6/30/2011

新しい職場

 大学病院に顔を出し、お世話になる先生や秘書さん達に挨拶に行った。その帰り、病院の廊下を歩いていたら通りすがりの人がフラフラして倒れ込んだ。慌てて駆け寄り抱きとめたのでケガはなく、横になった後も意識はしっかりしていたから病歴を聴取することができた。白衣を着ていなくても取った杵柄はそう簡単には失われない。すぐさま落ち着いて近くにいたボランティアの人にsecurityを呼んでもらい、車椅子で救急外来まで運んだ。

 救急外来の待合室でこんな風に過ごしたのは初めてだ。トリアージで中に呼ばれるまでの時間が長く感じられ、患者さんの容態が急変しないかと落ち着かなかった。失神が主訴なので私のような目撃者の情報は重要だろうと思い、診察に来た研修医に様子を伝えるまではそばにいて、その後患者さんにハグをして救急外来を後にした。旅行や引越で臨床から数日遠ざかっていたので、よい機会だった。

 今度の病院はどこもかしこも美しく立派なのだが救急外来も例外ではない。せっかく来たからERのアテンディングに話しかけると、4年前に新築し、35室あるらしい。彼は「腎臓内科のフェロー?ここはお前たちには縁がないだろう。救急が緊急コンサルトで呼んでも不平ばっかりだもんな」と最初は皮肉っていた。しかし話をして打ち解けると、私が急性期治療や集中治療が好きなことを知って"You will change the practice"と希望を口にしていた。

6/22/2011

どうやら

 こないだもらった賞は、どうやら「ベストレジデント賞」ではなかったみたいだ。私が受賞したあともう一人同級生が最後に受賞していたのがそれらしい。ただ私が受賞後に即興スピーチをして人々の心をつかみ余りにも盛り上がったせいで、私のあとに発表された賞は若干なおざりになってしまったみたいだ。
 これは、シドニーと五輪開催を競った北京が開催候補地を読み上げただけで開催決定と勘違いしたのと似ているが違う。というのも私がもらったのも賞は賞だからだ。しかも「参加賞」みたいなものではない、ちゃんとしたものだ。総プログラム120人のうちで賞の盾をもらったのは6人で、そのうちのひとりだ。
 だから私が行ったスピーチの正統性も失われない(professionalism awardだから却って相応しい)。あのあと人々の心に士気が蘇るのを感じたし、内科のチェアも"future leader"と言ってくれた。いずれにしても、3年間という過ぎたことに対する外的な評価であるから今更どうもない。これから一層精進するだけだ。

6/15/2011

Lady Windermere

 どうも呼吸器内科はOndine's curseとかPickwickian syndromeとか文学の香りがする病名が多い。今日もLady Windermere syndromeというのを習ったが、これはOscar Wildeの戯曲"Lady Windermere's fan"(1892年)に由来する。Lady Windermere syndromeとは、咳をしないことにより本来なら除去されるべき気道分泌物がたまり右中肺あるいは左肺舌区が無気肺となり、それがMAC(非結核の抗酸菌)感染を引き起こしたものをいう。私たちのみた症例も謎の気管支拡張にともなう右中肺の無気肺があり、過去にMAC感染を起こしたこともあったのでその話になった。

 ビクトリア朝時代、女性は公の場で咳をすることはマナー違反とみなされた。それで彼女たちは皆できるだけ咳をしないようにして、軽い咳をするにも扇でできるだけ隠すようにした。そもそもコルセットがきつくて深い咳などできなかった。このようなfastidious(細心に注意深い)な行動が原因と考えられたので、Lady Windermere症候群と呼ばれるようになった。もっとも劇中のLady Windermereは病人ではなかったので、このような呼び名はふさわしくないという人もあるが。Pickwick症候群のPickwickが実際肥満による低換気を起こしていたのと対照的だ。

6/11/2011

Graduation

 卒業式があり、修了証を貰うと同時に三年目レジデントのなかで最も模範となる研修医に送られる賞、Professionalism Awardを受賞することができた。この賞は指導医と研修医の投票によって選ばれる賞なので、私にとって非常に意味があった。誰もみな三年間ベストを尽くしてきたことに変わりはない。とはいえ賞は賞、受賞者には説明責任があるとも思った。それで、皆が共有できる理想や目標をポジティブに提示することで、「みんなよくがんばった、俺たちはよくやっている」と即興で言うことにした。

