1/31/2008

成長課題

 同期のひとと話をして、下積みできる期間もかぎられていると思った。いまのうちに経験すべきことを経験しておかなければ、2-3年のうちに指導役にされてしまい頼りない人になってしまう。いまの病院では、研修医が独り立ちが目標だと常に促されている。彼らは、だから自分で考え自分で行動し、試行錯誤のうちに自らの内に自信をつけている。皆わりと自信家だ。
 私は、考え行動しているつもりだが自信は過信という思いが強い。自信を持ってやることも確実ではなくあくまで間違えが起こりうると思ってフォローするし相談もしてしまう。安全を担保にはできないが、いつまでも人を頼っていては成長しない。いまの目標は、チーム診療でGOサインを出せる立場になることだ。そのためには、さらなる経験と学習が必要だ。See one, do one, teach one。

1/28/2008

思考過程

 うまくいかないとき、自分の考えではうまくいくはずなのにおかしい時には、正しいと思っていることを疑わなければならない。肺炎で治療中の患者さんが、経過中にふたたび発熱した。肺炎の原因菌はわかっており、それに効くであろう抗生剤を最初から使っていた。いったん良くなったのに、ふたたび悪くなった。
 尿路の感染(導尿の管から菌がはいる)、血液の感染(点滴の管から)、副鼻腔の感染(鼻から胃にいれた管から)、皮膚の感染(褥創があれば)など疑わしいものはしらべたが、原因として否定的である。肺炎が悪くなった可能性がやはり疑わしい。
 人工呼吸器で管理しているので、口から気管に管がはいっている。そういう患者さんは、緑膿菌など院内の悪い(抗生剤に耐性のつよい)菌が入りやすい。しかし痰をしらべると膿性であるが、染色して顕微鏡でみても菌はいない。どういうことなのか。
 気まぐれの熱ならよいと思っていたが、どうにも解熱してくれない。感染症科の先生に相談すると、抗生剤の量が少ないことがわかった。抗生剤、じつは痰の培養結果がでたのでよりカバーの狭い(どんな菌にも効くわけではないが、その菌にはちゃんと効く)ものに変更したのだが、量が少なかった。
 成書を確認し、チームの医師複数で納得のうえオーダーした。腎臓がわるいので腎臓病の人のための用量を書いた本を参照したのだが、そもそも普通の人の量として書かれた用量じたいが少なかった。腎臓にはよいが、感染症にはよくなかったということだ。感染症も腎臓もわからなければ、患者さんはなおせない。
 

1/19/2008

帰途

 Iowaを離れようとしている。面接には、今回はレバノン、ヨルダン、ブラジル、ガーナ、コロンビア、日本から来ていた。サッカーのワールドカップのようだ。レバノンにはアメリカン大学という英語で授業が行われ卒業生のほとんどが米国で働く、移住専門のような医学部がある。日本にもそのうちできるだろうか。認可がおりないだろうか。ともかくそこの卒業生はめっぽう強い。たくさん先輩が働いているし、教育が米国的であることも知られているからだ。
 しかし感じの良い人たちで、面接前日のdinnerのときなども質問がないかと気遣ってくれ、全体に陽気な雰囲気がただよっていた。地中海の東端に面したレバノンと、パレスチナとヨルダン川を挟んで向かいあうヨルダン。イスラエルとの関係でネガティブに報道されることが多いが、こうして(たぶんお金持ちにうまれ)高等教育を受け米国で研究や臨床に従事する陽気な人々がたくさんいるのだ。世界は広い。
 面接もおもしろかった。面接で大事なことは、その場で考えることである。考えるのに必要なリソース(基礎知識)と基本的な態度や話の構成については準備しなければならないが、模範回答を覚えることは重要ではない。考えることが重要である。あとは質問されたときにそれらを頭の中で組み合わせて文章をつくる。debateでも、その場で反駁しなければならない。それに日本のように質問に答えたらそれで終わりではない。向こう(面接官)も、その答えを受けて自分の考えを話す。だから、お互いをそうやって知り合う過程なのだとおもう。それでinter-viewというのか?

