この節では①若い医師は「知らない」と言えることが何より大事、②超緊急、準緊急、非緊急のトリアージができるようになろう、③ロールモデルに付いて学ぼう、ということが書かれていた。そして③のなかでふたつのエピソードが紹介されていた。
一つ目は、本の著者が付いた家庭医学の創成期に活躍したDr. J Roy Guytherで、彼が忙しい午後の外来ですでに時間がビハインドであるにもかかわらずある老年女性患者の多彩な主訴一つ一つに耳を傾け、最後医師がドアを出る直前に「あの、先生…」という"oh by the way" questionとか"hand on the door knob" concernとか言われる例のアレを受け、嫌な顔せずにその問題について話し合ったことだ。この光景を目の当たりにした著者はそれが頭に焼きついたという。
いまでは多彩な主訴をもつ患者の外来診療では「そのなかで今日はどれを話し合いましょう?」と絞るskillが教えられるし、実際身体診察するヒマもない日本の外来では多彩な訴えにかまう余裕はないかもしれない(各専門科に振ってしまえばいいか、というのは悪い冗談だが)。まあ最近はアメリカでも一人当たりの外来診察に割り当てられる時間は減っているから、アメリカのほうがむしろ医業収入を出せずクビになるかも知れない。
でも診療最後の「あの、先生…」という"oh by the way" questionとか"hand on the door knob" concernとか言われる患者の訴えを軽視したり見落としてはならないというのはよく知られた事実であり、それが診療のカギになることもあるし、患者満足度もあがる。
二つ目は、やはり家庭医学の草分け的存在のDr. Edward Kowalewskiの例で、ある日の診察である患者が「自分はいま人を殺してきたところだ」と曝露した。そこで医師は机の裏についたボタンを押した。これが銀行なら、通報されて警備・警察がやってくるところだが、このボタンはなんと"do not disturb"を意味するボタンで、廊下側からはその部屋のランプが赤く点灯するようになっている。そこで彼は患者と90分あまり話した後、一緒に警察署に行って患者は自首した。
現場がパニックになるところを、平静の心と誠実な心で患者に接することで収めるスキルと自信をこの先生は持っていたということだ。医者の仕事ではない?そうかもしれない。しかし患者は助けを求めて医師の元に来た。助けを求める者を癒す力、まさに医のアートをまざまざと見せ付けられた思いだ。