3/07/2015

私達のチームへようこそ(^o^) 2/4

2.プレゼンの仕方
 先生の一番の見せ場、それは回診時のプレゼンです。私達は先生に、カルテと同様なSOAPフォーマットを求めます。すなわち、 
S(ubjective):患者さんの症状
O(bjective):客観的なデータ
A(ssessment):アセスメント
P(lan):プラン 
 です。それぞれについて簡単に説明しましょう。 
S:「よくなった」では何がどう良くなったのかわかりません。先生は私達チームを代表して診察しているのですから、痛みが10/10から5/10になったとか、食欲が改善して朝ごはんを全部たべたとか、具体的に聞いてきてください。それから、前日午後からの大きな動きがあれば、それもここで説明するとスムーズです。【アドバイス!】担当看護師さんに「〇〇さんはどうですか?」と一言聞けるようになると、できる医師です。 
例 昨夜3時頃にせん妄で転倒しました
例 昨夜に緊急開腹手術をうけ、術後はICUに転床しました 
O:まず最初にバイタルサインを述べてください。それから診察所見、検査所見。朝忙しいのはわかりますが、先生は私達チームを代表して診察しているのですから、私達が知りたい所見を報告することが期待されます。たとえば皮疹だったら範囲の変化、肺炎だったらcrackleの変化など。また私達は腎臓内科なので、頚静脈怒張、足の浮腫、体重、尿量などがとくに重要です。それから腎臓内科なので、血液検査では基本生化学(Na、K、Cl、BUN、Cr)がとくに重要です。 
A/P:前項の『カルテの書き方』の要領で、各プロブレムについて
 ① 原因をどう考え ② どんな検査や治療をしていて
 ③ それにどう反応しており(あるいはしておらず)  ④ それについてどう考え ⑤ 今日は何をしたいのか 
 を述べてください。先生が各患者さんのプロブレムを把握することは、診療にとってとても大事なことです。回診でプレゼンするときに(えっと、この患者さんにはどんなプロブレムがあったっけ…)とあたふたするのも最初は仕方ないことです。しかし自分なりに工夫して、できるだけプロブレムを漏らさず、それらについて自分の考えとその日やりたいことを考えてください。
 
 とにかく、間違ってもいいから自分の考えを持つことが大事です。わからない時は、わからないといってくれてOKです、そんな時こそ私達はよろこんで教えます。ここでのやり取りにこそ教育的な価値があり、だからこそ回診では研修医の先生がプレゼンするのです。そうでなければ、ただの言いなりになってしまいます。難しいと思いますが、少しずつやっていきましょう。


私達のチームへようこそ(^o^) 1/4

 以前、腎臓内科(といっても一般内科の患者も取っていたが)ローテーター向けに書いた資料を公開する。
はじめに 
 ようこそ、私たちのチームへ。このチームは、初期研修医のあなたに期待されること、働き方などがほかのチームと少し違います。だから、それらについてこうして最初に説明することにしました。 
1.先生に期待される三つのこと 
わからないことを聞く
うそをうつかない
楽しくやる 
①について:私たちが先生に最も期待することは、先生が学ぶことです。そして私たちが最も大事と考える仕事は、先生が知らないことを見つけて教えてあげることです。先生が知らないことは、先生のせいではありません。私達も恩師に知らないことを全部聴いて、全部教わって成長してきました。いまでもそうです。それに、先生の質問に私達が答えられないこともあるでしょうし、そこから診療の重要なカギが見つかることもあります。ですから、どんどん分からないことを聞いてください。 
②について:私たちは「これは問診しましたか?」「これは診察しましたか?」「この検査データはみましたか?」「これについては考えましたか?」とたくさん聞きます。先生がすべての答えを持っていると期待しているのではなく、患者さんの診療の質を高めるためです。私たちは先生がどれだけ優秀でも、先生が知らないことをみつけて教えるのが仕事です。だから恐れずに、「知りません」「できませんでした」とためらいなく言ってください。 
③について:私達は『仕事は厳しく、職場は楽しく』をモットーに働いています。仕事中は分からないことを聞かれて萎縮したり、忙しくてふてくされたりすることがないよう配慮しますし、お昼ご飯など休憩中は仕事の話をあまりしません。それは、各人が最も機能するのは各人が自分らしくある時で、各人が最も自分らしくあるのは各人が楽しいときだと信じているからです。だから、楽しくやりましょう。楽しくなければそういってください、楽しくするよう工夫します。




