8/31/2007

困ったちゃん

 一期一会という。自分がきつい時、苦しい時、くさっている時でも、接した後輩にとっては先輩であり、先輩にとっては後輩である。自分を育ててくれた先輩も、きっとつらい時などもあったのであろうが、それを垣間見たことはなかったように思う。
 なので、後輩に心配させたり、先輩に心配させたりしてはいかん。自分らしさを出すことは、何より大事である。passive aggressiveなやつほど、嫌なやつはいない。

8/28/2007

サポート

 上司が私の尻たたきをしないと本当に私が渡米の機会を逃すのではないかと心配してくれていた。情けないが、事実だったかもしれない。正直言って、情報が少ないし放っておけば何年でも先送りになりうる。とにかく尻に火がついた。
 また、私がくさくさしているので、彼女がそんなら今が正念場だから仕事場に来たら?と薦めてくれ、23時にそそくさと職場に戻った。自分の頭の中からアイデアを引き出す質問集などもしてくれ、俎板に載った鯛ではないが腹を決めて質問に答えてみた。それも参考にしつつ、24時ころからもくもく作業したら、わりとカタカタと止まらずに書いていくことができた。

亀の歩み

 personal statementがようやく日本語でなんとか形になり、それをもとに英語をなんとかつくった。米国人の先生に送り、添削してもらうようお願いした。非常にbehindであるが、少しずつでも進めるしかない。このあと、学校の成績を取り寄せる、推薦状をさらに何通かもらう・書く、受けたいプログラムを探す(誰もが100個くらいは申し込む!)などをしなければならない。先が見えないのはストレスだが、いまは進むしかない。あきらめたらそこで試合終了である。
 昨晩に同じ希望をもつ友人と電話で話し、書類など当然揃えており、プログラムも目星をつけており、そのほかにもできることはだいたい済ませて、それでも不安がっていた。100%確実な道はないので、と言っていた。資格を揃えても手続きが進まないというのは、本当に行きたいのかと勘ぐられても仕方ない。実際、マッチングには早いもの勝ちな面がある。応募日に一斉に書類選考が行われ、数日のうちに面接に呼ばれる人が決まるという。

8/23/2007

ありがたい

 剖検をお願いすることがある。どうしても診断がつかずに、治療にかかわらず患者さんが亡くなった場合。非常に無念であり、亡くなった直後に説明するのが心苦しい時もあるが、他におなじような症状でやってきた患者さんを治療する助けになりうることや、ご家族に影響が及ぶ病気である可能性があれば、それを知る手がかりになりうることを説明する。同意をいただけるかは、ご本人・ご家族の信条や医療者側との関係などによるが、同意いただけたときには、本当にありがたく思う。

8/19/2007

明らかなものはない?

言い合いになることがある。相談を受けたとき、相談をするとき、どちらも相手の反応や考え方が自分と違うときには、電話を切ってから周りに「あんな考えは有り得ない、どうかしている」などと話してしまう。おそらく、電話の向こう側でも、同じことが起こっている。
 相手に自分の考えを押し付けず、感情的にならず、かつ相手の言いなりにもならないのは、非常に難しい。交渉術といえる。たとえば、お腹が痛いと言って外科外来に来た患者さんが、胃腸炎の診断で帰り、翌日になって熱がひどく状態が悪くなって救急車で帰ってきたとしよう。内科も外科も呼ばれる。外科の先生はお腹をさわって「これはおなかじゃない」とバッサリ。
 診察すると、たしかに「いかにもおなか」かといわれると、そうでない気もする。「明らかな○○はない」という言葉は医療で多用されるが、明らかなものくらい、専門家でなくてもわかる。問題は明らかではないけれどそうかもしれない場合についてである。患者さんは、元々の病気のため症状をうまくいえない人である(痛い、痛くないとしゃべることはできるけれど)。
 とにかく、お腹じゃない病気であってはいけないので、他の病気の検査をしたがいずれも引っかからない。そこで、「原因不明だが入院」になりそうだったところに、先輩のDrが来て、お腹に再び注目した。結局、エコーで虫垂が腫れており、手術になった。虫垂は壊死していた。
 自分の考えを持って治療することが、まず、とても重要である。そして、それをどう表現してチーム医療を正しい方向に導くかが、さらに重要である。実力が必要だ。