 受賞後ステージに立ち、ある日病院の図書館で見つけた古い椅子が1919年に作られたことを発見したというエピソードを元に話をした。この椅子を買った人は、おそらく大恐慌、第二次世界大戦、幾多の危機が来ることなど知らなかっただろう。でもそんな不確かな時代にも、彼らはいつかこの椅子に誰かがどこかからやって来て座り、学び、よき医師よき教育者を目指し人類に貢献すると信じていたに違いない。考えてみれば、医師研修より崇高な事業が他にあるだろうか。私たちは今こそそれを自覚して日々努力せねばならない。

 Toastmastersにいるおかげで、100人以上いる聴衆の前でのエモーショナルなスピーチも自然と落ち着いてかつ情熱的にできた。冗談も予想以上に受けたし、クライマックスでは盛大な拍手がわき起こった。涙を見せた人までいた。スタンディングオベーションしてくれた人までいた。今日は本当にまるで映画の様な一日だった。受賞者の名前(私)が読み上げられた時の一瞬スローモーションになる感じなど、自分が実際に体験することがあろうとは思わなかった。

 スピーチをして聴衆と結び付いたことにより、受賞後はwell deservedという雰囲気になった。みんながスピーチに感動したと言い、受賞を祝福してくれた。私はこの賞の投票が始まってから、もし他の人が受賞した時にどこまで素直に祝福できるか分からないほど褒められることに執着していた自分の浅はかさに気づき、自分を責めていたのだ。それを鑑みるに、みんなの祝福が痛いほど嬉しかった。自分の手柄話をせず全体の利益、皆を結び付ける崇高な理想を語れることがリーダーシップなのだなと判った。

6/10/2011

結婚講座

 80歳になる女性の患者さんと話をした。彼女は夫と結婚して56年になるという。結婚して時間が経つと"you become one person"、二人は一人になると言っていた。しかし、"The first 7 years are the worst"という。これには驚いた。新婚という言葉もあるが…。彼女が言うには、最初のうちはお互いの考えや行動、感情などが読めずに苦労するという。しかし徐々にお互いが分かってきて、"you will live with yourself"、自分自身と一緒に生活しているように感じられるという。"That's what marriage is all about"とも言っていた。

 この話が面白いのは、単に結婚話を聞いたというだけでなく、この患者さんが私の同僚皆から"She's not nice"と嫌われていたということにある。確かに部屋に入ると「あんた誰」、「ここの医者はどいつもこいつも何にも知らない人ばっかりだ」とか毒づいていた。しかし今の私はそれ位で動じることはない。薄く笑ってから会話を続けるうち、彼女が家に残してきた夫を心配していること、それで一刻も早く退院したいこと、内科・循環器科・呼吸器科、さらにジュニアレジデント・シニアレジデント・指導医など多くの医師が入れ替わり立ち替わりやってきては違うことを言うのに辟易していたことが分かった。

 人間、分からないことや不快なことにはいとも簡単にラベルを付けようとする。自分可愛さに防衛機制を発揮するのも良いが、患者さんは病人なのだし人間なのだから、怒っているときには何か原因があるはずと関心を持って辛抱強く話をすることが大事かなと思う。そうすれば結婚講座が聞けたり、その人のことがより一層分かって好きになるかもしれない。こういうことに関心を持つ私は実はプライマリケア医に向いているのかもしれないなと思う。でもこういった人間関係のことは何科でも(あるいは何の職業でも)きっと役立つだろう。

