9/27/2016

忘れられない一言 36

 「先生はベスト・ウェイを走ってると思いますよ」。上京されたお忙しい合間を縫って東京駅でお会いしてくださったあと、別れ際にこの言葉を掛けてくださった指導医の先生は、すごい。人を癒すというのはこういうことなのかなと、いまは分かる。この言葉、順風満帆なときには誰もいわない。これは「先生は(今は自分ではそうは思えないかもしれないけど)ベスト・ウェイを走ってると思いますよ」ということだ。

 それが、信じるということだ。月が欠けていても、欠けた部分は見えないだけでちゃんとあるように。種をまいて土に埋もれていても、地下では芽生えの準備がおこなわれているように。Recoverという英語を辞書でひくと、to get back something lost or taken away, especially by making an effort(失われた、奪われたものを、とくに努力でとりもどすこと)。回復、でもいいけど、取り戻すことなんだ。

 冒頭のことばには「先生は(きっと輝かしい未来への)ベスト・ウェイを走ってると思いますよ」という意味もある。苦労するのも、すべては、よいことのために。Every cloud has a silver liningという。雲の端が太陽の光で輝いているように(写真)、いつかは必ず晴れるということだ。雨の後に月は星空にまんまるく輝き、日照りの後に種は芽生えておいしい穀物を実らせる。
 
 いったい、どうしたらこんな言葉をふと思いつくんだろう。

 私も、こんな言葉を言ってあげられる人でありたいと思う。



9/24/2016

BCMJSIM

 BCといえば紀元前(ビフォー・クライスト、いまではビフォー・コモン・エラとも)、バンクーバーのあるブリティッシュ・コロンビア、飯田橋にあるブリティッシュ・カウンシルくらいしか思いつかない。でも、英語版ウィキペディアを調べればほかにもある。弾道係数(バリスティック・コエフィシェント;例のTHAADとかにも応用されているはずだ)とか。私が追試ばっかりの医学部をなんとか卒業し、羽田で母に見送られ福岡に旅立つとき使ったスカイマーク航空のIATAコードBCとか。

 私は少なくとも英語版ウィキペディアの質は高いと思っていて、これが広告なしで読めることの有り難みがやっと分かった。それで、こないだはじめて(みんながこの額くれたら大丈夫という)300円を寄付した。そしたらウィキメディア財団のジミー・ウェイルズさんからサンクスメールがきて「知識は基本的な人権であると私たちは考えています」と書いてあった。たとえ人権宣言や独立宣言が最終的に剣で勝ち取られたとしても、ペンがなければ平和はこない。

 さて、ウィキメディアさんも取り上げないBCにボード・サーティファイドというのがある。これは米国の専門医認定機構(ボード)に認定されたということだ。内科ならABIMというのがあって、これは内科学会ACPとはちがう独立機構だ。日本は内科認定医を内科学会が認定する。で、内科認定医は英語でBoard Certified Member of the Japanese Society of Internal Medicine(正式な略称はないので、仮にBCMJSIMとさせていただく;下図の文字列のなかにBCMJSIMを探してもないので悪しからず)。

 わたしはABIMのBC資格を持っていて、日本の資格はなかったのだが、ありがたいことに申請すれば書類審査でBCMJSIMが取れる。それで、申請したら無事に通った。もうこれで、日本でやっていける。さらに総合内科専門医というのがあって、Fellow of the Japanese Society of Internal Medicine(FJSIM)というので米国内科学会のFACPに相当するのだろう。非常に名誉な資格だが、「よき腎臓内科医はよき総合内科医です」みたいなことを殊更言ってもしょせん本職の総合内科医には敵わないから、今のところそこまではいいやと思う。

 というのが、学びたいことやとりたい資格はほかにもたくさんあるからだ。仕事関係では、内シャントの血管吻合は7−0プロリン糸で、PTFEグラフトと血管の吻合は4−0PTFE糸でそれぞれ縫うとか。高齢者、障害者、外国人など、誰かの視点に立ち行動する心づかいを学ぶ「ユニバーサルマナー検定」も、ぜひ取りたい。仕事以外なんて、ほんとうにきりがない。でも時間は有限だから、計画を立てて本当に学びたいことを学ぼうと思う。