迷ったら

 今日は動き回って、あっというまに時間が過ぎた。でも、充実はしていた。後手後手に回ると、いいことがない。とくに状態が悪化しつつある患者さんに対しては、えいやっと検査や治療を進めなければならないときがある。この判断は、難しいが、「迷ったら安全なほうを」と唱えることが有効である。
 このまま休めればよいのだが、当直なので、病棟で変化があれば呼ばれる。明日の朝は発表があるので、準備をしたいがどうなることやら。でも、ひまうつになるよりは良かろう。

8/17/2007

ひさしぶりの電話

 前の病院で働いていた先生が他の病院に移ることになった。今日はお世話になったみんなで送別会をしたそうで、お世話になったうちの一人である私に電話がかかってきた。その先生とは合わない面も多々あった。仕事がつまらないと思うこともあった。今思えば、自分のやる気のなさをそのせいにしていたとも思う。ともかくお世話になった。久々に先生の変わらぬ声を聞けてよかった。
 一度気まずくなった関係を戻すのは難しい。そういう人達との関わりをできるだけ避けてしまう。許すことも、許してもらうことも、大変な労力がいる。あの時は・・と言えたらいいのにと思うこともある。でもそれだけで話は終わらない。でも、必要なら話し合いを続けなければならない。これからアメリカに行きたいなら、もっともっと、衝突と交渉を避けて通れない。

速報

 6月に受けた米国医師国家試験の実技(clinical skills)のほうに受かった。これで、米国で研修医になる資格がそろった。あとは、面接や書類がきなどさえして、相手方の病院がいいと言ってくれれば、働くことができる。
 一緒にシカゴの予備校で対策授業を受け、毎晩滞在先のホテルなどで練習しあった友人たちも、受かっていた。これからのプロセスについても、おなじように進められればと思う。相談できる相手がいることは重要だ。ただし、会って話せないのが痛いけれど。
 今日は上司にも相談し、じつはマッチングの準備が切羽詰って、尻に火がついていることを打ち明け、かつ具体的なアドバイスをもらった。本腰を入れて調べ始めた。今週末にある程度、固めなければならない。同志にもすがりながら、やっていくしかない。

8/12/2007

人生の愉しみ

 高齢の患者さんがやってきて、人生に愉しみがないと言ってきたら、うつ・甲状腺機能低下症などの疾患をまず考えるのだろう。そういったこともなく、ただ愉しみがないと嘆く場合も、あるだろう。
 悲観しているというよりも笑いながら、愉しみがないと言ってる場合もある。こんなときには、聴いてみればそれなりに楽しいことはあって、生活はなんとかできているのだが、これでいいのかなあ、という思いから言っているようだ。
 日々の暮らしは、冒険にあふれたものではなくなっているであろう。また、趣味や勉学に励むとしても、今更の感をいだくかもしれない。そもそも、いまの自分には、高齢の方がどんな愉しみをもって生きているのか、想像できない。下手にアドバイスなど、できるはずもない。

プロセス

 ERASのプロセスを進めなければならない。アメリカといっても、場所を選ばなければおそらく通るはずである。研修はよいけれど田舎にある病院でも、べつにかまわない。いままでもそうであったように。しかし、それはさておき、まずプロセスを進めなければ、まったく動かない。このまま資格だけそろって指をくわえて機会を逃したら、眼も当てられない。

8/10/2007

血糖

 随時血糖というのは、食事を抜かない時に採血した血糖。空腹時血糖は、たいていは、朝食を食べずに来て採血したときの血糖。食事の影響で血糖はあがるので、随時血糖のほうが空腹時血糖より高くなる。健康診断などでは、通例、食事を抜いて採血していると思っていたが、そうでもない。どちらかによって、値の評価が変わるので、健診の結果を持って病院を訪れた人には、これを尋ねることが大切だ。

