米国医学雑誌で反響を呼んでいる"code"という記事がある。コードとは、こういうときにはこう行動する、という約束事であり、武士道なども一種のcode(規範)であるが、ここでは患者さんが入院中に心肺停止状態になったときはどうするか、ということである。心肺蘇生法を行うのか、行わないのか。重症患者さんや、末期患者さんではcode statusが重要であり、本人の意思と家族の意思を前もって確認しておかなければならない。
とにかく何でもやってください、というのがfull codeである。多くの病院では、発見者が全館放送をかける。何をしていても、医師は走って駆けつけなければならない。集まった人から、リーダーを決めて、組織的に蘇生が始まる。止まった心臓を強心剤で動かそうとし、外から胸壁を押して代わりに動かし、心電図モニターをつけて不整脈波形がみられれば電気ショックをかける。呼吸が止まっているので、口から気管に管を通して酸素を送り込む。流れていない血管に点滴ルートをとり、心臓マッサージにあわせて触れる脈を頼りに針を刺し採血する。
こうやって蘇生できることがあるのだから、すばらしいことだ。先月に担当した患者さんも、病院で運ばれた直後と、入院病棟にあがった直後に2回も心臓が止まったのに、蘇生し、さらに最高なことに、脳機能が保たれた。そのうち家に帰るだろう。そのほかのケースでは、心臓だけ動いて植物状態になるか、心臓が少し動いても数時間から数日で亡くなる。そして、おおくの、ほとんどのケースでは、心拍は戻らない。
前置きが長くなったが、この記事を書いた先生が言うのは、うまく行かなかった場合に、多くの医師が、「蘇生がうまく行かなかった」と受けとめるばかりで、「患者さんが亡くなった」という重要な場面であることから目をそむけているのではないか、ということである。彼女の研修医時代の経験では、リーダーが
"Code is called."
(蘇生を中止する)
と言ったとたん、医師たちが何事もなかったかのように立ち去り、振り返ると患者さんがまるで打ち捨てられたかのように横たわっていたという。みんな何も感じていないわけではないだろうが、もっとこういった場面に感じることや、かけるべき言葉などについてオープンに話し合うべきではないか、と彼女はいう。
家族には事前に説明をしてあることもあるし、到着してから改めて死亡確認をする。そのときには患者さんはきれいにされている。でも、蘇生を中止したときにも、なにか患者さんに敬意を示す儀式があってもいいと思った。法律上、医師が死亡確認した時間が死亡時刻になるので、家族に「○時○分、ご臨終です」と言った時間を死亡時刻にすることが多い。かえって、蘇生を中止したときにそこにいるみんなの前で「○時○分、ご臨終です」とやって黙祷したほうがいい気もする。