9/20/2016

Dr. Pepper

 以前に人工知能にもロボットにもないのは愛と思いやりを与える心だと書いたのに、ちがうらしい。愛犬AIBOちゃんがでた1999年から17年、いまや人型のペッパーくんが病院で「カウンセリング」をしてくれる時代みたいだ。こういう話になると、どうしようかなと心配になってしまう。
 そんなペッパーくんの目を見ていると、しばらく考えてから感情を診断してくれ、悲しいなら「一緒に泣きましょう、そして新しい日を迎えましょう、あなたの笑顔が一番素敵です」みたいなことをジェスチャーと表情巧みに言ってくれる。けっこう一生懸命だし、おそらくプロの心理士さん(はやければ2018年から公認心理「師」という国家資格になる)が監修しているので、意外と効く。
 これからロボットがもっと進化して、よりリアルに患者さんと一緒に笑い、喜び、悲しみ、泣いて、励まし、支えてくれるかもしれない。AndroidにもiPhoneにも「カウンセリングアプリ」がすでにある。グーグルが開発した瞑想アプリHeadspaceもだ。疲労する感情労働者とちがって、ロボットは怒りや悲しみを受け止めても燃え尽きない。
 汽車ができて馬車がへり、冷蔵庫ができて氷屋がへり、スーパーができて商店街がへり、今度は人工知能とロボットができてどうなるの?というのが、わが国でもよく聞かれるようになった「第4次産業革命」。ただこれは、「それでも私達にしかできないことはなに?」とより考える機会になるだけである。
 第1次産業革命にしたって、アメリカの西部を中心に流通や金融を行っていたヘンリー・ウェルズとウィリアム・G・ファーゴによるウェルズ・ファーゴ社は、馬車(図はおもちゃ箱)がなくなっても事業を拡大して、2015年には世界最大の資本を有する銀行になった(いろいろあって今月JPモルガン・チェイスに抜かれたが)。
 ひるがえって医療と第4次産業革命との関係では、「人間はAIに負ける、ロボットに負ける」とか勝ち負けに持っていかないことだと思う。不戦勝みたいで申し訳ないが、それしかない。自分の頭と心と手をきたえてこれらを利用すればいいのだし、なにより人と人との「あいだ」を充実させる、すなわち徳をきたえることだと思う。


 

9/15/2016

Denominations

 こないだも書いたが、10人10色といってそれぞれ考え方が違うのはあたりまえで、それを受け入れ乗り越えていく大事さを痛感している。たとえばイギリスにおける英国教会(を含むプロテスタント)とカトリックの対立は、1534年に英国教会ができてから1688年にグロリアス・レボリューション(名誉革命)が成し遂げられるまで150年以上つづいた。その間にヘンリー8世がカトリックを弾圧し、メアリー1世がプロテスタントを弾圧し、中道を謳ったエリザベス1世がカトリックのスコットランド女王メアリースチュアートを処刑した。

 結婚しなかったエリザベスのあとを継ぎチューダー朝(この「朝」はHouseで、どこを統治しているかは問わないが)からスチュアート朝を建てたメアリーの息子ジェームス1世は自らが母と同じカトリック寄りと見られることを怖れてか、火薬陰謀事件で国家転覆を図ったカトリックの犯人たちを処刑した(事件のあったユリウス暦11月5日はいまでも祝われる)。しかしその息子チャールズ1世はカトリックと王権神授説にかたより議会と対立し、内戦でクロムウェルらに破れ処刑された。1649年のことである。

