8/19/2007

明らかなものはない?

言い合いになることがある。相談を受けたとき、相談をするとき、どちらも相手の反応や考え方が自分と違うときには、電話を切ってから周りに「あんな考えは有り得ない、どうかしている」などと話してしまう。おそらく、電話の向こう側でも、同じことが起こっている。
 相手に自分の考えを押し付けず、感情的にならず、かつ相手の言いなりにもならないのは、非常に難しい。交渉術といえる。たとえば、お腹が痛いと言って外科外来に来た患者さんが、胃腸炎の診断で帰り、翌日になって熱がひどく状態が悪くなって救急車で帰ってきたとしよう。内科も外科も呼ばれる。外科の先生はお腹をさわって「これはおなかじゃない」とバッサリ。
 診察すると、たしかに「いかにもおなか」かといわれると、そうでない気もする。「明らかな○○はない」という言葉は医療で多用されるが、明らかなものくらい、専門家でなくてもわかる。問題は明らかではないけれどそうかもしれない場合についてである。患者さんは、元々の病気のため症状をうまくいえない人である(痛い、痛くないとしゃべることはできるけれど)。
 とにかく、お腹じゃない病気であってはいけないので、他の病気の検査をしたがいずれも引っかからない。そこで、「原因不明だが入院」になりそうだったところに、先輩のDrが来て、お腹に再び注目した。結局、エコーで虫垂が腫れており、手術になった。虫垂は壊死していた。
 自分の考えを持って治療することが、まず、とても重要である。そして、それをどう表現してチーム医療を正しい方向に導くかが、さらに重要である。実力が必要だ。