3/04/2015

Time to Heal 目次

 最後に、目次。この本は、アメリカの教育にかかわるファカルティーなら誰でも持っている本だから日本でも役立つかなと思って私も買った(翻訳を出版社に持ちかけたこともあるが興味あるひとは原書を読むだろうとのことで没になった)のだが肝腎の自分が読んでいなかった。いま時間があるから読んでみよう。
第一部 社会契約を果たす:医学教育が人々から信託をうけて信頼をつかむまで 
1.システムを作る
 進歩的な医学教育
 資金調達
 医療と大学
 教育病院の出現
 社会との契約を作る 
2.戦間期のアメリカの医学部
 教育
 研究
 大学スタッフの文化
 多様性と発展
 ハーバード医学部の発展 
3.卒前の医学教育
 入学選抜
 不確定さを扱う訓練
 隠れたカリキュラム
 学生生活
 教育の限界 
4.卒後医学教育の発展
 インターンシップとレジデンシーの創造
 監督下から責任へ
 研修医を選ぶ
 ストレスとサポート
 卒後医学教育と人々の関心 
5.教育病院
 大学と一緒になる
 時間の存在
 病棟業務 
6.アカデミック医療センターと社会の人々
 タウンとガウン
 貧しい人々の診療
 医学教育と国全体の健康 
7.第二次世界大戦と医学教育
 戦争のための動員
 病気との戦い
 医学的楽観主義の極致 
第二部 マンモス大学時代の医学教育:豊かな時代に成長する研究と医療 
8.研究の優位性
 連邦政府による善行の時代
 知性の進む方向が変わる
 アカデミックな伝統の衰退 
9.臨床業務の拡大
 アカデミック医療センターと医療需要の増加
 アカデミックな価値の持続
 学習環境の保存 
10.卒後医学教育の成熟
 レジデンシーの民主化
 サブスペシャリティー研修の発展
 変わる研修医の生活 
11.忘れられた医学生
 進化するカリキュラム
 変わる医学生
 より多くの医師を育てる
 教育の地位の格下げ 
第三部 崩壊する社会契約:浸食される大学の価値、低下する公共性、始まる医学教育の第二次革命 
12.メディケア、メディケイドと医学教育
 エスカレートする臨床業務
 医療システムの一元化に向けて
 大学の理想とする価値の反転 
13.抗議と公民権運動の時代における医学教育
 学生運動
 好戦的になる研修医
 マイノリティー
 女性 
14.ストレス下におかれるアカデミック医療センター:外圧
 都市の衰退
 患者の獲得競争
 政府との新しい敵対関係 
 限界の時代の夜明け 
15.ストレス下におかれるアカデミック医療センター:内部のジレンマ
 分子の医学、いなくなる教師たち
 変化のない改革
 卒後医学教育のジレンマ 
16.内部の倦怠
 かじのない船
 人々の信託としてのアカデミック医療センターの衰退 
17.コスト抑制とマネジドケアの時代における医学教育
 市場への隷属
 なくなる時間、浸食される学習環境
 積極的な言葉、対策の行動 
18.第二次革命期
 独占所有的なシステムの再出現
 医学教育が時代に適切でなくなっていく
 社会契約を復元する 
文献 
索引

Time to Heal 序章

 次に、序章。

 20世紀が「健康の世紀」と呼ばれているのはほとんど偶然ではない。アメリカ人はその間、平均寿命が一気に延びる、乳幼児死亡率が減る、歴史が始まって以来ずっと人類を悩ませ続けた感染症と低栄養による疾患がコントロールされる、がん・冠動脈疾患・脳梗塞など現代の致死的な疾患に対して重要な進歩がみられる、などの恩恵に浴してきた。CTスキャン・臓器移植などの驚異的な技術は、遺伝医学とバイオテクノロジーの進歩と同様にひとびとを驚かせた。最近できた羊のクローン(そしてヒトのクローンも出来るかもしれないこと)と、WHOが拡大した健康の定義(病気がないだけでなく、身体的・精神的・社会経済的・スピリチュアルに幸せなこと)と、どちらがより空想科学のように聞こえるか分からない。 
 米国医療がこれらを達成するのに、わが国の医学部と教育病院(または、これらを併せたよくある呼び名であるアカデミック医療センター)ほど大事な要素はない。これらの重要さは、わが国の医師を養成し、新しい医学知識を作り出し、革新的な診療を提案しまた評価し、手に入るもっとも高度な医療を提供することにある。20世紀のほとんどの間、一般の人々は感心すべきことに好意的に医学部と教育病院のニーズに応じてきたし、それにより教育・医療機関は発展してきた。しかしながら、アカデミック医療センターは発展すると同時に閉鎖的で狭量になり、世紀の終わりには人々はそれまで伝統的に続けてきたサポートの多くを取りやめた。2000年が近づくにつれ、医学部と教育病院は危機に陥り、将来のアメリカの医療の質が落ちるのではと心配されるようになった。このアカデミック医療センターの矛盾―こんなに発展してわが国の健康を支える中心だったのに、いまやこんなにも危機的なこと―が、以降に続くページで語られる物語の中心的な関心事である。