 このあとFirst Commonwealth、the Protectorate、Second Commonwealth、亡命していたチャールズ1世の息子がチャールズ2世として即位し王政が復活。そのジェームス2世が、名誉革命でプロテスタント派のオレンジ公(プロヴァンスにある神聖ローマ帝国の封土;ドラマ『The O. C.』とは別)ウィリアムにオランダから侵攻され追放される。ウィリアムスは妻と一緒の共同統治を英議会に納得さそれぞれウィリアム3世とメアリー2世になった。この革命でイングランドのカトリック化は終った。

 わたしはどの宗教がどうだと評価しているのではない。カトリックには主とイエスと精霊しか認めない新教にはないマリア崇拝があるし、やっぱりTota pulchra es(「あなたは完全に美しい」、つまり原罪の穢れなき受胎を意味する祈り)などに触れると心が慰められる。また英国教会がヘンリー8世の離婚沙汰でうまれたからといって、その聖性がそこなわれるものではない。すべての宗教宗派は究極的につながっている(万教帰一)。

 人と人がうまくやるためにどうしたらいいか。「人は人に対して壁を作らず、橋を作るように。橋は愛によって作られます(バレンタイン・デ・スーザ『そよ風のように生きる』)」。「ひとはあなたの暖かい褒め言葉によって強められ、自信を深めていくでしょう。相手を認めることは生かすことです(前掲書)」「慈悲深さ、寛大さが生活を明るくします。それらがないと、生活は暗く、小さなものになってしまいます(前掲書)」。この人は、イエズス会員だ。

 もっと実践的な人もいる。アンドリュー・カーネギーの右腕経営者チャールズ・シュワッブはこういっている(デール・カーネギー『人を動かす』)。「他人の長所を伸ばすには、ほめることと、励ますことが何よりの方法だ。上役から叱られることほど、向上心を害するものはない。わたしは決して人を非難しない。人を働かせるには奨励が必要だと信じている。だから、人をほめることは大好きだが、けなすことは大嫌いだ。気に入ったことがあれば、心から賛成し、惜しみなく賛辞を与える」。


9/12/2016

Pascal

 研修医のときに出会った先生はいろんなことを教えてくれたと以前に書いたが、そのひとつに「カルテやサマリーで数字を使う時には単位を書くように」というのがある。症例発表の形式にしておきなさい、ということだった。そのときには正直面倒くさいなと思ったが、慣れればそんなに苦ではない。
 ちゃんと明記したほうがいいこともある。たとえばカルシウムはmEq/lだったりmmol/lだったりmg/dlだったりする。そして、腎臓内科医ならこれらの互換性を知っておく必要がある(私はこれを有名な先生がさりげなく回診で開陳しているのを耳学問した)。4mEq/lのCaは2で割って2mmol/l(2価イオンなので)。2mmol/lのCaは原子量の40(g/mol)を掛けて80mg/l、分母をリットルからデシリットルになおして8mg/dlになる。
 そうやって単位に注目していると、ときどきすごいのに出会う。経管栄養剤の粘度を表す単位は「パスカル」で、正確には「ミリパスカル・秒」。圧のSI単位がパスカル(ニュートン/m2)になってポアズから変わったらしい。この単位の成り立ちには極めて高度な物理学が必要らしいが、私はケチャップ(写真)が3000-8000ミリパスカル・秒という目安を知っていればいいかとおもう。


Eyes Wide Shut

 アイズ・ワイド・シャットはスタンリー・キューブリック監督の遺作だ(トムクルーズがマスクをかぶる、写真)。オーストリアのArthur Schnitzlerが書いた心理小説『夢小説(Traumnovelle)』を基にしているそうだが、映画タイトルはおそらく監督が考えた、「大きく閉じた眼」という矛盾した言葉だ。私はこの言葉の意味がずっとわからなかったが、そのうち「眼が大きく開いているのに見えていない」と解釈するようになった。

 私の師匠が医学生のころ、病院にオスラー卿の流れを汲むEugene A. Stead先生が教えに来た。ステッド先生はオスレリアンの流れを汲む最後の名医・名教育者といわれている(Lancet 2015 385 1720)から、当時病棟を担当した研修医たちが自信を持って「おもしろい」と思う症例をもってきた。珍しい病気や、珍しい発症の病気などだ。

