4/11/2013

6-word short stories

 いまいる大学はcreative writingのメッカで、数多くのwriting workshopやconferenceに世界中からwriter達がやってくる。街自体がユネスコから世界に数箇所しかない文学都市の指定を受けてもいる。今回初めて、医療者向けの6時間セッションに参加することが出来た。

 参加したのは全米から集まったいろんな世代の医師、医学部でwritingを教える人、その他の医療関係者などが14人。まず短い散文の書き方を学び、代表的な作品を読んで吟味し、実際に30分で試作を書き、スクリーンに映して自分で読み上げ、全員で品評する。そんな風にものを書くのは初めてだったが、やってみたら意外と出来た。

 医師で作家になる人は多いし、scienceとhumanityが結婚している医学領域にいれば論文以外のものを書きたくなるのは自然と思う。米国内科学会誌のOn Being A DoctorやJAMAのA Piece of My Mindのような500-1000語程度の作品が手軽に書ければ、忙しい日常で心がきらめく一瞬を結晶にして、その輝きを残すことが出来よう。

 いや、500語といわずもっと短くてもいいのかもしれない。なんと、英米文学には6-word short storyというジャンルがあるそうだ。最も有名な作品はこれ。

 For sale: baby shoes, never worn.
 
 これはEarnest Hemingwayが「おれは10語以内でストーリーが書ける、賭けるか?」といって作ったとされる(ただしこれは伝説らしい)、読み手にいろんなことを考えさせる作品だ。どうして一度も履かれることがなかったのか?赤ちゃんに一体何が?どうしてそれを売るのか?どうしてそれを広告に出すのか?

 これは暗示的すぎるが、動的でも良い、描写的でもよい、散文的でもよい、警句的でもよい。6語の制約により却って自由度が増すのは、俳句や短歌に似ているかもしれない。セッションでは「2分で作ろう」というので、私も何個か作ってみた。そのうちの一つは、こちら。

 Life goes on, dry or wet.


3/04/2013

Medicare 102

 巨大化するMedicare財政を抑えるのに、日本のように点数で診療行為の報酬が標準化された。これをRVU(relative value unit)といい、1985年のCOBRA(Consolidated Omnibus Budget Reconciliation Act)法で始まった。それまで米国の医療報酬はUCR(usual, customary and reasonable)で、同じ手術をするにも外科医AとBで違う報酬が与えられた。

 ところでこのRVU、外科医中心のAMA(American Medical Association)がつくった外科手技一覧のリストに内科系の診療行為を加えてできた。それでか"paid to do, not to think"、手を動かしたほうが儲かる。米国で内科・小児科・家庭医療などの人気が下がった一番の理由はサラリーだが、その元凶はここにある。




 1997年にはBalanced Budget Actという、医療費の成長を経済成長にリンクする法律が通った。経済状況を勘案してMedicareが医療費の伸び(SGR、Sustained Growth Rate)を調節するが、医師会の反対を受けた議会が毎年交渉してそれを無効あるいは緩和している(しかし2013年は支出の多い診療行為についてRVUが削られると聞く)。

 MedicareはIOM(Institution of Medicine)がquality improvementのために発表していた医原性の合併症にも注目し、「これが入院中に起こったら医療費は払いません」という項目(尿路感染症、褥瘡など)を決めた。現在8項目あるが、将来的には200項目に増えるらしい。合併症が起こらないようにする努力と、「これは入院時からありました」と欠かさずチェックして記入する努力、両方が必要になる…。

 さらにJCAHO(Joint Commission on Accreditation of Healthcare Organizations、ジェイコ)のquality measuresにも注目し、その病院で「全心不全患者の90%(だったか95%だったか)がACEI/ARBを内服」というのが満たされるとその分医療報酬がおりる仕組みもできた。これはadded value purchacingといって、満たさないとお金がおりないからやはり医療費抑制になる。前の病院で、ホスピタリストは多数あるcore measureのリストを持ち歩いていた。

 「偉大な社会」政策から約半世紀、アメリカ医療を考察する材料が得られた。日本から来ると米国医療者が国民皆保険に反対するのが奇妙だが、少し事情がわかった。誰も「貧乏人は死ね」と思っているわけではない(たぶん)。要はMedicareが出来てから米国医療はルールと規制にがんじがらめで、それが彼らの不満なのだ。聴衆はレクチャのあいだ何度も不満気に"Jesus"を連呼していた。

