11/25/2016

Positive Strokes

 電子カルテもいいが、紙カルテにもいいところがあった。たとえば筆跡で誰が書いたかわかった(内容は読めないこともあったが)。それから、何をしてもうまくいかず周囲が敵ばかりに思える時に、「カルテの字がきれい」と言われただけで救われる人がいた。電子カルテになって、さまざまな職種の多くの人がカルテを簡単に読めるようになった。「字がきれいです」と言われることはもうないけれど「わかりやすいです」と言われることはできる。

 人間は周囲から日常に無限のストロークというフィードバックを受けていて、それがポジティブだったりネガティブだったりする繰り返しで自己肯定や自己尊重などが生まれると、交流分析という分野の心理学の本に書いてあった。振り返ると、ポジティブなストローク(下図)ばかり受けて育ったなと思う。運がよかったのかもしれない。いつでもどこでもポジティブなストロークが受けられるとは限らない。だから、自分で自分に、また自分から周囲に、ポジティブなストロークを与える人になりたい。

 そこで自分ですぐできるのが、祈りだと思う。シンプルに、現状において自分がいかに恵まれているかを再認識して感謝する。悩みや目標を言語化して、自力または他力の解決を願う。神様がいてもいなくても、祈り自体に自分を支えてくれる力があると思う。これはまやかしというより、心理学や行動科学でいう自己充足預言(self-fulfilling prophecy)、つまり思考は現実化するということだ。また自分を支えるだけでなく、河原和音『青空エール』にでてくるピグマリオン効果(Rosenthal効果とも;対義語はゴーレム効果)のように相手も支えるかもしれない。




11/23/2016

Hinadan

 Rubber stampとはゴム印のことだが、自らの意見なく(またはあっても言うことが許されないか、言う気がないか、言っても無視されるか、などで)追従する人ないし議会などのことも指す。よく引き合いに出されるのがNPC(National People's Congress、全国人民代表大会;写真はロイター)だ。2987人も代表が集まるのにそれぞれが意見を出し合い議論するわけでもなく、基本的にだまって指導部の方針を追認するさまは、欧米の価値観からかなり奇異に映るようだ。ことなる利権を折衝する場だと考えられている議会ならなおさらだ。

 しかし「会議は発言しない場所」というのは日本においてconventional wisdom(そういうもんだ、という智恵)だ。「日本人のミーティングといえばサイレント、スマイリング、スリーピングの3S」なんて過去の話かと思っていたがそうでもないらしい。それはミーティングが意見を出し合う場ではなくて指導者の方針を追認する場だから。発言が禁止されているわけではないけど、意思決定過程がそうである以上はむやみに発言しても自分も周囲もいいことがない。

 渡米したての2008年には自分の考えがうまく言えず堂々とできず苦労したし、帰国した2013年にはみんなに意見を言わせようと試行錯誤したけれど、日本でふたたび適応しようと思っている2016年には、周囲にあわせて頷いたり笑ったりしながら、必要な時に必要なタイミングで相手が聞いてくれるように発言して貢献する(あとでこっそり耳打ちするとか)などの穏便なやり方をさすがに学んでいる。

 これを私はテレビ番組になぞらえてhinadan(ひな壇)と呼んでいる。ひな壇芸人というのはユニークな概念なのでそのうちkaizenのように英語になるのではないかと思う。ステージに一人で立つのに度胸と場数が必要なように、hinadanするのにも練習が必要だ(難波義行『大勢のなかでも存在感がでる ひな壇芸人のトーク術』という本まで出ている)。日本文化を学び直す意味でもやりがいがあることだ。