 しかしステッド先生は「ふむ、たしかに面白いだろうが他の症例にしよう」といい続けた。出尽くして研修医の先生たちが「もう面白い症例はありません」といったあと、ステッド先生は「ではこの病棟でもっとも面白くない症例のところにいこう」と言った。そうして連れて行ったのはどんな症例か。

 このエピソードは文献にない。サンクスギビングかなにかで私が恩師のおうちに呼ばれたときに聴いた話なので詳細は分からない。ただはっきりしているのは、その患者さんというのがご高齢で認知症があって嚥下が悪く肺炎になって栄養がたりず褥創ができそうで家族がそばにいなくて孤独で、物理的に抑制されていたかは忘れたがとにかく動けなくて昼も夜もなく天井ばかり見ていたような方だということだ。

 ステッド先生はこれらの問題を問題としてきちんと認識して、しかも「重要な」問題として認識して、ひとつひとつ丁寧にレクチャや議論をしたそうだ。思えばこの患者さんには私達が医療者として人に関われることのほとんどすべてがある。この患者さんをみるのに必要なのは難しい知識や手術技能ではなく、問題を見抜き問題点として挙げる力だ。そしてこれが「見えているのに見えていない」のが、私にとってのアイズワイドシャット。

 このエピソードは、彼が「臨床医に必要なことは多くが医学部・大学以外で習得できる」と考えていたことと符合する。彼はその考えから、医学部を出なくても医師の責任下に臨床診療ができるphysician assistantを創設した。



9/06/2016

I Wanna Hold Your Hand

 今年のノーベル平和賞は10月7日に発表される。テロばかりだったけど、ひそかに困った隣人を助けようと勇気を持って行動をしている人が世界にはたくさんいて、そこから選ばれるのかなと思う。私が選ぶとしたら、コロンビアの52年にわたる内戦を終結させようとしているJuan Manuel Santos大統領と左翼ゲリラFARC側のトップRodrigo Londoñoだろう。和解協定は調印済みで、10月2日の国民投票にかけられる。ここで可決すれば、南米のことはあまり報道しない日本など他の国でも祝われて、受賞の可能性が上がるかもしれない。
 南北戦争も朝鮮戦争もそうだが、家族や同胞が裏切り殺しあう内戦は恐ろしくて、終った後の傷が大きすぎる。コロンビアは25万人の死者をだしたから、懲りてお互いに和解しようと思ったのかもしれない。ゲリラ側も政府側も人道の罪を自白した者は限定的な行動制限とコミュニティー・サービスを行えば投獄されないという措置的正義は、苦いとおもうけど飲んでほしい。日本としては、コロンビアの再建にはすごいお金がかかるから(石油と天然ガスの宝庫であり、甘みが強くて美味しいコロンビアコーヒーもとれるから)ここは気前よく円借款を貸してあげたらいいと思う。
 さて和解の握手はshake handsで握った手を振るわけだが、手をつなぐのはhold one's hand、手を抱くということか。そう考えると乗り物のカップホルダーもカギにつけるキーホルダーもカップとカギを抱いている。日本語の「つなぐ」は「つな(綱)」に由来するのだとか。韓国語では손을 잡다(ソヌルチャプタ、手をつかむ)という。手をつないで気持ちを伝えられるのは基本人間だけで、動物にもロボットにもできない(犬とかイルカも手や手びれを使えるが厳密にはつないでない)。
 つないだ手の先には「あのとき手をつないでくれて心強かった」と言ってくれる患者さんがいるかもしれない。そのひとは裸同然で寒い手術室に寝て荒野に置き去りにされたように感じているかもしれない。顔に覆いがかかったり、場合によっては眼が見えなかったりして手技で身体に侵襲がくわわるたび怖がっているかもしれない。そんなとき、声をかけるよりも手をつないであげることがずっと安心を届けられるかもしれない。こんな、子供を持つ人や看護師さんなら常識なことを医学部では教わらないけど、相手を思いやる気持ちがあればきっと分かるようになるんだと思う。