Medicare 101

 1963年、JFK暗殺後に大統領を引き継いだLBJ(Lyndon B. Johnson)。彼のリーダーシップと民主党支配の議会によって「偉大な社会(Great Society)」構想が具現化した。そのなかで、貧困との戦い、公教育の充実、公民権の拡大などの各政策と並び1965年に施行されたのがMedicareだ。

 65歳以上のアメリカ人の半数に医療保険がなかった当時、これにより高齢者が安心して医療を受けられる「偉大な社会」が到来するかと思われた。しかし、5年もするとお金がなくなった。どうやりくりするか、ここから40年以上にわたり苦闘が続く。こないだレクチャで、Medicareがいかに医療を動かしてきたかをおさらいした。

 Medicareは拡大した。1972年に40歳以上で疾患のある人、透析を受けている人などが含まれた。1997年にはPart C(私的保険との混合)、2006年にはPart D(薬の保険)ができた。どんどん拡大して、高齢化と疾病構造の変化もあり、1970年には70億ドルのMedicareは2015年には8000億ドルに達する見通しだ。

 支出を抑えるため、DRGができた。これは1981年にYale大学で考案され、New Jersey州の病院で試したら見事に病院が倒産したので、これはよいと1983年に全国でいっせいに始まった。DRG下で生き残るために、医療界に二つの新しい職種が生まれた。一つはcoder、もうひとつはhospitalistだ。

 カルテにDRGコードに適合した重症度と診断名をつけないと、日々医療費が失われる。それで、どの病院でも毎日全てのカルテをチェックする専門の職種Coderが必要になった。もはや一介の医者ではこのコードを全て把握するのは無理なのだ…(私もレジデント時代、よくcoderから診断名を直されたものだ)。

 DRGは診断ごとに医療費が決まり(少しは重症度と日数も加味されるが)、入院日数を短縮してベッドの回転率を上げないと病院がつぶれる。朝に入院患者を回診して午後は外来という既存の診療モデルでは、その日の午後に退院できる患者さんが翌日まで待たねばならない。それで、24時間病棟にいるhospitalist(シフト勤務なのでずっと同じ医師ではないが)が現れた。

 実際、ホスピタリストに任せたほうが入院日数は短縮される(JGIM 1998 13 774)。ずっと病棟にいるのだから、ケアも手厚い(はず)。2010年現在、アメリカで3万人のホスピタリストが働いている。しかし、これで話は終わらない。医療費を削減する様々な試みと、医療者側の対応は後半に続く。

3/02/2013

病歴聴取、カルテ、プレゼン

 いま教えている学生さん達とのセッションも三回が過ぎ(全六回)、みんな型どおりに病歴を取りカルテを書きプレゼンできるようにはなった。臨床実習前でここまでできるのだから大したものだ。これからの三回は、その質をできるだけ高めるよう力を尽くしたい。とはいっても時間に限りがあるので、病歴聴取、カルテ、プレゼンそれぞれから最も重要と思う課題を一つずつ選ぶことにした。

 病歴聴取の課題は、現病歴をしっかり聴くこと。現病歴までで患者さんに何が起きているかだいたい分かるのが理想だ。効果的と思う二つのアドバイスは、①発症前から来院までの様子を抜けなく把握する、②「なぜ患者さんはこんなことになっているの?」と考えそれを解くために質問を続ける、だ。これらを強調するために、医療面接のあいだ学生の横についてこの二点に基づいた補助的な質問をした。

 カルテ(H and P)の課題は、アセスメント。アセスメントとは明確な問いかけに答えようと試みる過程であるべきだ。問いかけとは、「何が起きているのか?」「どうして起きたのか?」「いま何ができるか?」などだ。私は、プレゼンやレクチャ、学会発表などではこれらの質問を明示することすらある(カルテには書かないが)。ただ考えているのではない、ただ知っていることを書くのでもない、アセスメントには目的があるのだ。

 プレゼンの課題は、読まないこと。カルテ(あるいは自分で作ってきたカンペ)を読む学生に「読まないで、私達に話しかけて」というと、プレゼンが劇的に変化した。話すことで相手に伝えることを意識するので、トーンがゆっくりになり、アイコンタクトがうまれ、情報も取捨選択され、言葉も平易になる。立て板に水で情報を詰め込めばよいのではない、カルテとプレゼンでは求められるスキルが違うのだと学生達に自然に理解させることができた。