* * *

 本書は20世紀の初めから現在までの医学教育の歴史を、各部分をつなぎ合わせて総合的に書いて提供することを意図している。主な関心は医学部の4年間―卒前医学教育の時期―である。しかし、本書は他にも医学部入学前のトレーニング、選抜過程、レジデンシーと専門医教育(卒後医学教育)、研修医療機関、社会とそれに貢献するために生まれたアカデミック医療センターとの複雑なやりとりなど、多くのトピックについて取り上げている。話は医学教育のための資金調達、医学研究の拡大、医学部の新設、マイノリティーや女性の医学生が直面した問題、変わる教育と研究の関係、科学技術時代に医のアートを保つ難しさ、医学教育が伝統的に扱ってきた患者層の浸食、医学部と教育病院の複雑な関係、医学部と大学の複雑な関係、アカデミック医療センターと周辺地域との複雑な関係などに及ぶ。 
 この歴史はおおかた人々についての研究であり、単に医療教育機関についての研究ではない。最も重要な課題は医学生、研修医、大学教育スタッフ、事務、患者が経験してきたことを捉えなおすことと、一世紀の間に医療界の日々の生活がどのように変容したかを記述することである。同じように、本書はこれらの異なるグループどうしの関係、たとえば大学教育スタッフがどのように医学生と研修医に対して権威を示したか、教わる側がどのように教える側が知らないことは知らないと正直であるように促し続けたか、学ぶ側がときに厳しい研修条件にどう対処したか、そして医学生と患者の関係がどのように変化したかなども調べている。本書はまた、入学特別枠や「タウン」(市中の医師)と「ガウン」(大学教育スタッフ)の今も続く敵対関係など、医学教育の歴史におけるいくつかの見苦しい出来事についても検証している。 
 伝統的に、医学史の著作のほとんどは医学の知的な発展(「内からの」やり方)あるいは社会・経済・政治の文脈からみた医学(「外からの」やり方)を強調してきた。本書は両方の見方を統合しようと試みたのが特徴である。この議論にとって、医学の内部からの発展、とくにどんどん還元主義的(分子レベルの分析)になる医学知識がもたらした医学教育と医療の変化は重要だ。しかし、本書はまた医学教育を外部からの文脈から解釈している。外部からの文脈とは、アメリカの高等教育、変容する医療提供システム、20世紀の主な文化の動向などだ。 
 社会学的な見方は強く本書に浸透している。観察で際立っていたのは、医学教育の力は限られているということだ。とくに、思いやりがあって、社会的に責任を持ち、すべての臨床場面で患者さんの擁護者となれるような医師を育てる能力が限られている。実に、医師の振る舞いの多くは、医学の道を選ぶもとになる性格や価値観、その時代の文化的背景、臨床をしながら報われたと感じさせやる気にさせる特定のことなど、医学部の外からの影響を反映している。医学教育と社会のあいだの交渉の結果が、その時代の医師たちの力量に現れると認識することが重要である。現在の医師たちがどんなであるかは、単にアカデミック医療センターの努力ではなく、私たちがどんな人たちでどんな社会かを反映している。人々は結局、その国に見合っただけの力量の医師に診てもらうしかないといっても過言ではないだろう。 
 医学部ごとが多くの点で似通っていることを考えれば、アメリカ医学教育についてそれらをまとめて話すことも可能である。全ての医学部は認定を受けるために統一された標準に従っているし、どの医学部でも教えている知識の総量は同じだし、全ての医学部の卒業生はアメリカのどこででも働く資格がある。しかし、医学部どうしの間に著しい多様性が存在することを認識することも同等に重要である。私立医学部もあれば、公立医学部もある。ほとんどは臨床業務に大きな教育病院を利用しているが、新しい医学部の多くはより小さな市中病院を利用している。研究活動のレベルは医学部ごとに大きな差があり、プライマリケア医の育成やマイノリティ人種の教育など、特別な使命への責務についても同様だ。地域ごとの独特な伝統のない医学部などない。本書で個々の学校について説明することは不可能だが、この共通性と個別性という二重の見方はアメリカの医学部を十分に理解するのに重要である。 
 時には、アメリカ医学教育の変容を強い外力への医学部と教育病院の対応として解釈したくなることもある。ここで言う外力とは、大恐慌、第二次世界大戦、NIH、私的医療保険、メディケアとメディケイド、マネジドケア運動などだ。しかし、この見方は部分的にしか正しくない。なぜなら、個々の医学部と医療機関ごとに外力への対応が異なることも重要だからだ。この事実は、なぜある医学部は相対的に上昇して他の医学部は相対的に下降するのかを説明するのに有効だ。したがって、米国医学教育の歴史を人または個性なしに考察するのは大きな誤りであろう。 
 個々の違いが重要であったからこそ、米国医学教育の発展は予測できる、起こるべくして起こるようなものにはならなかった。あらゆる時点で選択がなされた―そしてあるときはよい結果、またあるときは有益でない結果になった。もし今世紀の終わりにアメリカの医学部と教育病院が不安定な立場にあったとしたら、それは誰かが彼らを害そうと願ったからではなく、自ら悪い決断をしたか、決断によって予測しなかった結果になったからだ。しかし、そうしようと思う人にとっては、医学教育を建設的な方向に動かす機会はまだある。歴史の教訓は、未来はあらかじめ決められているのではないということ、それに個人に変化の余地が残されているということだ。 