9/05/2016

GCM and LCM

 あなたはケーキを7等分しろといわれたことはあるだろうか。7と360は互いに素だから、魔方陣をかける人か、北海道の人(下図の北海道旗にはオーストラリア国旗にもでてくる七稜星が輝く)でもないと大変だ。ドイツロマン派の詩人ノヴァーリスは「サイスの弟子たち」という作品で、自然とはあらゆるところに数字の暗号が隠された偉大な書物であると言ったそうだ。星を見て七稜星を想像するなんて洋の東西を問わず昔の人はすごい。

 互いに素は英語でco-prime(relatively prime)、つまり素数をプライム・ナンバーという。反対に、素因数分解できる数をcompositeといい、素因数分解はプライム・ディコンポジション。さて素数、互いに素な数たちは最大公約数(英語でGCM、great common measure)に1しか取れない。つまり、集団にたいしてあまりにも異端になってしまうと共通項がなくて一緒にやっていけない。みんな偶数なのにひとりだけ奇数なようなものだ。

 均一な集団にひとりだけ互いに素(ソは疎に通じるかもしれない)な人がいては、つまはじきだ。でも均一なだけの集団に爆発的なブレイクスルーは生まれない。9さんと13さんと16さんには公約数がないから、一緒にやっていくのは大変だと思う。でももしお互いがお互いを受け入れあったならば、最小公倍数(LCM、least common multiple)をとれる。9と13と16の最小公倍数は9かける13かける16、1872である。

 これが、前に紹介したグーグル社のアリストテレス・プロジェクトの意味。あるいは会社でもてはやされているダイバーシティーという言葉の裏づけ。わたしは3とか5とか7とか11は独立しててカッコいいなと思っていた。おおきな素数どうしでできた数(たとえば11111111は11かける73かける101かける137)を目指して周囲と互いに素になったりもした。最近は24(約数に2、3、4、6、8、12をもつ)みたいに丸いのもいい。数遊びだ。



9/01/2016

Today's Hero

 午前の外来受付が終了し、午後の外来受付まで待っている患者さんが待合ベンチで苦しそうにしていたとき、午後診察の医師に電話して「患者さんがつらそうなので、もし可能なら早めに診ることはできませんか?」と聞くことに罪はない。「とりあえずそちらに行きます」と言ってくれるかもしれないし、忙しかったり都合が悪かったりすれば「他のA先生に対応してもらいましょう」「救急外来にお連れしましょう」と言うかもしれない。

 (それくらい待てるでしょ)と言われればそうなのかもしれない。(休み時間なんですけど)(まず看護師さんに連絡してくれないと指示系統が乱れます)というのも、組織で決まった時間に働く人間だからそういう理屈もあると思う。でも、そういう誹りを覚悟して、それでも患者さんのためにと行動できる勇気を持った人には名前というか称号がついていて、それをヒーローという。

 ヒーローといえばマライア・キャリーとMr. Children。前者は自分らしくあることを怖れない勇気を持った一人称のヒーロー。後者は愛する人のために命を賭けられる二人称のヒーロー。そして上に挙げたのは愛する隣人のために一歩を踏み出せる、いわば2.5人称のヒーロー。よきサマリア人とも言う。米国にたくさんあるGood Samaritan Hospitalというのはこの精神でできた病院ということになっている。

 よく知られているだろうがサマリア人というのはユダヤ人の仇敵にあたる。でも旅の途中で傷ついたユダヤ人が倒れていてお坊さんも誰もこの人を無視した(かどうか知らないがとにかく通り過ぎた)のに、サマリア人だけが声をかけ手当てをし、傷ついた人をロバに乗せ宿に連れて行き財布を渡して「あとをよろしく頼む、足りないお金はまた払う」といって去っていった(Luke 10:25、図)。この人も私にとってはヒーローだ。