この本の第五章の最後を飾るPaul Farmerは余りにも有名だし、彼のことを書いた本は邦訳も出ている(国境を越えた医師―Mountains Beyond Mountains) から私が書くことはあまりないが、彼がしていることは世界の医療不均衡との戦いだ。医師というか、anthropologist(博愛主義者)だ。しかし私が学生時代に彼を知ったきっかけはこの引用句だったと思う。
The only non-compliant people are physicians. If the patient doesn't get better, it's your own fault. Fix it.
すごいことを言う人だな、と思った。それからこの言葉は私の脳に刷り込まれ、患者さんがよくならない時にすぐ患者さんのせいにする医師は無視して、まず「自分の診断、治療に間違いはないか?」と自問する癖がつくようになった。言うは易し行うは難しだが、正しい診断と正しい治療をすれば患者さんはよくなるはずで、それができるようにならなければならない。
さて第五章まで読んで、ここからは第六章がSurvival Tips for the Young Physician、第七章がCivility、第八章がLessons learned from Private Practice、終章がThe Healerだ。第六章、第八章などは具体的なアドバイスがありそうで楽しみだ。第七章のcivilityも内容が気になるし、終章がどう締めくくるのかも興味深い。
人と外国語と音楽が好きで、世界に通用する実力と癒やしをもったお医者さんを目指しています。国内外いろんなところでいろんな経験をしてきて、逆境も多かったけど、そのぶん得られたしなやかな強さと優しさをもって、周りの世界を少しだけ幸せにできたらなと思っています。
11/13/2014
Non-philosopher philosopher
Edmund D. Pellegrinoは職業倫理と生命倫理の分野でアメリカを代表する学者だ。彼は患者-医師関係の重要性を認識することはバイタルサインを取ることと同じくらい重要だと私達に突きつける。そして患者-医師関係は患者の利益、患者への善を中心においた関係であり、それは築かれると共に時には守られなければならないと説く。たとえば彼はThe Commodification of Medical and Health Careという論文でPlatoを引用している;
But tell me, your physician in the precise sense of whom you were just speaking, is he a moneymaker, an earner of fee or a healer of the sick?
私達はこの問いについて考えなければならない。そして考えることは哲学の始まりだというSocratesの言葉をPlatoは引用している。だから私達はnon-philosopher philosopherなのだ。私達は無償で医療サービスを提供するほどナイーブではないけれど、医療は産業だと言い切ってはいけないような気持ちにもなる。しかし医療費は年々増加しているし、病院としては利益率をあげなければならない(いつだったか「休日の退院はベッドが空床になるのでその辺を良く考えるように」と言われて驚愕したことがある)。
Pellegrino先生はまた、道徳についても説いておりそれが元になってAmerican Medical Associationが2001年にPrinciples of Medical Ethicsを採用することにもなった。Platoは徳の四要素にfortitude(逆境に負けない強さ)、temperance(節制)、justice(公正)、wisdom(智恵)を挙げているがPellegrino先生はこれにfidelity to trust(信頼がおけること)、compassion(共感)、integrity(それらを統合すること)、self-effacement(自分より他を優先すること、謙虚なこと)、そしてphronesis(アリストテレスの用語で洞察力のこと)を加えた。
一日が終わったときに「ああ、今日も症例や手技に対してお仕事をしたな」と感じるか「ああ、今日も自分の経験と知識と能力を活かして病み苦しむ患者さんとその家族を癒したな(あるいは癒えるのを助けたな)」と感じるか。原点を考えさせられた。やはりこの本はよい(著者がPellegrino先生に会いに行ったら「この手の本は30年くらい出ていない、よくやれよ」と言われたそうだ)。つねに後者の道徳観を忘れていないか、戒めなければならない。
But tell me, your physician in the precise sense of whom you were just speaking, is he a moneymaker, an earner of fee or a healer of the sick?