* * * 
 本書の範囲が広いことを考えると、主要なテーマを列挙するのは役立つかもしれない。 
 第一次世界大戦までには、アメリカでは近代的な医学部と教育病院が作られており、アメリカ医学教育における最初の革命(1910年に医学教育について影響力の大きな報告書をまとめたエイブラハム・フレクスナーの名を取ってしばしば「フレクスナー革命」と呼ばれる)は完成していた。この革命は医学部が大学を拠点にし、大学スタッフが独自の研究に従事し、学生が実験室での研究や本物の臨床業務など「アクティブな」学習に参加するよう求めた。革命の起源は19世紀なかば、医学はどのように教えられるべきかについて議論が起こった時期にさかのぼる。続いて、知的レベルの革命は社会経済レベルの革命をもたらし、それにより新しい教育の考え方が実践されるようになった。この革命の間に暗黙の社会契約が成立した。社会は医学教育と研究に必要な財政的、政治的、道義的なサポートを提供する。その見返りに、医療施設は社会貢献のために存在するということを忘れず、その成功はアカデミックな業績の質と、アメリカの医療水準を高く維持できるかによって計られる。 
 初めから、近代アメリカ医学部は教育・研究・臨床という三つの使命をもっていた。しかし、これらの活動の相対的な重要性は時と共に変わった。第一次世界大戦から第二次世界大戦までは、教育の使命が最重要であった。教育はそれ自体が目的であり、臨床は教育の質を高めるのに必要な限りにおいてのみ求められた。大学スタッフは学習者(この時期に、医学生だけでなくインターンやレジデントも含むように拡大した)のニーズに特化した教育環境を提供していることを誇りにしていた。 
 医学部は教えると同時に研究にも従事していた。1930年代までには米国は医学研究において世界でトップになっていた。しかし、第二次世界大戦のあと、ほとんどの医療施設では教育に代わり研究が支配的な活動になった。これは主に国立衛生研究所の拡大による。1965年までに、研究を盛んに行う医療機関では政府のグラントと契約が予算の60%以上を占めるようになった。しかし、全ての医学部が富を共有し、だいたいどこの大学でも、研究事業が大戦前には想像できなかったほどのサイズにまで成長した。 
 第一次世界大戦から第二次世界大戦までの期間が教育の時代、そして第二次世界大戦から1965年までが研究の時代であるように、1965年以降は臨床の時代である。1940年代から、アメリカで私的医療保険が広がるとともに、医療機関はどんどん私的医療をするようになっていた。しかし、1965年にメディケアとメディケイドが成立した後は、何百万人の「病棟」(慈善活動として診ていた)患者が一夜にして支払い能力のある患者になったので、大学における臨床の量が急増した。15年のうちに、だいたいどこの医学部でも臨床事業の規模が研究・教育事業のそれを上回り、大学はたいてい収入の50%以上を私的医療から得るようになった。臨床による歳入が増えることで、とくに臨床部門で大学スタッフの数と給料が桁違いに増えた。 
 三つの時代それぞれのあいだに、医学部は巨大に成長した。1910年には、トップ医学部であっても年間予算は10万ドル程度であったろう。1940年までには、その予算は100万ドル、1965年までには2000万ドル、そして1990年までには2億ドルかそれ以上になった。ほとんどの医学部で、この成長は予定外で、新しいプログラムが外から次々と積み上がってできた。1980年代までには、医学部はもはやまとまりのある組織ではなくなっていた。以前はお互いに関係しあって何らかのバランスを取っていた教育、研究、臨床活動は、それぞれがもはやお互いにバランスをとりあうことができないほど拡大した。 
 医学部が成長するにつれ、おおくの明らかな変化が起こった。医学生の教育は、以前は医学部の中心的な使命(であり医学部特有の活動)であったが、1980年代にはアカデミック医療センターの行う臨床活動の副産物になってしまった。世紀を通じて、医学部は大学の一部と医療提供システムの一部に位置づけられてきた。いま、医学部の大学とのつながりは大幅に弱まり、それに対して医療提供システムとのかかわりは増大している。世紀を通じて、アカデミック医療センターは学習者のニーズや医学部が医療提供システムの改善を助けるようにという社会の希望を重視するスタイルとは反対に、主に大学スタッフ主導で発展した。 
 米国において教育が大学において高い優先事項なことはまれであったが、受けられる医学教育の質は高く保たれた。これは、すべての医学の勉強は結局自己学習だったからだ。世紀を通じて、アメリカの医学教育の高い質は正式なカリキュラムよりも、やる気があり有能な学生を集めて枠にはめない学習機会を与えることに依存してきた。この学習環境に必須だったのはよい実験室と図書館、豊富で多様な患者、それに刺激を与える教師と同僚だった。なかでも最も重要なのは、患者とその病態が調べられ理解されるように学習者が患者と過ごす十分な時間を与えられる設定で医学教育が行われることだった。 