8/06/2007

てんやわんや

 英国から留学生が来ている。さらに、米国から先生が二人来ている。今日から新しい診療チームになる。患者さんの状態は、落ち着いている。今週は、バタバタすることになる。今週から来たアメリカの先生は、私が大学時代にお世話になった先生で、とても久しぶりだ。偶然の再会で、先生が覚えてくれていてうれしかった。

8/05/2007

医者

 知識と技術を持つから、医者である。発疹をみて「皮膚の何かでしょう」というだけでは医者ではない。いくつかの病気を知っていて、蕁麻疹っぽいです、とか、接触性皮膚炎を疑うような病歴はありません、とか言えて、やっと医者のはしくれである。さらに、どんな診断か迷うような症例まで詳しい検査や豊富な経験をもとに診療できるのが、専門医である。
 救急外来では、ありとあらゆる症例がやってくる。重症度もさまざま。重症なリスクがどれくらいあるか(理論的には、翌朝まで大丈夫そうか)を算定すること、患者さんの症状を取り除く努力をすることが重要だが、それとはべつに、患者さんの問題が何かを探る努力が必要になる。除外していく診療から、診断をつけにいく診療へ。
 救急外来では、専門医に責任を分配することが多い。判断がつきにくいときや、あるいは判断した責任を分配するために専門医に相談する。時間も限られており、調べものをする時間はまずない状況では、持ち合わせた知識を越えることは、聴くしかない。しかし、丸投げしてばかりでも成長しない。あとから、勉強することが重要だと思う。

8/03/2007

おどろきの画像

 50歳女性が腹痛、発熱、膣からの出血のため来院した。診察すると、お腹にできものを触れる。膣壁の前側は壊死していた。CTをとると、腹部になにやら腫瘤がある。抗生剤で症状は改善したが、腫瘤について調べるため開腹手術になった。すると・・・
 80gのコカインが詰まったビニール袋が!あとで患者に問うと、3ヶ月前に膣に挿入していたという。一時的な税関逃れのためにしたのだろうが、なんと膣を越えてお腹の中にはいってしまい、そこで腸をつつむ膜にくるまれていたようだ。しかし、ビニール袋が破れていたら、大量のコカインが身体に吸収され、おそらく死亡していただろう。
 毎号、(医学的というか、単に興味を引く)記事があるものだ。

こぼれ話

 抄読会で発表する論文を読んでいた。一瞬脈が飛ぶという不整脈について調べていた(それ自体を薬で抑える必要はないとされているが、時と場合によるので調べていた)ところ、review articleの最初のところに「古代中国の医師がすでに記載している」と書いてあった。検索すると、扁鵲(へんじゃく)のことらしい。針灸の始祖とも言われその道では有名な人なようだ。
 いくつもの逸話が残っている。高桑君という神医から医術を授かり、人の気・脈の流れが透視できるようになったという。邯鄲にいって、そこで人々が婦人を貴ぶと知ると婦人科医になった。周にいって、人々が老人を大切にすると知ると老人科医になった。咸陽にいって、人々が子供を愛護すると知ると小児科医になったという。地域のニーズに合わせてなんでも診られる医師ということで、家庭医のコラムなどで引き合いに出されそうである。
 また、六不治といって、「こういう状態の人は、病気になりやすく、また治りにくい」という概念を提唱した。

驕恣で、物事の道理に従わない状態
財ばかりきにして身を軽んじる状態
衣食住を適切にしない状態
陰陽が五臓にとどこおり、気が安定しない状態
身体が衰弱しきって、薬を服用できない状態
巫を信じて医を信じない状態

チーム交代

いまのチームは、後輩の先生が外科系であったせいか、サバサバしていて楽しかった。全員男性であったこともあるかもしれない。後輩にレクチャしたり、後輩のカルテを添削したりの仕事を、次回以降にもっとやってみたい。前の病院では、入院が入るとまず1年目の先生が診察して、それをチームにプレゼンして、そのあと全員で話を聞いて、そして治療方針を決める。その日のうちに、1年目の先生が入院時のまとめをつくって、それを3年目が直していた。

