3/27/2011

Capnocytophaga

 最近は仕事が本当になくて、これからの数カ月はボケないように頭と勘を鍛えておかなければならない。そんなわけで私は日中よくICUに行って、興味深い症例を探すことにしている。この間は、Cryoglobulinemia(polyclonal)に伴う膜性増殖性糸球体腎炎の症例と、Capnocytophaga canimorsusによる脾摘後の重度敗血症の症例が勉強になった。
 それにしてもCapnocytophagaのプレゼンテーションには何とも言えない恐ろしさがあった。普通のseptic shockではないのだ。DIC(血液凝固の制御がきかなくなる重症の病気)と、おそらくそれに伴う末端の黒い壊死。意識はないし人工呼吸器につながっているが、バイタルサインは保たれていた。
 脾摘後と犬咬傷でこの病原体を考えろとはそれこそMKSAPにも載っているが、実際にこの症例でその病歴を聞きだした診療チームが偉い。結局培養は何も生えないかもしれないが、その病歴があれば臨床診断としてまず間違いないからだ。治療は、感染症科コンサルタントが嫌気性菌カバーでUnasynを始めていた。
 どちらも透析導入されていた。もっとも「原疾患の改善なくして予後改善もなかろう」というfutileさも感じるが。この症例では、意識障害が尿毒症によるものかどうかを判断するために透析を回していた。数日後に意識状態を再評価したうえで、家族と治療方針を決めると聞いた。

3/22/2011

試験対策

 MKSAPの腎臓内科の問題を解き終わった。本文を読み終わるのには数日掛かるが。次は血液腫瘍内科にする。試験は8月で、6月末は引っ越しだし7月はフェローシップが始まるから、今のうちに対策を始めているのは正解と思う。MKSAPが終わったら復習しつつもうひとつの問題集を解く予定だ。

3/19/2011

Cosmopolitan

 インドの多様性を物語るエピソードがあった。ある日、インドの友人に「お前の名前は何語だ」と聞いてみた。というのもインドは州によって(州の中でさえ)言語が違うからだ。そうしたら、「いやこれはcosmopolitanな名前だよ」という答え。インド全土で使われている、ということをコスモポリタンと表現するとは流石だ。

総力をあげて

 檄文を、今度はもっと幅広い対象に届けるため書き直した。そして、恩師の先生の勧めで別の病院に勤める米国で育った日本人の先生にもco-authorになってもらうようにお願いした。彼女の手によって、ぐっと訴えかける文章になり、どこにどう寄付するかもより分かりやすくなった。ここまで24時間以内で出来た自分たちを褒めたい。
 それを、私の病院のhealth system(医療法人のような)、他に二つのhealth systemに配った。他のhealth systemは、それぞれ今の病院でお世話になった先生方がchief medical officerをしているので彼らに直接電話して支援を取り付けた。ここまで48時間以内にできた。一刻も早く送りたいというはやる気持ちがあった。
 さらにco-authorのsystemでも満を持して送るべく、日本と関わりのある諸先生方も協力して動いている。船頭が多くなってプロセスはやや遅いが、与える影響の規模がものすごく大きいので万全を期すのは仕方ないと思う。なにせ50,000人の被雇用者と20の病院を抱える米国最大規模の医療グループなのだから。
 私たちがインターネットでの寄付を呼び掛けているのに対し、恩師の先生は高校生の長男と近所をまわって小切手を書いてもらうなどの活動を並行している。地域の開業医、教会などにも声をかけると言う。さらに準備ができ次第、地元のメディアにも人脈を使って報道してもらうよう呼び掛けるつもりだ。数十万人の規模で呼びかけが行われている。
 今日、うちの病院のCEOに感謝の電話をしたら秘書さんが出て、"Thank you for helping us help people in Japan"と言われた。助けたいと思っている人たちに、切っ掛けを与え、どう行動すればよいか教えてくれてありがとうということ。自分の行動に、そういう意義があったんだなと認識した。ヒロイックになろうというのではない。結果的に自己実現の手段になったなと思っているだけだ。