11/16/2016

Brewing Question

 アメリカでCCU(循環器のICU)にいた時、指導医がいつもコーヒーを持って教育回診に現れた。この先生は院内感染対策(とくにカテーテル関連の菌血症)で有名な方だったのでなんだか可笑しかったが、たしかにコーヒーに雑菌がいるわけじゃないし、患者さんを診るときには手洗いやジェルを使っていた。日本でだって、長い外来を乗り切るために机にこっそりコーヒーを忍ばせている先生は少なくないと思われる。
 コーヒーといえば、日本の病院で朝食にコーヒーを出すところを聞いたことがない。「朝コーヒーをだす病院」で検索しても、カフェインの害(不眠、頭痛など)を指摘する記事しか出てこない。もし害があるから出さないのなら退院後もコーヒーをふくむカフェイン制限をかけたらいいと思うが、不眠や頭痛誘発がある患者さまのように明確に避けたほうがよい場合を除きそんなアドバイスはしない。
 コーヒー摂取と死亡率に逆相関(飲んだほうが死亡率が低いということ)があると示した疫学研究はたくさんあって、なんどもまとめられている(たとえばJ Nutr 2010 140 1007、これには日本の研究もいくつか含まれている)。死亡率のなかでも、心血管系死亡率に逆相関する結果がおおい。交絡因子がたくさんあるけれど、もしコーヒーを飲む人は心臓に優しく長生きする生活をしているというなら、習慣に取り入れたらいいかもしれない。認知機能や気分によい影響を及ぼすという論文もある(たとえばJ Nutr 2014 144 890)。
 それと別に、利尿作用で脱水になるという懸念がある。たしかに、まったくカフェインを抜いた被験者にコーヒーを数杯摂取させると同量の水摂取にくらべて多く尿が出る。だからコーヒーを飲んでいない人、かつ頻尿で困っているとくにご高齢の方に無理やり飲んでもらうことはない。ただ、コーヒーをのんで尿が出るから摂らないほうがいい、とまではいえないそうだ(coffeeandhealth.orgにまとめてある)。もしカフェインが心配ならカフェイン抜きのもある。
 入院前にコーヒーを飲んでいた患者さんは、退院後またコーヒーを飲む。あるいは好きな人は入院中も、売店や病院内のコーヒーショップ(写真)で挽きたてを買ってこっそり楽しむ。それはそれでいいけれど、食事代は入院費と別に払うのだから「朝食はコーヒーで牛乳はいらない」と言う人が、自分の払った牛乳を捨てて、コーヒーショップで別にお金を払うというのはいかがなものか。
 どうしてコーヒーが出ないのか。パンとコーヒーを朝食にするのは都会の若い人だけで、おおくの患者さんは今でもご飯とお味噌汁だからだろうか。私の印象ではご高齢でも都会でなくても結構な割合でパンとコーヒーを召し上がっている(ある飲料メーカーの調査では日本人の3割が朝にコーヒーと書いてあるがそれより多い)。
 コーヒーは淹れるのが大変なんだろうか。たしかに何百人分のコーヒーを朝つくるのは大変そうだし、新しくコーヒー設備を給食設備にいれる投資に見合った利益が回収できないのかもしれない。コーヒーは冷めると風味が落ちるので病棟のすみずみに運ぶのが難しそうだ。
 あるいは、技術的にもコスト的にも可能で医学的に問題がないけれど、言い立てるほどのことでもないし好きなら自分で買って飲むから、誰も言い出さないのかもしれない。それでもときどき「朝のたのしみだから缶コーヒーを飲もうとしたら病棟に止められた」、「いつも朝はパンとコーヒーなんですけど、病院ではごはんとほうじ茶じゃないといけないんですか?」などの声を耳にすると何とかならないかなと思う。




 

11/15/2016

Bon Appetit

 Omakaseという言葉は英語になっている(Sushiレストランでみかける)。基本的になんでも自分で選ぶのがアメリカで、病院でも食事は患者さんが自分で栄養科に電話して注文できるようになっている。カロリー、アレルギー、飲み込みやすさなどを医師が指定した条件のなかではあるが。いろんな文化の人たちが集まっていて食べられるものと食べられないものが違うせいもある。なおインドの病院では食事は患者さんの家族が作ってくると聞く。
 日本の病院の食事にもいろんなチョイスがある。主食だけで常食、軟飯、おにぎり、全粥、パン、うどん、そうめんくらいは選べるところが多いだろう。おにぎりは海苔なし、麺は刻まない、お粥はかため、パンは耳なしまで指定できる。さらに副食も、いろんなものをつけられる。たとえば:

生果物
お茶ゼリー
フルーツ缶詰
ねり梅
海苔佃
たいみそ
ふりかけ
梅干し
ようかん
ヨーグルト
ゼリー
プリン
ヤクルト
ジュース
アイス
納豆
ところ天
コーヒー牛乳
コーンスープ
パンプキンスープ
ポテトスープ
オニオンスープ

 入院中、食事は楽しみのひとつと思う。だからいろいろ選べてよいことだ。しかし、これらのチョイスがメニュー表のように患者さんの手元に渡されることはあまりない。納豆や生果物など、ものによっては避けたほうがいい患者さんもいるから仕方ないのかもしれない。だから、提供する側は患者さんが聞いていないと思って「飯を食わせておく」などと言ってはいけない(これを戒めてくださった初期研修時代の指導医にいまでも感謝している)し、ちゃんと好みを聞いて満足してもらったほうがいいと思う。
 たとえば、三度うどん(写真)でもいいほどうどんが好き、という患者さんがいるかもしれない。で、ニーズがわかれば日本の医療者は有能で真面目で思いやりがあるので、たとえその患者さんに塩分制限がかかっていてもなんとかしてくれる。どうすれば塩分少なくうどんを召し上がってもらえるか考えて汁をだし重視でうすめたり、工夫してくれるかもしれない(三食うどんもご本人がお望みで医学的に問題なければ不可能ではない)。工夫分のコスト*を取るためにやるというより、工夫したお食事を提供して喜んでもらえるのがいいと思う。それに、満足度が高ければ口コミでおすすめされるかもしれない。
 