1/17/2008

うまくやる

 明日はついに病院の見学と、夜には研修医の先生方との食事である。外国からの応募者が受ける日のようだ。面接の日にはdiversity issueについての説明などが予定されている。面接前の準備、できてないことがたくさんある。情報収集と、なんとなくどう答えるかまでが出来ているが、完全に文例を作って暗誦したりはしていない。
 ただ、前の街で面接を終えたときには「わざわざこの街に来る意味ない」とすらおもっていたのが、来てみるととても魅力的で一目惚れな状態であることからして、"be yourself"でやればうまくいくと信じている。平常心で、いまの英語力、いまもっている自分でやってよう。
 unpreparedというほどでもない。英検一級の二次試験でも、まったくしらされない課題を渡されてそれについてしゃべるよう要求された。事前にそういう稽古をしたのがよかったか、結果的には通った。大学時代に英語会にいたときから、impromtuで話す練習をたくさんたくさんした。今回も要領よくやればよい。

1/15/2008

手続きは大変

 ECFMGの証明書がこない。試験に合格して、日本の医学部をちゃんと出ているのにもかかわらずである。マッチングの期限を過ぎてもできなければ、当然マッチングから外されてしまう。ホームページでstatusを確認すると、機関が日本の医学部をちゃんとでたかの証明を医学部に問い合わせて、その結果を待っているとのことだった。
 しかし、その通知は大学に'06.12に届いており、大学は'07.1に機関に「この人はちゃんと卒業しました」という通知を送っているのである。それは機関に届いているようで、verification receivedとホームページの登録情報にちゃんと書いてある。おかしいなと思って電話したら、
 「ほんとだねー。いま担当者に話したら、『大丈夫なはず、今日明日中に対応しとく』って」
 「通知を確認したら、10 busines dayかかるけど証明書を送るね」
 というさりげない返事が返ってきた。世界中から問い合わせ、応募がきているのだからこういうことも日常茶飯事なのかもしれない。まあ一安心。いろんな人に相談したが、やはりこういった手続きを助けるマニュアル(日本人用)が必要だ。liability(法的責任)の問題もあるからあまりおおっぴらにはできないが、参考資料としてあると多くの人が助かるだろう。

1/11/2008

明日の治療

 結節性硬化症という遺伝疾患がある。血管筋脂肪腫という、いろんな成分が混じった腫瘍が肺や腎に出現することが知られているが、遺伝子異常により腫瘍細胞でmammalian target of rapamycin (mTOR)なる受容体が恒常的に活性化され増殖することが明らかになってきたそうだ。
 そこに作用するsirolimusなる薬があって、この投与により腫瘍が縮小し、投与の中止により増大したという報告が医学雑誌に載っていた。この薬はイースター島の土壌に住む菌が産生する抗生物質として発見されたが、現在は免疫抑制剤・抗がん剤として注目されている。
 遺伝疾患については、原因遺伝子が調べられるのだから病因の解明が今後一気にすすむ可能性がある。治療法もそれに合わせて開発されていくだろう。この物質が悪いので、その働きをおさえよう、というのが分子標的療法である。遺伝子が悪いなら、それを取り替えよう、というのが遺伝子治療である。
 免疫抑制剤も、移植医療の発展などと共に開発が進んでいるようだ。たとえばmycophenolate mofetilという薬は、こんどは真菌が産生する物質だが、核酸代謝(de novo経路)を抑制し免疫細胞の増殖を抑える働きがある。副作用が少ないことから米国では好んで使われ始めている。日本では、医師ですら知る人は少ない。
 私は研究の話をするのは結構好きだが、研究自体が好きかというとそうでもない。大学病院で研修すると、自分は研究しないまでも、研究者達とこういった話をもっと身近にできるかもしれない。しかし大学病院で研究しない者に居場所はあるのか。臨床研究、教育に従事するなら可能だろう。