3/16/2011

檄文

 自分に何ができるか考えていた。災害の現実と現地のニーズ、支援の状況を出来る限り学んだ。そして、考えた末に魂を込めて寄付を呼び掛ける文面を書いた。これは檄文だ。自分が震源となって、周囲の人々を動かさなければならない。そして善意の津波が大平洋を逆向きに走り東北関東地方に届くのだ。自分のしていることに迷いはなかった。
 数百人の人々にメールを送るのには勇気がいったが、今必要なのは気持ちも大事だが何より行動だと自分に言い聞かせた。とりあえず顔の見える一般内科・救急・循環器・呼吸器・消化器・腎臓・腫瘍血液・神経内科・Hospitalist・ケースマネージャの人達に送った。清水の舞台から飛び降りるというが、それはもう矢のように送った。
 ものすごい反応だった。メールを貰った人がさらに転送してくれた。おおくの人々が賛同して寄付してくれた。電話オペレータのおばちゃんも寄付してくれた。子供まで小学校でfund raisingを始めてくれた。アメリカのすごさと思った。アメリカは「自分が心から信じたことを、迷わず行うことだ」と教えてくれた。私は米国赤十字が日本赤十字とのパイプがあってより直接必要な所に届くと思った。他の団体に寄付した人もいた。
 米国赤十字は今日、日本赤十字にひとまず1000万ドルと65000枚の毛布を送った。一人ひとりの力が合わされば、大きなことができる。さらに私は、恩師の先生が居る別の病院にも呼び掛けるつもりだ。また今週はToastmaster clubのミーティングでも聴衆にスピーチで援助を求めて訴えかける。自分の心と自分の言葉を信じて、できることをする。
 檄文の大意は以下の通り(英文は下記)。甚大な被害のを知るにつけ、遠くから胸が張り裂けそうだ。しかし勇気を出して行動を起こさなければならない。私は米国赤十字に寄付することにした。これで水や食糧などの生存に必要な物資が届き命が助かる。寒さと恐怖に震える人々を勇気づけられる。そして、被災地のど真ん中で必死に戦う私の友達を援助できる。皆が力を合わせれば、乗り越えられない危機などないと信じている。日本のために、どうか手を貸してほしい。
 
Dear all,

I would like to call your attention to the situation in Japan, because this email will be the first urgent message I have sent to you during my residency. As you know, last Friday, my country was struck by the historical earthquake and swept by a monstrous tsunami. I am writing this email to ask you for donations and help (perhaps to the American Red Cross) to save lives there.

The damage by this disaster is tremendous. The quake broke most of the infrastructure, triggered fire, and caused severe damage to buildings. My friends were almost killed when their hospitals collapsed. Tsunami crushed tens of thousands of houses. Nuclear reactors are in peril, posing invisible threats of radiation to the surrounding area. Confirmed casualties are over 2,000 and at least 7,000 people are missing. These stunning numbers will only go up. It will take months or even years to recover from this catastrophe.

I decided to donate to the American Red Cross to help. They are a reliable organization, working in cooperation with the Japanese Red Cross. Japanese Red Cross is the leading rescue/relief organization in Japan (but they are too busy to set up their own donation website). It makes me feel crazy to think that people are literally being killed even at this moment. But I have to take courage to act and change the situation. Even after this apocalyptic event, there should still be something that I can do.

By donating them, you can provide 3 precious supports.

First of all, you can save lives. Not only you are helping lives at your hospital every day, you will be saving a lot of lives in Japan. There are people who are still standing on rooftops and asking for help. At least 300,000 people are evacuated, and millions are without water or electricity. Not only medical needs, but are there huge needs of basic supply such as water, food, and blankets just to keep them alive.

Second, you can send a clear message that the whole world cares about the people who are in danger. In the face of crisis, people in Japan are still calm and persevering. I admire them but I wonder how much emotional distress they are going through. By donating, you can tell them they are not alone. You can warm not only the body but the heart of people who are trembling under the wreckage in the cold temperature (as low as 30F) and snow.

And lastly, you can help my friends from my teaching hospital in Japan. They are my comrades, connected with as bond not less strong than blood. One doctor from my class is an orthopedist in the area hit by both earthquake and tsunami. He is working tirelessly doing a lot of trauma surgeries with limited resources. Another one (1 year junior to my class) is a nephrologist in Sendai, a devastated metropolis with 1 million people. He is running dialysis day and night because his hospital is the only place where dialysis can be performed in the region. There are a lot more of my friends who are struggling in the wake of disaster. I want to support them in a substantial way.

I appreciate if you could lend your kind hands to save lives in my country, support them including my best friends. What each one can do against this massive damage might be limited, but if we combine our goodwill, I believe there is no obstacle big enough that we cannot overcome. Thank you in advance for your generosity and cooperation, on behalf of Japanese people.

3/13/2011

generic name

 MKSAPのgeneral internal medicineの問題を解き終わった。本文はまだ少し残っているが。Board examでは薬剤がgeneric nameで示されるのに慣れなければ。降圧剤や抗生剤などは問題ないが、抗うつ剤は、職場でbrand nameを使うことが多いのでcitalopramとか言われてもピンとこない。それでここに一覧にしておく。
 CitalopramはCelexa、EsccitalopramはLexapro、FluoxetineはProzac(半減期が長いので授乳中の産後うつ病には禁忌)、ParoxetineはPaxil、SertralineはZoloft、VenlafaxineはEffexor、DuloxetineはCimbalta、MirtazapineはRemeron(食欲増進効果あり)、BupropionはWelbutrin(てんかんの人には禁忌)。