6/09/2011

Trained to avoid primary care

 米国内科学会Annals of Internal Medicineには、On being a doctorという投稿コーナーがある。今週号はUCSFの内科二年目レジデントの文章で、タイトルは“Trained to avoid primary care”。共感できる内容が多く、興味深く読み、うちの後輩たちにも読むよう勧めておいた。
 内科研修といっても、プラマリケアに割かれる時間は10%しかないし、総合内科のメンターなどいない、優秀で惹かれる先生は皆専門科だ、コンサルトしてアドバイスを貰いに数え切れないほどの電話をするうち、電話の反対側の立場に立ちたいと思うようになったと彼はいう。
 それに総合内科の外来は週に半日で切れ切れに設定されているうえ、行ってもアテンディングは毎回のように異なるし、保険会社、薬局、福祉関係の書類を記載したり、保険会社に電話してもたらい回されたり何分も保留で待たされたりで、有益な時間はほとんど奪われてしまう。
 総合内科がかなりdisorganizedなのに対し、専門科の外来はより焦点が絞られているし、ひと月ぶっ通しで同じ先生に教わるので教育の質もインテンシブで高くなる。勤務時間もきっちりして伸びることがない。これでは総合内科医になるなと言われているようなものだ。
 しかし彼はプライマリケアに進むことを決意する。それはプライマリケア医が患者さんのことをよく知っていて、病気でなく人を診る科で、患者さんの人生や命に対して何か関わったという実感を持てる遣り甲斐があるからだ。彼は、あるホームレスの患者さんを失った時にそれに気づく。
 プライマリケアは雑用ばかりで、家族と過ごす時間も奪われるだろうし、いつか情熱を失うかもしれないけれど、それらは今言った遣り甲斐に比べれば些細なことだと彼は言う。Nobleな理想で、偉いと思う。逆に言うと、決断に至るまでの彼の迷いと不満がそういう形で昇華したわけだ。
 彼の文章に提案はない。問題提起をして、反響と対策は読者に委ねられている。それは決して不完全なアプローチとは言えない。むしろ「みんなで考えようよ、何とかしようよ!」という呼びかけは「こうしなきゃだめだ!」と言うよりフェアで広く人々に訴えることができる。さて、どうしますか。

6/08/2011

チューチュー

 今月は、研修修了までのわずかな時間を呼吸器内科コンサルトで過ごしている。今日は非心原性肺水腫の症例にあたり、色々学ぶことがあった。新しいコンサルトの電話を受け術後回復室に向かうと、若い男性が酸素を吸っている。看護師さんは「胸写に肺水腫が映っている」というが、若い男性の術後肺水腫と言われてもピンとこない。
 術中輸液も少なく、心疾患を示唆する病歴も一切なく心原性でないことは明らかだ。肺毛細血管から水が漏れているわけだが、なぜだろう。薬によるアナフィラキシー、神経原性肺水腫(椎間板ヘルニアの手術だった)、なんらかのアレルギー反応(アレルギー性鼻炎があってアレルギー科で診てもらっているというから)、など考えたがどれも当てはまらない。
 UpToDateで“non-cardiogenic pulmonary edema”の項を繰ってもARDSのことばっかりで、他にはHAPE(high altitude pulmonary edema)、re-perfusion pulmonary edema、re-expansion pulmonary edema、中毒(heroin、salicylate)だのしかない。利尿剤でさっさと除水しようかとも思ったが、心原性じゃないうえに原因が分からないので気が進まず、酸素化も悪くないので指導医が来るまで待つことにした。
 指導医に話すと、「negative pressure pulmonary edemaでしょ」とあっさり回答。UpToDateのリストも当てにならないものだ。改めて検索すると、術後の呼吸器合併症という項に載っていた。抜管後のnegative pressureにより肺胞が毛細血管から水をチューチューと吸ってしまう病態で、どういうわけか若い人に起こりやすい。治療は利尿剤、CPAP、supportive therapy。

6/06/2011

Texas hold'em

 今日は研修プログラムのピクニックに行ってきた。昨今の様々な事情を反映して参加者はとても少なかったが、未来ある一年目の先生たちが結構来ていたので彼らに希望を持ってもらえるよう楽しく過ごすよう努めた。それで、カードゲームをしようと提案した。
 遊び人風の研修医がバッグにいつもトランプを入れていたので、Texas hold'emというポーカーゲームをすることになった。私は何にも知らなかったので後輩たちから教わった。こういう職場を離れて楽しむ機会には、先輩後輩という教える役割が逆転するほうが面白くてよい。
 ルールは何となくわかったが、普通のポーカーのように役を目指してカードを切るのではない。これは賭けの為のゲームで、相手の表情を読んだり、駆け引きしたりがメインだ。リスクをどのように上手く負うかという戦略が求められる。私には向いてないと思うが、楽しい経験だった。