1/10/2008

木も森も見よう

 昨日は病院見学に行った。研修医の先生についたが、その日は午後に外来があるため午前中に仕事を終えなければならず忙しい様子だった。患者さんに新しい問題点ができて対応に追われたりもしていた。それでも、ちゃんと実習に来ている学生にレクチャもして、12時には仕事を終えて昼食のでるnoon conferenceに行く。
 検査値異常についてのレクチャだったので、この値が高いときはこんな病気という説明をするものと思った。しかし、重要なのは病歴であると強調していて印象深かった。たしかに、その患者さんがどんな症状があったか、どんな既往症があるか、なんの薬をのんでいるか、酒はのむか、家族にはどんな病気があるか、を調べるのが一番である。
 検査値異常をみたとき、さらなる検査を追加する方向に走りがちであるが、下の下なやり方と心得るべきだ。それは初期研修をした病院でも言われた。なんのために検査をやって、その検査の結果が陽性だったらどうで、陰性だったらどうなのかが分からないようじゃ、本当に意味がない。
 病院見学、いままではもっぱら患者さんの病歴を聞いて一緒にどんな検査や治療をすべきかなどを考えていた。それもよいが、見学の主旨はそこの研修医がどんなで、教育はどうで、職場環境は合っているか、などを知ることである。この病院のように学生が実習にくるところは、研修医から教育する立場におかれることを実感した。

1/08/2008

うまくやるには

 次期chief residentの先生が昨日言ったのは、"Be social"ということだった。どの病院で研修することになるにせよ、最初の時点でひらかれるパーティやらピクニックやら食事会やら、みんなが参加する行事をぜったいにはずすなと。intren生活は厳しいけれど、とくに市中病院の場合みんな医療スタッフは家族のように親しくなるので、おたがい助け合ってやっていけると。それは日本でも一緒である。
 パーティ、日本でさえあまり得意でない。パーティ大活躍指南、という本があったら読みたいものだ。英語で大笑いするための勉強もせねば。まあ、大フィーバーせず、大笑いしなくてもパーティは楽しめるはずなので、慎み深く周囲と打ち解けるやりかたを目指そう。

まあこんなものだ

 昨晩は、友達の友達にあたる人を紹介されて電話で相談することができた。遅くに恐れ入る。あれは聞くべきか、このときはどうしたらいい、などたくさん質問して楽になった。おたがい日本の有名な教育病院で研修した者どうしで、共通の友人がたくさん判明して愉しい時間だった。少しお金はかかったけれど・・。スカイプなる無料電話サービス、名前は聞いていたがこれから必須になること受けあいだ。
 翌朝。なかなか寝付けず、身体が変に熱くなったりして困ったが結局十分に寝ることができた。朝食をゆっくりとって、ストレッチをして、磨いた靴とスーツに着替えて出かける。外はオーバー不要な暖かさだ。ほどなく病院につくと、秘書さんの笑顔がお出迎え。朝の症例カンファレンスを見学する。やはり、めいめいが考えたことを口にするのが印象的だ。気取らずさくさくと進むのがいい。どうして今の病院でうまく行かないのだろう。発表者は「発表」、参加者は「質問」と構えすぎるかもしれない。診断にこだわりすぎ、というのもある。今回診断ははっきりつかなかったが、アセスメントの勉強にはなった。
 見学者に発言が求められることもあるかと思って一生懸命聞いて構えていたが、そういうものではないらしい。見学に来れずに面接の人もいるから、プログラムの様子を垣間見せているのである。こういう感じか、と観ておればよい。引き続き、program directorとchief residentからそれぞれプログラム説明あり。これまた、聞いておればよい。ここで情報の多くが得られるので、さらに聞きたいことがなくなってしまうかと心配もしたくらいであった。
 そして、ジュースやら飲みながら面接の部屋に連れて行かれるまで待機である。今回面接には、transitional(内科以外の科志望で、最初の1年だけ内科をまわる)の米国医学生数人と、categorical(内科コース)の外国人医師が数人いた。シリア、パキスタン、ペルー、日本。シリアとパキスタンなど、政情不安で研修どころでないのではとハラハラしたが、そういうものでもないらしい。すでに米国に移住して研究している人もいた。
 面接じたいは知っている先生方だったこともありスムーズであった。むしろ典型的な質問は少なかった。自信を持って自分の伝えたいことを気持ちをこめて伝えるよう努めた。色よい反応であったから、うまくいったと思いたい。面接後は食事がでて、研修医の先生方と話し、院内ツアーをしてもらい、最後にdessert with facultyで終わりである。なんのことかと思ったら、bossがカジュアルにスキー、サッカー、マチュピチュの話などして朗らかに去っていった。そういうものらしい。 

