難な問題の一つをよく現している(たとえば、1932年から1956年までの米国医学部連盟執行行議会の議事録と議題は収納ボックス一箱に収まった。1957年から1991年までには42箱必要だった)。本書の注釈は関心ある読者のために意図的に長い。しかし、本書は参考文献にいちいち戻らなくても読めるし、誰もそれらに注意をそらされる必要はない。
このプロジェクトの初期の段階で早くも明らかになったのは、アメリカにおける医学教育の進化を十分に理解するには、それを幅広い社会的、文化的な文脈に置かなければならないということだった。だから、私は社会史、文化史、教育史、医療社会学について幅広く読んだ。注釈は私が本書を書く助けになった二次的な文献を読む際のガイドになっている。医学部と教育病院の歴史が実は20世紀のあいだアメリカ社会全体を変化させていったさまざまな社会的、文化的、政治的な力のプリズムであると分かったが、それは私のこの課題についての関心を減らすことはなかった。
本書は、各章や節が前後に何が書かれているか知らなくても個々で読めるように作られた。しかし、各章は密に関連しあっており、読者が全体を通して読んで単なる各部分の総和以上のものを得られれば幸いである。正確さを保証するためにはあらゆる手段を講じた。現在の医療環境は矢継ぎ早に変わるので、17章と18章で議論された内容の細部などは出版までの間に古くなっていないほうが驚きである。おそらく医学部や教育病院が新たに合併したり、以前に発表された合併が解消されたりしているだろう。しかし、そのような表層的な現象は、変化させる力、アメリカの医学教育が21世紀を前に直面する試練と機会、あるいは私たちが社会全体として未来の医療システムについてしなければならない選択の性質を変えることはないだろう。だから、読者は、最後の二章に書かれた分析を、たとえ近未来に状況が少し違って見えたとしても際立って重要と思えるはずだ。
本書が米国の医学教育と医療がどう進展すべきかについて異なる意見をもった読者いずれに役立つように、私は全編を通じて客観的でバランスを取るように努めた。本書を読むことによって未来を予測しようと思っている読者はがっかりするだろう。過去の出来事は起こるべくして予言されたとおりに起こったわけではないし、未来も同様だ。しかし、過去は現在の米国医療に強く影響している。だから、この歴史の分析が現在私たちが直面するジレンマに光をあて、私たちの医療システムの未来をどうするか決断するときにガイドとなればよいと私は望んでいる。
本書のタイトルは二重の意味を持っている。本書の全体にわたるテーマはよき医療のあらゆる側面に時間が重要だということだ。治すのを学ぶにも、治し方を教えるにも、癒しの技術を行うにも、新しい治療を発見するにも十分な時間が必要だ。マネジドケア時代の現在、これらの活動をする時間は削られており、おそらくそれが現時点で米国医療におきているもっとも憂慮すべき変化かもしれない。それに加えて、医療界も一般の人々も最近の医学教育と医療について深い不安を感じているけれど、これらのジレンマがどのように生まれたかを歴史的に理解することにより難題解決の方法を示すことができる。だから、今こそ医学教育と医療の病んだシステムをそれらがまだ質が高く、そして救済できるうちに直し始めるためにこの知識を使う時なのだ。