3/07/2011

Critical thinking

 外国生活への適応は3つの段階を経るという。1つ目は"honeymoon phase"、外国の新しい考えや文物どれもが新しく面白く心酔する時期だ。2つ目は"critical phase"、今度は悪い面をみたり不条理な思いをしたりして幻滅する時期。そして3つ目は"integrating phase"、いわゆる酸いも甘いも受け止めて自国と外国の良い面を合わせて二国間の架け橋になる時期だ。
 "80-20 rule"といえば、「(組織などで)80%の仕事は20%の人が行っている」という法則であるが、Toastmastersの月刊誌に"20-80 rule"というのが紹介されていた。これは「アメリカ人は、困った時に20%の時間しか原因究明に費やさず、残りの80%をかけて問題を治そうとアレコレ画策する」というものだ。確かに彼らは「ああでもない、こうでもない」と考えるばかりで先が見えない状態に我慢が効かない。「これをやってみよう、あれをやってみよう」というのが好きだ。
 この記事を読んで、先の3段階を思い出した。日本から来たばかりの頃は、米国のassessmentよりplanを重視する姿勢が新鮮だった。日本のやり方は、何を決断しようとしても「でも…」という批判やデメリットばかりが強調され、慎重かもしれないがポジティブさに欠けると思われた。米国が"20-80"なら、日本は逆に"95-5"、「95%かけて議論するけれど、肝心のどうするかについて話す時間は5%しかない」というわけ。回診も無意味に長く非効率的に感じられた。
 それが、こちらで働くうちに米国流はあまりに浅薄で性急な診療に感じられ「もっと<なぜそうなのか>考えようよ」と強く思った。低カリウム血症で何も考えずにカリウムを補充するなどとはその好例だ。高ナトリウム血症で、胃管からの自由水供給不足が原因と認識せずに、D5Wを静注補液して数字を直したら退院させたという馬鹿げた例もあった(もちろん再入院になって、そこで私が診ることになった)。
 いまでは両方の良いところを合わせて"50-50"、「バランス良くちゃんと原因究明もするし、ちゃんと解決もする」というスタイルが身に着いたと感じる。米国滞在歴の長い人と接すると、彼らがそういう偏らない見方で日本も米国も評価できているのに気づく。私もこれから、批判的な思考能力と両文化の昇華統合を課題にしようと思う。

3/04/2011

Hyderabad

 久々にインド人医師と一緒に働くことになった。彼女はインド南東部Andhra Pradesh州の出身で、いままで私が知りあったインド西部の人達とくらべて違いを感じる。なんというか、謙遜の美徳を身につけていてインドらしくない。
 そもそもインド南東部は17世紀にMughal帝国(スンニ派)のAurangzeb帝に滅ぼされるまでQutb Shahi朝(シーア派)が建つ別の国だったし、言語も土着のTeluguだ。建築技術に優れた民族だったらしく、いまでも州都Hyderabadにはたくさんの壮麗な宮殿・寺院が残っているらしい。
 なおAurangzeb帝は遠征を重ね戦費がかさんだうえ、異教徒に対し厳しい弾圧をおこなったためヒンドゥ教徒の反乱を招き、Maratha confederaryがインド亜大陸の大半を実効支配する(Delhiも陥落)。さらにペルシアの侵攻(Nader Shah)、アフガニスタンの侵攻(Ahmad Shah Durrani)でMughal帝国は有名無実化する。
 それでインドの覇権争いはアフガニスタン(Pashtun人)とMarathaの間で行われ、最大の戦いは1761年のthird battle of Panipatだ。Panipatはデリーの少し北方で、Haryana州にある。しかしこれで双方とも甚大な被害と戦死者をだして弱体化し、結局漁夫の利のように程なくどちらも英国に支配されてしまう。

3/02/2011

outpatient

 今のプログラムでは週一回の継続外来があるが、正直ちゃんとした外来診療を経験する機会はほとんどなかったなと痛感する。入院診療はとにかく経験して、どの分野でも自信を持って診療出来るようになったと言える。しかし外来は、何かを積み上げてきた感じがほとんどしない。今月からMKSAP(内科専門医試験の問題集)のgeneral internal medicine部門を解き始めて、あまりに知らないのに驚き、恥ずかしながらこれで内科研修を終えていいのだろうかと思うほどだ。
 一つには、継続外来とは名ばかりで臨床上の問題を何回かにわたってフォローし改善していくという機会がほとんどない。診たくても患者さんが予約をとってくれなかったり、自分のローテーションの都合で外来が不定期になってしまうことが原因だ。半年や一年に一回やってきて4-5個の訴えを聴き、限られた時間のなかでできるだけ全てについて検査や治療の計画を立てても、結局また半年は来ない。徒労に感じもするし、実際自分の診療計画が正しいのかを検証することもできない。
 それでも移民、低所得、無保険、犯罪歴、精神疾患など処々の事情により良いケアを受けることが難しい人々に最善の医療を提供しようと頑張ってきたし、それにより患者さんが助かった例もたくさんある。だからやってきたことは誇りに思うが、正直入院診療に比べると系統的で総合的な学習をほとんどしていない。今月はMKSAPの総合内科部門を読み知識を補完する。それは内科専門医試験に合格する上でも不可欠なことだ。In-training exam(目的は違うが模試のような試験)でも、私は他の科は全て好成績なのにgeneral internal medicineだけ悪かった。