私達はこの問いについて考えなければならない。そして考えることは哲学の始まりだというSocratesの言葉をPlatoは引用している。だから私達はnon-philosopher philosopherなのだ。私達は無償で医療サービスを提供するほどナイーブではないけれど、医療は産業だと言い切ってはいけないような気持ちにもなる。しかし医療費は年々増加しているし、病院としては利益率をあげなければならない(いつだったか「休日の退院はベッドが空床になるのでその辺を良く考えるように」と言われて驚愕したことがある)。
Pellegrino先生はまた、道徳についても説いておりそれが元になってAmerican Medical Associationが2001年にPrinciples of Medical Ethicsを採用することにもなった。Platoは徳の四要素にfortitude(逆境に負けない強さ)、temperance(節制)、justice(公正)、wisdom(智恵)を挙げているがPellegrino先生はこれにfidelity to trust(信頼がおけること)、compassion(共感)、integrity(それらを統合すること)、self-effacement(自分より他を優先すること、謙虚なこと)、そしてphronesis(アリストテレスの用語で洞察力のこと)を加えた。
一日が終わったときに「ああ、今日も症例や手技に対してお仕事をしたな」と感じるか「ああ、今日も自分の経験と知識と能力を活かして病み苦しむ患者さんとその家族を癒したな(あるいは癒えるのを助けたな)」と感じるか。原点を考えさせられた。やはりこの本はよい(著者がPellegrino先生に会いに行ったら「この手の本は30年くらい出ていない、よくやれよ」と言われたそうだ)。つねに後者の道徳観を忘れていないか、戒めなければならない。
11/12/2014
研究と臨床と教育(aka Theodore E. Woodward)
Theodore E. Woodwardは著者の大学(Maryland大学)にいた医師で、すぐれた研究者でチフスなどの感染症研究でノーベル賞にノミネートされ、すぐれた教育者で学生が選ぶ賞(Golden Apple Teaching Awardと呼ばれ、米国のどの医学部にもある)とfacultyが選ぶ賞を殿堂入りするほど受賞し、かつ情熱的な臨床医師でブリザードが吹いて多くの医師がこれなかった日も平然とやってきて(もう80歳になろうという頃で自分が直接患者を診る業務はなかったのに)「除雪車にヒッチハイクで乗せてもらったよ」と言うような人だったそうだ。
こういう研究も臨床も教育も一流な人というのは、確かに存在する。私でいえばアイオワ時代の今は亡き恩師がそうだった。皆さんの周りにもいるだろう。どうしたらなれるのか?いまは細分化、分業化がすすみ教育は教育、臨床は臨床、研究は研究に分かれているからレーダーチャート(うちの院長が好む言葉だが)を傘のように広げるのは無理なのだろうか?米国のacademicianは、臨床何%、研究何%、教育何%と決めて仕事をするという。しかし1/3ずつやる人はまずいない。大学にいる医師はphysician scientistかclinician educatorかhospitalistだ。
で、私はclinician educatorを目指してやってきた。そしてsemi-academicな環境(community teaching hospitalで、大学ではない。医局にも入っていない)にいる。いまはエネルギーを蓄える時期だからアクティブな活動はできないが、考える時間はもらえている。今まではbed-side teachingとprofessionalismとclinical reasoningとefficient workについて教えるのが好きだった(得意だったから)。これからはどうだろう。目標は何度変わってもいい。歩き続けることが重要で、そうすればいつかどこかにたどりつくだろう。
こういう研究も臨床も教育も一流な人というのは、確かに存在する。私でいえばアイオワ時代の今は亡き恩師がそうだった。皆さんの周りにもいるだろう。どうしたらなれるのか?いまは細分化、分業化がすすみ教育は教育、臨床は臨床、研究は研究に分かれているからレーダーチャート(うちの院長が好む言葉だが)を傘のように広げるのは無理なのだろうか?米国のacademicianは、臨床何%、研究何%、教育何%と決めて仕事をするという。しかし1/3ずつやる人はまずいない。大学にいる医師はphysician scientistかclinician educatorかhospitalistだ。
で、私はclinician educatorを目指してやってきた。そしてsemi-academicな環境(community teaching hospitalで、大学ではない。医局にも入っていない)にいる。いまはエネルギーを蓄える時期だからアクティブな活動はできないが、考える時間はもらえている。今まではbed-side teachingとprofessionalismとclinical reasoningとefficient workについて教えるのが好きだった(得意だったから)。これからはどうだろう。目標は何度変わってもいい。歩き続けることが重要で、そうすればいつかどこかにたどりつくだろう。
11/10/2014
忘れられない一言 24(aka Schweitzer)
この本の第四章を締めくくる巨人はAlbert Schweitzerで、この人についてもまた多くがすでに語られているので私が書くことはあまりないが、やはり何といってもこの人はserve(またはservice)ということの重要性を教えてくれる。彼はこんなことを言っている。
I do not know your destiny, but I do know one thing; the only ones among you who will be really happy are those who will have sought and found how to serve.