 1980年代と1990年代には、マネジドケアの広がりと共に、アカデミック医療センターをサポートする環境が急速に変わり始めた。マネジドケア(医療費と医療サービス提供のさまざまな新しい方法の総称)は医療提供システムの重大で長期にわたる問題を直す試みとして起こった。しかし、じきに、マネジドケアの多くの問題、なかでもそのアカデミック医療センターへの悪影響が明らかになった。マネジドケアの組織は医療に対して最低限の医療費しか払わないと主張した。この新しい環境では、教育・研究・慈善活動としての診療・高度専門医療などにより市中病院よりもコスト高のアカデミック医療センターは直ちに財政難の脅威にさらされた。 
 この状況への各アカデミック医療センターの対応は様々だったが、だいたいどこも、量を診れば損失を補えるのではないかと臨床事業をさらに拡大するように追いやられた。入院日数を減らし回転率を上げ、短時間の矢継ぎ早な外来診療をするなどして大学スタッフが患者をすばやく診れば、より多くの患者を診ることができるだろう。かつて育成した医師と新しく生み出した知識を成功の尺度にしていた医学部と教育病院のスタッフは、施設の利益率と市場価値にいっそう集中して、教育と研究の状況は少ししか議論しなくなった。 
 1990年代後半までには、ほとんどの施設は競争原理と市場原理に対応して臨床収入を維持するかあるいは増大させることに概ね成功した。しかし、その過程で、ほとんどの医学部でアカデミック事業の質を維持するのが大変になった。多くの医学部で、臨床教員と研究者はもっともっと多くの患者さんを診るよう強いられ、ときには教育の責務を置き去りにしなくてはならなかった。さらに密かで深刻だったのは、患者さんが受ける診療のスピードが加速して、教育課題が達成できるように学生と研修医が患者さんを診るのに十分な時間を与えることを真髄の特徴としてきたアカデミック医療センターの学習環境が台無しになったことだ。それと同等に気がかりなのは、よい診療とは短い診療、患者は「消費者」、そして施設スタッフはサービスの質や苦しみを和らげることよりも財政バランスシートについてよく話すことだ、というような商業的な環境でわが国の医師を育てることの長期的な影響だった。そのような環境では、医学生達が医学を学ぶ前から持っていた利他主義と理想主義が正しいと認められることはほとんどなかったからだ。 
 皮肉なことに、1990年代に明らかになったのは医学部と医療施設にとってよいことが医学教育にとって必ずしもよいとは限らないということだった。医学部が財政的に健全でスタッフに高い給料を支払うには教授たちがより多くの時間を診療に割きより少ない時間を教育と研究に割く必要があった。同様に、医学部と教育病院が財政的に健全であるには、学習者が患者とやり取りしてももはや為にならないほど患者をつぎつぎに入院し退院させる必要があった。1990年代の終わりには、医学教育者たちの多くが大学スタッフの診療を支持していたし、医学研究も支持していた。しかし、教育を熱心に擁護する者はおどろくほど少なかった。教育は医学部の伝統的な他の使命と比べて圧倒的に危機に瀕していた。 
 こうして、2000年が近づくにつれて、アメリカ医学教育は二度目の革命期―20世紀のあいだずっと国に役立ってきた医学教育のインフラを覆す時期―に入った。アカデミック医療センターの学習環境は浸食され、大学スタッフによる研究は減り、スタッフの収入は19世紀の営利目的の学校がそうであったように教育や研究よりも主に私的な臨床業務に依存していた。社会と医学教育のあいだにあった社会契約は双方向から壊れた。社会はもはやアカデミック医療センターに十分な財政的政治的サポートをしなくなった。同様に、医療施設は内向きに成長した。彼らは教育を守るために犠牲を払うことにも、質の高い診療を求めて立ち上がる伝統的な責任を果たすことにも消極的なようだった。 
 医学教育と医療は不可分に結ばれているので、アメリカの人々はこれらの出来事が与える影響を憂慮した。医学教育の質が低下し臨床研究が次第に減っているのにアメリカの医療の質が高く維持されているとは想像しにくかった。同じように、医療施設が診療の水準を決め、維持する伝統的な責務を果たすのに消極的なのは、医療の質にとってよい兆候とはいえなかった。1990年代になると、これは小さな関心事ではなく、マネジドケア下の医療の質について多くの深刻な質問が主要メディアで取り上げられた。医学部が信託された患者への義務を医師たちに浸透させていたかは明らかでない。1990年代には社会、医療システム、組織に貢献する医師の話は多かったが、医療教育者から医師が患者の友人、カウンセラー、代弁者である必要についての声は驚くほど少ししか聴かれなかった。 
 21世紀が近づいたが、医学部は依然わが国の教育システムにおいて冠にはめられた宝石の一つほど重要な部分に位置し、アメリカ医療の質は高く維持されていた。実際にこうむった被害よりも気がかりなのは、最近の傾向にもとづいき予測される今後の被害だ。医学教育が直面する最も重要で直接的な課題は、社会貢献という重要な価値観あるいは教育、研究、診療水準を決めるという重要な使命を妥協せずにいかに急速に変化する環境にするかだ。アメリカの一般の人々にとっては幸運なことに、二度目の改革がちょうど始まっている。それは、医療職の中にある人にも外にある人にも社会と医学教育がよりよい状態になるよう影響を及ぼす時間が残っていることを意味している。