気管切開

 意識のない患者さんがいる。自分で呼吸することはできるが、舌根が落ち込んでのどをふさいでしまうので、ほうっておくと呼吸したくても空気の通り道、気道が確保できない。唾液を飲めなくなり、それがのどにたまってごろごろ音を立てる。ほうっておくと、これものどをふさぐし、気管に流れ込む(誤嚥)かもしれない。
 救命で最も大事なことにABCというのがあって、Aはairway、Bはbreathing、Cはcirculation。空気が気道にはいり、酸素が呼吸で取り込まれ、血流を循環していくというわけである。気道の確保はABCのなかでもとりわけ重要である。
 意識がない患者さん、とくに、意識がもう戻らないであろう患者さんについて、気道をたもちつづけるためにはどうしたらよいか。舌根が落ち込むことも、唾液を飲めないことも、根本的に変えることは難しい。窒息の危険を感じながら、そのままにしておくわけにもいかない。
 一つの、そして多くの場合にとられる方法は、気管切開術。のどから気管に向かって切開を入れて、のどぼとけの下あたりから気管にチューブを通す。そして、カフという風船状のものを気管の中で膨らませて気管に唾液が落ち込むのをふせぐ。
 気管切開術をおこなうかどうかを、家族に説明するが、微妙な問題を含んでいる。延命治療の問題。

小児患者さん

 この病院に来てから、救急外来で小児科患者さんも診るようになった。土日の午後から夜までなので、たいていの患者さんは、前日またはその日の午前に近くの小児科を受診しており、検査も受け、薬ももらっているのだが、にもかかわらず熱がさがらない、咳がとまらないなどの訴えで来られる。
 仕事としては、ただの風邪ではない肺炎などの疾患を見逃さないことが重要である。点滴治療などが必要か、入院治療が必要かなどを判断することも重要である。判断基準として、お母さんからみた印象、医師がみた印象、脈拍・血圧・体温などのバイタルサイン、診察所見があり、さらに、血液検査、レントゲンなどがある。
 まずは診た印象が重要だと思うが、ふだんの状態を知らないし、見逃したくない気持ちも強く働く。救急外来は、検査のできる施設であり、重症を見逃さないことが一番の仕事であるから、心配なら検査するのは間違いではない。しかし、白黒つかないグレーゾーンを小さくしていく努力が必要である。
 患者さんのお母さんから、何日発熱が続いたら来ればいいか、何日咳が続いたら来ればいいか、という相談もよく受ける。もっともなことだと思う。明確な基準はないと思う。おかあさんの不安・観察力・子供のもともとの状態などに左右されると思う。なので、これも結局「心配ならいつでも来てください」ということになる。大人の診療でも理論的には同じだが、小児科患者さんのほうが、より心配が強い印象。

8/01/2007

役割

 採血が非常に難しい方がいる。今日は、その方に採血をする必要があった。後輩の先生が、よく血管をねらって、見事に一度で採血した。すばらしいことだと思う。ひるがえって、自分の役割は。後輩の先生がわからないことを調べたり、後輩の先生が出来ない時に代わりにやったりすることだろうか。だとすれば、もっと症例でわからないことを調べたり、それをまとめたりする作業を、自分のメインの仕事に据えなければなるまい。結局自分の先輩の先生に聞いているのでは、淋しい。

中途半端

今日はアメリカ人の先生と久しぶりにあった。患者さんについて発表し、それについて参加者で議論するのだが、今回は自分は発表せず後輩の先生にお願いした。自分の役割は、みんなに質問したり、議論をリードすることとも思ったが、それはアメリカ人の先生の役目のような気もして、結局は中途半端になってしまった。留学の準備もまだ出てきていないし、こんなことではいけない。それが済まないと、先生にもちゃんと合わせる顔がなく、実際のところタイムオーバーになってしまう恐れがある。仕事は毎日寝に帰るというほど遅いわけではない。空いた時間は、あるのだが。