2/10/2013

Meiryo

 日本語でパワーポイントを作るのが嫌(日本語で話すのは何の問題もない)なのは、英語のほうが少ないスペースで多くの情報を書けることもあったが、なによりMSゴシックが醜かったからだ。明朝もあるが、ひげ(serif)があってパワーポイントには向かない。欧文フォントのデフォルトがArialからCalibriに変わったのに、和文フォントはMSゴシックのままだ。
 しかし今日、新日本語フォントMeiryo(メイリオ、「明瞭」に由来)に出会い、使ってみて気に入った。少しだけ横長のくっきり・すっきりした字体で、横書きでの読みやすさを追求したという。和文は河野英一氏ら、欧文はVernadaの親Matthew Carter氏が作った。これから、日本語のパワーポイントも色々つくろうかなと励まされた。

2/07/2013

Service and education

 採血、患者さんを運ぶなどは分業されたので米国で研修医がすることはまずないが、オーダー、電話などこまごまとした仕事はたくさんある。アメリカに来て、仕事といえば電話ばっかりで「ここでは医師の仕事は電話することなのかな」と思ったほどだ。
 Serviceとeducationはしばしば臨床研修において対立項で論じられる。学費を払って勉強する学生と違い研修医は働いて勉強するから、ほっとくと労働力になる。それで教育者の役割はserviceを最小限にして教育の質を保つことと考えられてきた。
 しかしserviceとeducationは分離して考えられない。採血がうまくなればそれは技術だし、機内で急患にさっとIVラインを取れるだろう。退院サマリーを書くのも外来アポを取るのも大事なスキルで、教育価値がまったくないとはいえない。
 それで今週のNEJMに、卒後研修におけるserviceとeducationの関係を捉えなおそうという論文がでた(NEJM 2013 368 500)。もともとACGMEは医学知識だけでなくpatient care、practice-based learning、systems-based practiceなど「仕事がちゃんとできる」ための教育を重視してきた。
 この論旨もその流れに沿ったもので、serviceにも教育価値があるから「雑用(scut-work)」と粗末にするな、そしてserviceをもっとembraceする文化を創ろうという。まあ、医師に求められるserviceと仕事量は増える一方だから、それを教育の障害と考えては立ち行かないのは確かだ。

2/01/2013

Kool-Aid

  米国トレーニングは雑用が少なく効率的に学べるというのはある程度正しいが、それでもそれなりにフェローでなくても出来る(というか他がすべき)仕事が回ってくる。それをみて後輩フェローが「何でおれたちがやらなきゃならないの?」というので、「まあフェローなんて所詮そんなもんでしょ」と答えたら、"Don't give me that Kool-Aid"という。
 Kool-Aidとは人工着色料と人工甘味料で出来たジュースの素で、夏などに子供が水に溶かして飲む。すでに溶かしたものも売っている。しかしここで彼は「ジュースなど要らぬ」といっているわけではない。「そんなふうに洗脳しないでくれ」と言っているのだ。なぜか?
 詳しくは書かないが、1978年に起きたカルトPeoples Temple信者たちが「これを飲めば革命が完成する」だのと洗脳され毒入り飲料(Kool-Aidのようなジュースだったらしい)を飲まされた、身の毛もよだつ集団自殺にちなむ(多くは強制とも)。しかし現在では、アメリカ英語のイディオムとして定着しているようだ。