Time to Heal 緒言

 アメリカの医学教育の歴史を書いた本"Time to Heal: American Medical Education from the Turn of the Century to the Era of Managed Care"(2005年)の緒言と序章と目次を訳していたことを思い出した。興味がある人もいるかもしれないから、ここにシェアしよう。まず、緒言。

 本書は二つの課題を念頭に書かれた。一つ目は20世紀の初めから現在にいたるまでの医学教育の歴史を包括的に解釈して提供すること。二つ目は現在の「マネジドケア」時代において市場原理が医師たちの学習や診療にもたらした変化を読者に警告することだった。だから、話はより大きな診療の枠組み、それに現在患者、医療者、一般大衆のあいだにあるアメリカ医療に対する多くの不安に関係している。 
 以前に医学教育についての本「Learning to Heal:アメリカ医学教育の発達(1985年、Basic Books)」を書いた経験なくして本書を概念化することは不可能だったろう。以前の本では南北戦争から第一次世界大戦にかけてわが国の医学教育のシステムが作られる様子を調べた。この意味で、本書のための作業は1976年に始まった。しかし、新しい本を書く必要が私に明らかになったのはマネジドケアが急速に広まった1980年代後半であった。多くの医学部と教育病院はもはや教育と研究のプログラムを十分に支えらるだけの診療収入を得ていなかった。それより分かりにくいがしかし重要なことに、医学生と研修医の学習環境は浸食され、診療におけるプロフェッショナルな価値がないがしろにされていた。これらのジレンマの起源は1980年代以前にさかのぼり、単に敵対的な市場原理で説明することはできなかった。むしろ、これらの一部は20世紀後半のアカデミックな医療界それ自身のなかでの行動(あるいは行動を起こさなかったこと)から起こっていた。本書はこれらの出来事の理解を助けるために書かれた。 
 本書にとって最も重要な情報源は、医学部、病院、大学スタッフ、経営陣、学生、それに様々な私的公的機関からの非公開記録だった。これらにより得られた豊富で詳細な情報は、他の方法では入手不可能だった。研究の間に、私は代表的なサンプルとして全国にあるアカデミックな医療センターの約1/4を訪れた。もし特定の医療機関が他より多くテキストに出てきたとしたら、それはたいてい彼らの資料が他より豊富だったからだ。一般的に、記録の容量は1965年以降に特に多くなった。それは同時代の歴史を研究するときの困難な問題の一つをよく現している(たとえば、1932年から1956年までの米国医学部連盟執行行議会の議事録と議題は収納ボックス一箱に収まった。1957年から1991年までには42箱必要だった)。本書の注釈は関心ある読者のために意図的に長い。しかし、本書は参考文献にいちいち戻らなくても読めるし、誰もそれらに注意をそらされる必要はない。 
 このプロジェクトの初期の段階で早くも明らかになったのは、アメリカにおける医学教育の進化を十分に理解するには、それを幅広い社会的、文化的な文脈に置かなければならないということだった。だから、私は社会史、文化史、教育史、医療社会学について幅広く読んだ。注釈は私が本書を書く助けになった二次的な文献を読む際のガイドになっている。医学部と教育病院の歴史が実は20世紀のあいだアメリカ社会全体を変化させていったさまざまな社会的、文化的、政治的な力のプリズムであると分かったが、それは私のこの課題についての関心を減らすことはなかった。 
 本書は、各章や節が前後に何が書かれているか知らなくても個々で読めるように作られた。しかし、各章は密に関連しあっており、読者が全体を通して読んで単なる各部分の総和以上のものを得られれば幸いである。正確さを保証するためにはあらゆる手段を講じた。現在の医療環境は矢継ぎ早に変わるので、17章と18章で議論された内容の細部などは出版までの間に古くなっていないほうが驚きである。おそらく医学部や教育病院が新たに合併したり、以前に発表された合併が解消されたりしているだろう。しかし、そのような表層的な現象は、変化させる力、アメリカの医学教育が21世紀を前に直面する試練と機会、あるいは私たちが社会全体として未来の医療システムについてしなければならない選択の性質を変えることはないだろう。だから、読者は、最後の二章に書かれた分析を、たとえ近未来に状況が少し違って見えたとしても際立って重要と思えるはずだ。 
 本書が米国の医学教育と医療がどう進展すべきかについて異なる意見をもった読者いずれに役立つように、私は全編を通じて客観的でバランスを取るように努めた。本書を読むことによって未来を予測しようと思っている読者はがっかりするだろう。過去の出来事は起こるべくして予言されたとおりに起こったわけではないし、未来も同様だ。しかし、過去は現在の米国医療に強く影響している。だから、この歴史の分析が現在私たちが直面するジレンマに光をあて、私たちの医療システムの未来をどうするか決断するときにガイドとなればよいと私は望んでいる。 
 本書のタイトルは二重の意味を持っている。本書の全体にわたるテーマはよき医療のあらゆる側面に時間が重要だということだ。治すのを学ぶにも、治し方を教えるにも、癒しの技術を行うにも、新しい治療を発見するにも十分な時間が必要だ。マネジドケア時代の現在、これらの活動をする時間は削られており、おそらくそれが現時点で米国医療におきているもっとも憂慮すべき変化かもしれない。それに加えて、医療界も一般の人々も最近の医学教育と医療について深い不安を感じているけれど、これらのジレンマがどのように生まれたかを歴史的に理解することにより難題解決の方法を示すことができる。だから、今こそ医学教育と医療の病んだシステムをそれらがまだ質が高く、そして救済できるうちに直し始めるためにこの知識を使う時なのだ。