You ask me to give you a motto. Here it is: service. Let this word accompany you as you seek your way and your duty in the world. May it be recalled to your minds if ever you are tempted to forget it or to set it aside. Never have this word on your lips, but keep it in your hearts And may it be confidant that will teach you not only to do good but to do it simply and humbly. It will not always be comfortable companion but it will always be a faithful one. And it will be able to lead you to happiness, no matter what the experience of your lives are.
サービスという言葉は、「サービス残業」のようになんとなく不当に尽くす(使われる)イメージで捉えがちだが、彼はそれを徹底的に肯定的に捉え、結果アフリカのジャングルまで行って、みんなにもサービスを行えと言っている。一方で彼が30歳になるまでは自分のために時間を使う(30歳になったら人類に尽くす)と決めていたことも伏線に考慮しなければならないが。
私は、サービスと言う言葉は相手に良いようにつかわれる(そういえばservantと言う言葉もある)のではなく自分から自分を使って自主的に相手に尽くすことを言うのだと思いたい。これを書いているのも、自分の英語力を使って、医学教育の曖昧な領域を補完する助けになればと思ってのことだ。彼が言うようにsimply、humblyに。
I do not know your destiny, but I do know one thing; the only ones among you who will be really happy are those who will have sought and found how to serve.
You ask me to give you a motto. Here it is: service. Let this word accompany you as you seek your way and your duty in the world. May it be recalled to your minds if ever you are tempted to forget it or to set it aside. Never have this word on your lips, but keep it in your hearts And may it be confidant that will teach you not only to do good but to do it simply and humbly. It will not always be comfortable companion but it will always be a faithful one. And it will be able to lead you to happiness, no matter what the experience of your lives are.
サービスという言葉は、「サービス残業」のようになんとなく不当に尽くす(使われる)イメージで捉えがちだが、彼はそれを徹底的に肯定的に捉え、結果アフリカのジャングルまで行って、みんなにもサービスを行えと言っている。一方で彼が30歳になるまでは自分のために時間を使う(30歳になったら人類に尽くす)と決めていたことも伏線に考慮しなければならないが。
私は、サービスと言う言葉は相手に良いようにつかわれる(そういえばservantと言う言葉もある)のではなく自分から自分を使って自主的に相手に尽くすことを言うのだと思いたい。これを書いているのも、自分の英語力を使って、医学教育の曖昧な領域を補完する助けになればと思ってのことだ。彼が言うようにsimply、humblyに。
Imperturbability
そうそう、Sir Oslerのところでimperturbabilityという語にであった。これは「動じないこと」で、有名なaequanimity(平静の心)が心の持ちようだとすれば、imperturbabilityはそれを持って行動することだ。Codeのとき、まず自分の脈をチェックしろなどと言われるが、経験と知識を深めて予想外の出来事にも動じない態度を身につけなければならない。
忘れられない一言 23(aka Peabody)
Francis Weld Peabodyはハーバード大学の教授をしながら市中病院でmedical serviceにも当たった人だが、この医師がこの本で取り上げられているのは、20世紀に医学が患者を治すべき対象の機械のように扱いはじめたことに強い憂慮を覚えそれに対して警鐘を鳴らしたからだ。彼はJAMAにCare of the Patientという人間性を大事にすべきだという警句を連載し、それは後にDoctor and Patientという彼の著作集に含められることになった。例えば彼はこんなことを言っている;
The good physician knows his patients through and through, and his knowledge is bought dearly. Time, sympathy, and understanding must be lavishly dispensed, but the reward to be found in that personal bond which forms the greatest satisfaction of the practice of medicine.
これを読むと、私が初期研修をしていたときに教えに来た米国人医師の恩師を思い出す。最初に彼に会ったときにはその病歴・身体診察などの鋭い観察に基づく診断能力と膨大な知識に舌を巻いたが、米国で彼の診療を見たときには彼がまさにここに書かれたようにたくさんの時間とsympathyとunderstandingを使って患者さんのことを知り尽くしている、その凄さを尊敬した。患者さんはpatientsであるまえにpeopleであることを忘れてはならないと改めて思う。
The good physician knows his patients through and through, and his knowledge is bought dearly. Time, sympathy, and understanding must be lavishly dispensed, but the reward to be found in that personal bond which forms the greatest satisfaction of the practice of medicine.