*注:薄味うどんの工夫代というわけではないけれども、減塩食をおだししていることで「特別食加算」がとれる。また心疾患に対する減塩であれば、栄養師さんが週1回面談することで「入院栄養食事指導料」がとれる。



11/11/2016

情提文例集 補遺1

 お仕事でのお手紙の書き方について以前に投稿させていただいた。この記事、検索でひっかかるのかこのブログにおいては上位に読まれている。やっぱりコミュニケーションは大事で、とくに日本は今でも文書のやり取りが多い(昔からそう)から、とりあえずのたたき台や参考になっているならありがたい。

 あれからいろんな先生が書くお手紙をみてきたが、そのなかで「紹介礼状」というのが心に残っている。患者さまの退院前、かかりつけの先生に「Aに対してX、Bに対してY…、いたしました。退院後は、Zなどされてはいかがかと思います」というお手紙を書いたお返事だ。抜粋するとこんな内容だった。

 いつも大変お世話になっております。X日付けにてA様の情報提供書をいただきました。このたびはご丁寧な診療、情報提供書、ご対応、誠にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

 お手紙には、コストがとれるものととれないものがある。「今後の治療をよろしくおねがいします」というお手紙(たとえば、私が書いた診療情報提供書)はコストがとれる。「ご紹介ありがとうございます」というお返事(たとえば、私がいただいた紹介礼状)は、コストはとれない。無償の行為をうけとったわけだ。

 でも、こういう心遣いはじつはちゃんとお金になると思う。紹介されたときに「ご紹介ありがとうございました」と書けば、受け取ったほうはうれしいし、「また、あそこに紹介しよう」と思うかもしれないからだ。そのために時間をかけすぎては生産性がさがるけれど、簡単でも気持ちが伝わるように書けばいいと思う。
 
補遺1:他科依頼(併診願い)とそのお返事

 情提文例集(情提だけじゃないから「お手紙集」)に、他科依頼がなかった。というのも、米国には他科依頼というお手紙がないからだ。コンサルト・オーダーのコメントに腎臓なら「AKI Cr 2.0」とか書くだけで済む。詳しくは電話するか、会ってお話するかだ。文例を追加しよう。

 【依頼】お世話になっております。ご紹介いたしますAさまは[既往]の既往ある[年齢][性別]で、

①[入院日]より[入院病名]で入院しておられます。
②[自科主病名]で当科外来におかかりです。

(が、)[いつ][どんな][相談したい問題]を認めました。[相談する科にとって重要な追加事項]はX、Y、Zです。[相談したいこと(診察、検査、治療、意見)]につきご相談したく貴科にご紹介もうしあげる次第です。お忙しいところおそれいりますが、ご高診ご加療のほどよろしくお願いいたします。

 【お返事】お世話になっております、Aさまをご紹介ありがとうございます。拝見させていただき、(ご指摘のように)[診察で得た病歴、所見、検査結果など]を認め、[診断、アセスメント]と考えます。

①[検査計画]させていただくことにいたしました。
②[治療のレコメンデーション]するのがよいと考えます。
③[専門的な治療]の適応と考えます。
④[専門的な治療]させていただきました。
 
→[検査・治療日程]などご相談させていただければ幸いです。
→[フォローアップ計画]させていただければ幸いです。

 ご不明な点やご質問があれば遠慮なくおたずねください。重ねましてご紹介ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

 他科依頼をかいても返事を書いてもコストは取れない。入院中に他科依頼を受けて診察しても、検査しても、処方しても、DPCなら包括にふくまれる*。要は、タダ働きな場合もあるということだ。でも患者さま(と困ったあなた)の役に立ちたいと思って忙しくても相談にのってくれる、相手の先生に感謝したい。

*注:おおきな手技、退院時処方をのぞく。また、入院中いろいろ「がんばっている」病院には入院費に係数が上乗せされる仕組みがある(係数は毎年更新)。



 

11/09/2016

A Healthcare Provider

 英語を勉強した甲斐があったと思うのは、Economist誌の記事を読むとき。Malcolm Gladwell氏の本も甲斐リストに入っていたが、米国時代に空港で手に取ったOutlierは『天才!成功する人々の法則』として、そして最近読んだDavid and Goliathは『逆転!強敵や逆境に勝てる秘密』として、それぞれ訳されていた。

 ネイティブでなければ、訳書のほうがきっと読むのは速い。それでも原書をよむのは、値段が安いから。それから、読むのに時間がかかるほうが理解しやすいという逆説。David and Goliathにも、問題文を読みにくいフォントにしたほうが、読みやすいフォントよりも正答率が高いという話が出てきた。たしかに、日本語で斜め読みするより英語を読むほうが頭に残る気がする。