1/22/2015

KLME(Korean Medical Licensing Exam)

 医師でアメリカに行きたいという人は多いだろうが、韓国に行きたいという人はどうだろう。韓国の医師免許を取るには韓国の医学部を卒業して韓国の医師国家考試を受けるか、韓国以外の大学を卒業してから予備国家考試を受けて、筆記試験と実技試験に受かったうえで、韓国の医師国家考試を受ける。予備試験のよい参考書は韓国にはあまりないが、予備試験はUSMLEのステップ1、ステップCSに似ているそうだから、それをやる人が多いそうだ。しかし、その前に韓国語ができなければならない。

 私は「はかない夢は毒で世間とは結末の決まった本のようなもので現実を変えることはできない」と心配してくれる人がいても「そう、それでも私には夢があってぼろぼろになってもその夢を信じていていつか冷たい運命という壁を飛び越え羽ばたく」という考えでいままで生きてきた。だからこそ今も欺瞞と犠牲と無意味だと思うこともあってもしたたかに日本の社会と会社組織に適応しようとしている。その一方で、韓国と韓国語に魅せられてから韓国語のほうも少しずつ勉強している。それで年末ソウルに行った際に基礎医学と実技試験攻略の本を買ってきた。

 まず解剖学の本を読み始めたが、日本では医学用語がほぼ漢字語と英語で統一されているのに対して韓国では韓国に固有の言葉もたくさん混ざっていて興味深かった。例えば腎臓は、これをそのまま漢字語として韓国語で読むと신장(シンジャン)だし、これももちろん用いられる。しかし腎臓を意味する韓国固有の言葉もあって、それは콩팥(コンパッ)だ。콩は豆のことだから面白い。ヘンレ係蹄は콩팥세관고리(コンパッセグヮンゴリ)で、콩팥は腎臓のこと、세관は漢字の「細管」、고리は輪っかのことだからloopの韓国語訳というわけだ。

 他にも肺は漢字で폐、固有語で허파、胆嚢は漢字で담낭、固有語で쓸개、膵臓は漢字で췌장、固有語で이자。脳下垂体はそのまま漢字で뇌하수체だが、前葉・後葉は「前」「後ろ」を表す固有語を用いてそれぞれ앞엽・뒤엽という(葉はそのまま漢字)。同様に副腎はそのまま부신だが皮質・髄質は「表」「中」を表す固有語を用いて겉질・속질という。英語のfeedbackは「後ろに食べさせること」と固有語で直訳して되먹임、一方clearanceは漢字を使って청소율(清掃率)。