これを読むと、私が初期研修をしていたときに教えに来た米国人医師の恩師を思い出す。最初に彼に会ったときにはその病歴・身体診察などの鋭い観察に基づく診断能力と膨大な知識に舌を巻いたが、米国で彼の診療を見たときには彼がまさにここに書かれたようにたくさんの時間とsympathyとunderstandingを使って患者さんのことを知り尽くしている、その凄さを尊敬した。患者さんはpatientsであるまえにpeopleであることを忘れてはならないと改めて思う。
忘れられない一言 22(aka Sir Osler)
Sir William Oslerについては多くの人に語られているが、この本を読んで彼がTeacher and Studentという著作のなかで学ぶ者が修めるべき性質についてリストしているのを知った。一つ目は、”art of detachment”。すなわち遊びと学びのメリハリをつけること。二つ目は、”virtue of method”。これはシステマティックな学習を習慣化すること。三つ目は、”thoroughness”。無知も間違いも隠さず徹底して真理を学ぶこと。四つ目は、なぜかこの本に書いてない。邦訳された『平静の心‐オスラー博士講演集』に載っているかもしれないからあとでチェックしてみよう。
ただこの本ではSir Oslerが類稀なる観察力で科学的に臨床医学、病理学を発展させたことや、学生を病棟に連れてきて教える方式を取り入れたといった良く知られた業績のほかに、彼が心身医学の父として知られていることが紹介されており興味深かった。心身症を認めようとしない患者や家族に彼はよくこんなたとえ話をしていたという。
The body and mind are like husband and wife, when one doesn’t feel well, the other sympathizes.
ただこの本ではSir Oslerが類稀なる観察力で科学的に臨床医学、病理学を発展させたことや、学生を病棟に連れてきて教える方式を取り入れたといった良く知られた業績のほかに、彼が心身医学の父として知られていることが紹介されており興味深かった。心身症を認めようとしない患者や家族に彼はよくこんなたとえ話をしていたという。
The body and mind are like husband and wife, when one doesn’t feel well, the other sympathizes.
11/05/2014
忘れられない一言 21(aka Maimonides)
Moses Maimonides(Rabbi Moses ben Maimon、Rambam)はイスラム・ペルシャ文化全盛期を生きたユダヤ人で、ユダヤ教信徒にとっては医師よりむしろ聖職者として有名な人である。RhazeもAvicennaも情熱を持って敵味方・貧富に関係なく患者を癒したが、医のアートと医学教育を語る上で彼ほど献身的に患者や若い医師に尽くした人はいないそうで、Osler卿は彼の情熱と智恵に敬意を込めて彼を”Prince of Physicians”と呼んでいる。
Maimonidesは「Maimonidesの誓い」と「Maimonidesの祈り」の二つでも知られている。これは実際には彼の言葉ではなくImmanuel Kantの弟子Markus Herzの言葉だとも言われているが、誓いのなかにこんな言葉があって私達の襟元を正してくれる。
Today he can discover his errors of yesterday and tomorrow he can obtain a new light on what he thinks himself sure of today. Oh, God, Thou appointed me to watch over the life and death of Thy creatures; I am ready for my vocation and now I turn unto my calling.
前半は「昨日より今日、今日より明日」と言っているわけだが、ともするとルチーンな「お仕事」になってしまう私達へのよい戒めだ。後半は、自分は神に神の創造物の生死をwatch overするよう選ばれたと言っている。このwatch overという言葉には、生死をどうこうするのは神で、自分はそれをアシストするという意味が込められているように思える。Maimonidesもまたヒポクラテスに始まりいままで紹介した医師達と同様に、生活習慣や食事を治療の根幹に置いていたが、それは現代にも通じる話だ。
Maimonidesは「Maimonidesの誓い」と「Maimonidesの祈り」の二つでも知られている。これは実際には彼の言葉ではなくImmanuel Kantの弟子Markus Herzの言葉だとも言われているが、誓いのなかにこんな言葉があって私達の襟元を正してくれる。
Today he can discover his errors of yesterday and tomorrow he can obtain a new light on what he thinks himself sure of today. Oh, God, Thou appointed me to watch over the life and death of Thy creatures; I am ready for my vocation and now I turn unto my calling.