 そのDavid and Goliathに、急性リンパ白血病(ALL)の治療を大きく変えたEmil "Jay" Freireich先生のお話がでてくる。当時化学療法は、患者さんを苦しめるだけで根治もできないからやめよう、やっても1種類を1回、と考えられていた。しかしNIH Clinial Centerにいた彼とEmil "Tom" Frei、ふたりのエミル先生がそれを何種類も何度もやった。

 その前には、絨毛癌を何サイクルもmethotrexateを使って根治したM. C. Li先生がいた。しかし彼は異端視されNIHを追われた(のちに業績が認められた)。Freireich先生にも風当たりが強かったけれど、彼は他人がどう思うかを気にするタイプではなかった(そこがDavid and Goliathの主旨なのだが)し、Frei先生が調整や説得が上手でもあり、上司のGordon Zubrod先生も後押ししてくれた。

 ほうっておくと出血で助からない患者さんに血小板輸血するところから始まり、レジメンを重ねていき、ときには免疫がさがらないようにCML患者さんから余った白血球をもらってきて輸血したり、とにかく失うものがないので(何もしなければ死亡率100%だった)すべてを試して、ついにALLは治癒する病気になった。この話はSiddhartha Mukherjee先生のThe Emperor of All Maladies: A Biography of Cancerという本に詳しい(もちろんこれも訳されている)。

 現状の治療を提供する人をヘルスケア・プロバイダーという。でもそれだけじゃない。治療が広く行われるように活動する人がいる。現状を受け入れずに治療を変えていく人がいる。以前に書いた視力を回復する遺伝子治療もそうだし、視神経に信号を入力する人工網膜インプラント(写真)、網膜の再生医療もそう。でもこういうお話は日常臨床と直接関係せず、新聞や雑誌を読んでる人のほうがよほど詳しい。

 ヘルスケア・プロバイダーは現状のヘルスケアを提供するのが仕事で、それが期待されていて、それに対してお給料をもらう(極論すれば、ケアを提供することでお金を請求するのであって、ヘルスを提供することに対してではない)。そうなんだけれども、不安や絶望をもってやってくる患者さんに愛とか希望とかを提供できればなと思う。だから、夢や希望のある話はこれからも追いかけていたい。




11/04/2016

Power of Jeong

 医療報酬に反映されない医療行為というのも、ある。手術をすれば保険点数がつく。手術が患者さんに合っているかをよく話しあって結局しないことになっても、その話し合いにはお金は払われない(外来なら診察代くらいはでるだろうが)。当然、手術分の保険点数もつかない。
 でも「転職しないという選択肢も提案します」みたいな転職コンサル会社が流行るように、きちんとしたことをしていれば患者さんはやってくる。そのなかには手術が必要な人も多い。また説明をちゃんとすることは、リスクマネジメントにも重要だ。これらの観点などからも、計上されない利益というのはあると思う。
 患者さんのお話をよく聞いて関心をもつことにだって、いろんな効果がある。病気に関連した生活習慣、その背景にある考え方などが明らかになって治療介入がしやすくなるかもしれない。その人が自分になぜどのように治療が必要かを理解して、より前向きに取り組んでくれるかもしれない。
 I feel for you、I am here for youという意思が伝われば、患者さんがいままで誰にもいえなかった核心を、出会って数分で教えてくれることだってある。そのきっかけは、言葉じゃないことも多い。ベッドサイドにひざまずくだけで、あるいは「ご家族を連れずに入院されたのかな」と気づくだけで十分だったりする。
 まさに聴くに早く、語るに遅く(Jacob 1 19)。口はひとつだが耳はふたつ、ともいう。なおこの聖句、怒るに遅く、と続く。「なんで~できないの」「~しちゃだめでしょ」と責めたくなる気持ちも人間だからわかるけど、それは、遅く、遅く。人の怒りは神さまの望む義にはならないから(Jacob 1 20)。
 私達は人の秘密をききだすためにお金をもらっているわけでは、もちろんない。でも、信頼がなかったら医療なんてできない。私達は物を売っているわけではなくて、大げさかもしれないけれどまがりなりにも命を預かっている。だから信頼される人でありたいし、信頼されることに感謝したい。
 そういう医療は、東洋的には仁の思想であり情と思う(報酬にならないものが報酬になるというのは、老子の「無用の用」ともいえる)。最近は韓国が医療ツーリズムを大々的に広告していて、成績などよい数字をたくさん挙げている(写真)けれど、第一の宣伝文句はThe healing power of Jeong。정(ジョン)、すなわち情の癒す力。情けは人のためならず、か。