 私は医学部時代からアメリカに行きたかったので医学書も英語のものを買って、医学用語も日本語と一緒に英語で覚えて、英語も勉強して、USMLEの勉強もした。だからもし日本以外の国の医師免許をとってみたい(そしてそこに住んで働いてみたい)という人がいたら、事情を調べて見たらいいとおもう。日本の免許がそのまま使えるならそれが一番ラッキーだが(それでも言葉は勉強しなければならないだろうが)、試験を別に受けなければならないなら対策すればいいことだ。意志のあるところに道ができる。



1/05/2015

Social emergency

 仕事始めの朝はどうしても憂鬱だが、いつものように500mlのカフェミスト(の牛乳を豆乳にしたやつ)を飲み、新調した服に袖を通し、新調したネクタイを締め、病棟へのお土産をカバンに詰め、ドアを開ければ晴れて寒くなく、新しいCDを掛けてクルマに乗ると、病院に着く頃にはまあ気分はそう悪くない。
 で、いつものようにいつもの仕事をしようと思ったら整形外科の先生から連絡があって、今日手術したい旅行客患者がいるから午前中に同意書を英訳してくれないかというお願いが。同意書のサインがもらえなければ手術が出来ない、social emergencyだ。日本語原稿を受け取りささっと訳して事なきを得た。
 5年米国に住んでいたとはいえネイティブでもないしリーガルな英語を勉強したわけでもない私だが、今いる病院ではこんなふうに頼りにされてやっぱり嬉しい。しかも今回の英訳は、他の手術や麻酔にも応用して使うこともできそうで、病院への貢献度はそれなりに高い。他の同意書の英訳もしていて、それがいまの職場で関係を築く一つのきっかけになればよいと思う。

12/24/2014

感謝

 今日はクリスマスイブだが、そんな聖夜にも当直している医師と看護師さんたちがいる。そんな彼らを思って、ケンタッキーフライドチキンのボックスとホールのチーズケーキを一つずつ、ERとICUに渡してきた。有難うと言ってとても喜んでくれたが、有難うといいたいのはこっちだ。こんな私にも役に立つことがあると思わせてくれるのだから。それにしても私のERとICUへの愛情は初期研修時代からの筋金入りだ。看護師さん達がずばぬけて献身的で有能で素敵だから、惚れるのも無理はない。

12/04/2014

Healerへの道

 このあと、理想のhealerは社会全体を癒す存在、社会的弱者を守る存在でなくてはならないなどとつづいたあと、最後に著者によるhealerの祈りで本書は締めくくられた。Healerへの道は遠い。しかし高みを目指さなければならない。著者はドンキホーテの言葉を引用しているが、この言葉は私を奮い立たせた。Osler卿がドンキホーテを読めと薦めているのも納得だ。

 It is the mission of each true knight. . .
(それは真の騎士それぞれの使命だ...)
 His duty. . . nay, his privilege!
(彼の義務、いや特権だ!)
 To dream the impossible dream,
(不可能な夢を夢見て、)
 To fight the unbeatable foe,
(倒せない敵と戦い、)
 To bear with unbearable sorrow,
(耐えられない悲しみに耐え、) 
 To run where the brave dare not go,
(勇敢なものさえ敢えて行かないところを駆け、) 
 To right the unrightable wrong.
(正すことの出来ない不正を正す!) 
 . . . To love, pure and chaste, from afar,
(遠くから思慕し純潔と貞操を守り、) 
 To try, when your arms are too weary,
(腕が疲れて動かないときにもあきらめず、) 
  To reach the unreachable star!
(つかむことの出来ない星をつかむ!)

Healerと患者の関係

 Healerは患者を心からケアし、つねに患者のケアに集中し、助けるために何も出来ないとしても害は与えてはならないと知っている。患者のケアのためにすべての患者について一歩踏み込んで学ぼうとし、また患者のケアにたずさわる全ての人からも学ぼうとする。よく観察し、システマチックで、熟考し、注意深い。一人で独立して考えることが出来、エビデンスに基づいた治療を個々の症例にあわせて最も適切で効果的なやり方で行うことが出来る。
 非常事態にも任務を動じずに行うことが出来る。そう簡単にはまごついたり動揺したりしない。患者と取り交わしたすべての情報を秘密にする。患者が医師の言うことを理解できるようにし、患者の言うことも理解しようとする。病気を持った誰かを診療するのであって、単に病理プロセスだけを診るのではない。なにかを勧める時には節制と謙遜をもってする。食事、生活、運動など自然の力を借りた包括的な治療計画をたてることが出来る。
 これも著者は医学生に質問していて、その回答は患者の話を聴く、よく聴く、さえぎらない、共感を持って患者を接する、患者を大事にする、素晴らしいラポールを築く、全般的にユーモアのセンスがある、患者が居心地よくいられるように接し、対等で双方向の関係が持てる、感情面のニーズにも応えられる、恐れと不満を希望と行動に変えることができる、正直である、信頼できる、患者を人としてみる真の関心を持っている、などであった。