前半は「昨日より今日、今日より明日」と言っているわけだが、ともするとルチーンな「お仕事」になってしまう私達へのよい戒めだ。後半は、自分は神に神の創造物の生死をwatch overするよう選ばれたと言っている。このwatch overという言葉には、生死をどうこうするのは神で、自分はそれをアシストするという意味が込められているように思える。Maimonidesもまたヒポクラテスに始まりいままで紹介した医師達と同様に、生活習慣や食事を治療の根幹に置いていたが、それは現代にも通じる話だ。
忘れられない一言 20(aka Avicenna)
Rhazeの次に紹介されているのが有名なAvicenna(Abu Ali Sinna、またはHakim Ibn Sinna)だ。この人はBook of Healingと、14冊からなり以後700年にわたり医学書の基礎として伝承されることになるCanon of Medicineという本を書いたペルシアの医師だ。あのOsler卿もこの本を”a medical bible for a longer time than any other work”と記している。
彼もRhaze同様に観察を重視したがそれを広げ、実験したり治験したり感染症の概念を提唱して検疫をはじめたりした。またRhazeとちがい先人から学ぶ姿勢が旺盛で、ヒポクラテス、ガレン、アリストテレス、Rhaze、そしてインド医学の影響を受けた。心身のつながりについてもよく言及し、王子が恋人に振られたあとは彼女の名前や住所を聞いただけで不整脈がでたのに、よりを戻したらたちまち治ったエピソードを紹介しており笑える。Avicennaの節を著者はこう締めくくっている。
He reminds us to look back to our ancestors and learn from them to create new knowledge in a scientific manner and to use the information gained to reach out and heal our current patients.
彼もRhaze同様に観察を重視したがそれを広げ、実験したり治験したり感染症の概念を提唱して検疫をはじめたりした。またRhazeとちがい先人から学ぶ姿勢が旺盛で、ヒポクラテス、ガレン、アリストテレス、Rhaze、そしてインド医学の影響を受けた。心身のつながりについてもよく言及し、王子が恋人に振られたあとは彼女の名前や住所を聞いただけで不整脈がでたのに、よりを戻したらたちまち治ったエピソードを紹介しており笑える。Avicennaの節を著者はこう締めくくっている。
He reminds us to look back to our ancestors and learn from them to create new knowledge in a scientific manner and to use the information gained to reach out and heal our current patients.
忘れられない一言 19(aka Rhaze)
この本の第三章は中世の医師たちを紹介している。中世の医師といえばGalenを想像する人が多いだろうが、この本ではRhaze、Avicenna、Maimonidesの三人を紹介している。Rhaze(Abu Bakr Muhammad ibn- Zakariya Razi)はContinens Liber(The Large Comprehensive)という9冊からなる集大成を著したことで有名なペルシアの医師で、Galenの体液説を公的に否定した最初の人だ。本に書かれたことよりも、自分で観察し考察することを重視した彼は、こんなことを言っている;
All that is written in books is worth much less than the experience of a wise doctor.
科学技術が進んで知識が集積した現在を生きる私達は本を読んで医学を勉強する。それは本に書かれた内容がすでにwise doctor達のcollectiveな経験、またはevidenceに基づいたものだからだ。だから症例検討会などで経験豊かな先生が「(私の経験によれば)これはこうだ」などと言っても、心のどこかで「ああそうですか」と思うことがある。でもそれは、それでいい。というか、自分も自分なりの観察と経験で意見を持てばいい話だ。
All that is written in books is worth much less than the experience of a wise doctor.
科学技術が進んで知識が集積した現在を生きる私達は本を読んで医学を勉強する。それは本に書かれた内容がすでにwise doctor達のcollectiveな経験、またはevidenceに基づいたものだからだ。だから症例検討会などで経験豊かな先生が「(私の経験によれば)これはこうだ」などと言っても、心のどこかで「ああそうですか」と思うことがある。でもそれは、それでいい。というか、自分も自分なりの観察と経験で意見を持てばいい話だ。
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