1/26/2013

I think I did a good job

 ついに始まったClinician Mentor Program、医学部二年生四人と私一人でセッションするというのは初めての経験で新鮮だった。まず彼らのパフォーマンスについて彼ら自身の印象を聞くと誰もが"I think I did a good job"と言うのにビックリした。そして人のパフォーマンスについて聞くと誰もが"I think he (or she) did a good job"という。
 そう、ここはアメリカ。別に彼らとて「俺ら完璧(指導など要らん)」と言っているわけではないのだ。だからここは「ぜんぜんgood jobじゃないよ?」などと言ってはダメである。「よくがんばったね、AとBが良かった、CとDはこういうふうにするともっと明確になると思うよ」とアドバイスすればよいのだ。
 最初は戸惑ったが、考えてみると「いやーやっぱダメですね…どうせ僕なんて…」などといわれるよりも、"I think I did a good job"と言ってくれたほうが「うんうんその調子、もっとよくして行こうね!」と前向きにアドバイスしやすいし、相手も「アドバイスありがとう、じゃあそうしてみる!」と取り組んで実際良くなっていくので楽だ。
 いったい私はどんなセッションをしているのか?これは問診技術、診察技術、カルテ記載技術、プレゼンテーション技術を鍛えることが目標だ。まだ医学部二年生だから指摘すべきところは無限にあるが、いかに効果的なアドバイス・訓練をするかを考えるよい機会でもある。
 たとえばreview of systemで何を聞いていいか分からないという。それで「各システムごとに4-5の症状があるだろう?それらがスラスラ言えるようにしよう。はいじゃあ、心血管系(の症状を言って)!」と一人ずつ指差して訓練。「主訴に関係する大事なシステムについては重点的に、他のシステムは1-2個ずつ聞いてみれば?」と具体的に提案してみた。
 問診・診察技術でも「症状がいつから始まったか聞くのはいいが、どうして始まったかも探偵のように出来るだけ調べよう、さもなければ予防できない」「患者さんの心情に人間として対応してほしい、そうしないと問診が尋問になってしまう」など、自分が最も改善してほしいと思うことにフォーカスした。
 そしてプレゼンテーション技術の上達は、私が最も好きな(Toastmasterだからね)訓練で、一人がプレゼンし、一人が時間を計り、一人が不要な言葉(umなど)を数える。皆が、どうしたらもっと良くなるか考えて私に質問する。昨日は5分プレゼンを4回、1分プレゼンを12回聞いて、それぞれ良いところと改善点を指摘し、私にとってもよい訓練だった。

1/22/2013

Serenity Prayer

 Serenity Prayerとは、「変えられないものを受け入れる静けさ、変わるべきものを変えていく勇気、そしてその二つを見分ける智恵を与えてください」という祈りだ。腎臓内科にいると、静けさ・勇気・智恵の重要性を痛感する。
 たとえば急性腎不全でコンサルトを受けたら、原因を調べる。補液やら薬の中止やらで治せるなら治す。調べ尽くしてATN(急性尿細管壊死)と分かったら、たとえクレアチニンが上がり続けてもただ回復を待つしかない。
 ICUではあらゆる生命維持治療が行われる。人工呼吸器、昇圧剤、IABP(大動脈内バルーンポンプ)、LVAD(左室補助デバイス)、TAH(完全人工心臓)、ECMO(体外膜酸素化装置)…。腎臓内科医も一緒になってCRRT(持続透析)をやる。「やれることは全部やってる、だから透析も」と呼ばれるわけだ。
 コンサルタントは困った医師を助けるのが仕事だから、頑張って助けようとしている主治医の力になってあげたい。でも翌日まで持たないと分かっている患者さんに透析を施すことが果たして妥当なのか。昇圧剤下で心停止を繰り返すpH 6.9の乳酸アシドーシスと高K血症、すでに高用量のCVVHDF中なものを「何とかならないか」と言われても、どうしようもない。
 静けさ…戦場のような病院で、静けさ…。静けさ…?オスラー先生は平静の心を持てと言った。マルクスアウレリウス帝は崖のように静かに聳えて荒波をおさめよと言った。恥ずかしながら、最近色々あって忘れていた。誰だっていつだって色々あるんだ、そんな時にも静けさを忘れないようにしなければ。

1/01/2013

Cliffちゃん

 腎移植の患者さんがC diff感染を起こしたら、治療はimmunocompetentな患者さんとどう違うのか?Immunocomoromizedな移植患者さんだから、さぞかし特別な配慮がいるのだろうと想像されるが、エキスパートオピニオンの論文(AJT 2009 9 S35)によれば原則は通常のC diff治療と共通している。すなわち、軽症から中等症ならmetronidazole、重症ならvancomycinというわけだ。まあ臓器移植患者さんに特化したよいエビデンスがないからというのもあるだろうが。
 ただし、免疫抑制されている以上、臓器移植患者さんの重症C diff感染はより危険と思われる(外科的治療を要する例が多かった、colectomy後のmortalityが高かったと言うデータも)。それで、前掲のエキスパートオピニオン論文が推奨するアルゴリズムでも下痢の回数、発熱、白血球数高値などあれば基本vancomycinを第一選択にしている。
 余談だが、C diffを嗅ぎ分ける犬というのがオランダの大学病院で試験的に用いられている。二歳になるビーグル犬のCliffちゃんは、実験で感度100%、特異度97%でC diffを嗅ぎ分けることが出来た(BMJ 2012 345 e7396)。C diffはヒトでもある程度「ああ、これは…(C diffっぽい)」と分かるが、さすがは犬の嗅覚。ちょっと可哀相でもあるが、役立ってて偉い。