1/07/2008

独立自尊

 明日になれば、すべてが終わっている。きっと大丈夫。やや緊張しているが、これが世界の終わりじゃない。いままでの受験と勝手が違うし、はじめての面接なので無理もないが。何事もはじめての前は、緊張するものだ。たくさんの方々から声援いただいた。勝手に来ておいて、国内外から声援まで求めるとはわれながら変なやつだと思う。
 結婚するといろんな邪念や、無駄な高望みなどが消えて、現実を見て、一歩一歩やっていけるようになる気がすると友が言った。いま彼女と結婚することを考えたら、とたんに浮わついた不安がすっと落ち着いて、心拍数が正常化した。不思議な経験だ。人に大丈夫といってもらっても、自分が落ち着かなければ仕方ない。なんだかやれそうだ。
 明日になればすべてが終わり?そんなことはない。あさっては、second look(もう一度見学すること)の予定だし、金曜日には別の病院で面接だ。upsetしてはどうしようもない。基本的に、私に興味があるからわざわざ面接に呼んでいるのである。なおupsetとは、「upな状態でsetされた」意といま気づいた。それは落ち着かないだろう。

1/05/2008

ロケットスタート

 空港につくと去年夏までいまの病院にいてお世話になった米国人の先生が、仕事を中断して車で迎えに来てくれた。ありがたい。研修がうまくいくには最初が肝心であるというアドバイスを得た。以前に他の先生も同じ事を言っていた。
 九州に来たときは、寮だったので身体一つで来ればよかった。実家を離れた精神的ギャップは少しあったがじき慣れた。北海道のときは、友人が事前によいアパートを探してくれたし、着いた日に大家さんが車で家具揃えなどに付き合ってくれた。彼女が来る前にまず一人だったも、先遣隊の気持ちになって張り合いがあった。
 たしかに、生活にさっさと慣れておかねければ仕事などおぼつかない。クルマ、アパート、インターネット、引越しなど。生活習慣を確立しなければ。ビザが取れるや否や渡米するべきだ。ビザが取れる前に観光ビザでホームステイができればなお良い。
 それに、仕事に慣れるために早めに1学年うえの先輩のshadowing(仕事ぶりを観察してシミュレート)をすることが極めて大事である。こうしてうまく研修のスタートを切ることができれば、持ち前の性格や知識、経験をうまく反映させてその後も乗り切れるだろう。万一こけても、周りが助けてくれるだろう。

プレホスピタル

 機内で体調をくずした人がいたら、どうするのか。救命処置としてはABC(Airway、Breathing、Circulation)を守ることだ。今回の飛行時間は10時間ちょっとだった。到着までに命があやうい場合は、太平洋を通過中なら日本、Hawaii、米国の太平洋側のうち最寄りのところに緊急着陸するのだろう。そこから救急車で病院に搬送となろう。
 それほど生命に危険がすくないと思われる場合は、症状をとりつつ様子をみる。熱さまし、痛み止め、咳止め、下痢止め、吐き気止めなどの薬(錠剤、注射)はあるのだろうか。なんなら自分が常備薬をもっていればよい。
 問題は、両者の間のグレーゾーンである。症状が激しい場合、生命の危険が少ないと考えられる病態であっても人々は不安になり、声が大きい人(権力を持っている、怒っているなど)なら緊急着陸しろとすごんでくるかもしれない。あるいは、緊急着陸すれば多くの乗客、航空会社、などの予定を大幅に変更することになるので、その責任を取れるのかといわれるだろう。
 生命の危険が100%ないとはいえない。しかしなんでもかんでも緊急着陸したらオオカミ少年である、というか医者じゃない。この見極めがプレホスピタルケア(病院にくるまでの処置と判断)である。前の病院で救急車同乗の経験を2-3回したが、みな重症に見えて大汗をかいた。いまはどうだろう。重症度に応じた行動をとれるよう、訓練がもっと必要だ。