医学的な判断を下すのは、勇気のいることである。医学的な事情を、その他の社会的な事情より優先するとき、とくに勇気がいる。風邪のお母さんと子供の運動会の応援、などがその例だ。怪我と世界選手権出場、胃腸障害と国会審議参加、過労と強制労働(あるいは兵役)などもあるかもしれない。
風邪と臨床研修、というのもある。研修医のころ、全身倦怠感がひどくて休んだことは2回あった。いずれも、フウフウ言いながら業務をして、こっそり体温を計ると37℃ちょっとでガッカリして、でも仕事にならないので結局代わってもらった。よほどでないと、受診じたいはしなかった。
いまは、逆の立場になった。立て続けに6回吐いても「すっきりしたので働けます」という研修医を受診させ、診察して帰す。きつさのため仕事にならない、と不安を訴える研修医がいれば、受診できることを伝え、診察した上でその科の上司に相談して早退させる。
その判断がつくひとが、医者である。医師doctorという語は、docere(指示する)という言葉から来ているというが、それには知識と経験がいる。自分の見立てを信じる勇気がいる。それで、早退が必要です、というときに勇気を感じる。
このとき、いいなーオレも休みたいなー、などと言ってはいけない。しわ寄せがきたキツさを紛らわすために言うのだろうが、本人は周りに迷惑がかかることをじゅうぶん申し訳なく思っているのであり、むしろ代わりがちゃんといるような仕組みが必要であろう。