11/27/2014

The 25 Rules of Considerate Conduct

 次に紹介されていたのが、Johns Hopkinsが立ち上げたCivility Projectの産物、The 25 Rules of Considerate Conductだ。Healing skillsを磨きたいなら、これらを意識して診療(のみならず生活)するとよいだろう。

  1. 注意を払う:Hippocratesの「全てを観察せよ」という教え、Osler卿の「五感すべてを使って診療せよ」という教えの流れを汲むものと理解せよ。
  2. 相手を大事にし尊重せよ:たとえば、患者の付き添いがいたとき、無視せず彼らにも自己紹介し患者との関係を知るよう努めよ。
  3. 最善を考えよ:「あ~また鎮痛麻薬がほしくて来たのか」などと最初から決めてかからず(実際そうでも)最初は希望と楽観を持って患者と接しろ。
  4. 聴け:よく聴けば診断もつくというものだが、それ以外、医療チーム間のコミュニケーションにおいても「聴いているよ」と示し傾聴の技術を向上させることが重要だ。
  5. 受け入れよ:文化価値観の差異を意識し尊重することで診療の質が向上する。
  6. 優しく丁寧に話せ:たとえば「どうされましたか?」で始め「他になにかしてあげられることはありませんか?」で終わるのは丁寧な問診だ。
  7. 悪口を言うな:患者の悪口、医療者の悪口は無論、人のケアの悪口も言うな(悪口と建設的な批判を受け入れあうこととは別だ)。
  8. ほめよ:患者さんが何か少しでも健康のためになったことをしたならそれを認めてほめろ。心理学者Carl Rodgersがいう「unconditional positive regard(無条件によいとみなされること)」は患者の診療体験をよいものにする。
  9. どんな些細な「いやです」も尊重せよ:医療者のレコメンデーションに患者が同意しない時には、患者の意思を尊重しなければならない。ただし、同意しなかった場合に起こりうることを十分に理解してもらうこと。
  10. 人の意見を尊重せよ:プライマリケア医とコンサルタント、それぞれの立場と専門性を尊重してこそ良いケアが提供できる。
  11. 身体に気をつけよ:自分が健康でなければ人を健康にすることはできない。
  12. 同意せよ:おたがい同意できないときにも、同意できないということを同意することはできるわけで、その際に悪態をついたり礼を欠いたりしないようにせよ。
  13. 静かにせよ(そして沈黙を再発見せよ):沈黙によって患者に返答の十分な時間を与えることで、こちらから沈黙をさえぎっていては得られなかった情報が得られることもあるだろう。話しにくいことを話してもらえるように時間を与えることもまた礼儀と知れ。
  14. 人の時間を尊重する:「待たされる」ことほど患者満足度を下げるものはない。たとえそれが医療現場の現実であっても、自分の遅刻は問題外だし、度を過ぎたoverbookingも避けるべきだ。それでも全ての手を尽くしても遅れたならば、誤ることだ。この筆者は自分の主治医に待たされ外来をrescheduleすることになって不満だったが、その晩に主治医から謝罪の電話を貰って彼を尊敬し満足したという。
  15. ひとの空間を尊重する:患者の病室は患者のスペースなのだから、入っていいか、座っていいか、診察を始めて良いか、一声掛けるのが礼儀と知れ。
  16. 心の底から謝罪せよ:間違えが起きたとき、医師は説明や情報提示のみならず患者(家族)の謝罪の要求にもできる限り応えるべきである。
  17. 自己主張せよ:患者のために主張すべきときは主張せよ、たとえそれが困難であっても。保険会社が拒否した治療でも必要と思ったらアピールすべきだし、コンサルトしたら患者情報がコンサルト先に正しく十分に伝わったかを確かめるような、going the extra mile(もう一歩を踏み出す)医師たれ。
  18. 不要な個人的質問を慎め:患者の個人情報を得る特権を乱用することが許されないのは言うまでもない。
  19. 患者をゲストとして扱え:とくに高齢者や障害者でアシストを必要とする患者に対しては、優しさと配慮をもってそうせよ。
  20. 配慮あるゲストとなれ:往診するときには、医師の都合だけでなく往診先の都合を考えて時間を設定し、往診先に着いたら椅子に座るの一つとっても患者環境に踏み込んでいるという敬意を払ってしろ。
  21. よほどのことがない限り患者に個人的なお願いをするな:医師・患者関係においては医師が圧倒的な力を持っている。職権乱用にあたるお願いをするな。
  22. ぐだぐだ文句を言うな:医療現場は不満のもとがいっぱいかもしれないが、それらに文句をいう隙間はないし、ネガティブな態度は診療の質を下げる。
  23. 建設的な批判を受け入れ合え:患者、同僚医師、多職種、指導医、皆が多くの教訓を教えてくれる。批判しあえる環境で人は伸びる。ただ受け入れるときには客観的に受け入れよ。英語でよく"don't take it personally"と言うが、反省すべきを反省して次に活かせばよいのであって、ふてくされたり凹んだり諦めたりするべきではない。
  24. 環境と動物を尊重せよ:人だけでなく。Schweitzerのいう「生命の尊厳」だ。動物実験は適切におこなわれているか、産業廃棄物は適切に処理されているか。
  25. 責任転嫁するな、そして人を責めるな:患者が怒っているときの対処法に「トリプルA」というのがある。
  • Acknowledge:患者が怒っていることを「私はあなたが怒っていることを認識していますよ、わかっていますよ」というメッセージを伝える。
  • Accept:責任が自分にあるのなら、それを認めて受け入れる。
  • Amend:状況をできるだけ修繕する。

 それでも解決しなければ訴訟沙汰に至ることも有るだろう。この本の第八章第一節はそれについて書いてある。見出しも「医療過誤の定義」「よくある医療過誤」「あなたの弁護士があなたに知ってほしいこと」など、ベテラン医師の経験をもとにした刺激的なものだ。早く先が読みたい。

Etiquette Based Medicine

 この本の第七章はcivility(礼儀正しさ)についてかかれている。日本でも医学部はしらないが初期研修では接遇講習を取り入れるところが増えていると思う。これがなぜ大事かと言うと、医師からすれば正しい診断と正しい治療を行い患者の言うことを理解しcompassionやempathyを示していれば十分に思えそうなものだが、患者からすれば「あの先生は握手しなかった」「あの先生は名前を名乗らなかった」ということは些細なことではないからだ。
 だからBeth Israel Deaconess Medical Centerの精神科医にしてHarvardの助教授であるDr. Michael W. Kahnによれば、医学教育において接遇講習は必修化されるべきだという。人間性の涵養などといって難解な本を読ませるよりずっと簡単で、教えることができるし、効果も期待できる。形から入ることで内容もついてくるものだからだ。彼はそれを、CVラインの感染症予防に手袋着用や清潔野の確保といったチェックリストをつくるアプローチになぞらえている。
 それで彼は接遇六箇条を仮につくり、New England Journal of Medicineに紹介し(2008 358 1988)、のちにこれはNew York Timesにも紹介された。六箇条とは:

  1. 診察室に入る許可を求め、答えを待ってから入る
  2. 自己紹介する、その際IDバッジをみせる
  3. 握手する(必要なら手袋をする)
  4. 座る、必要なら笑顔を見せる
  5. 患者ケアチームにおける自分の役割を簡単に説明する
  6. 病院にいることについてどう感じているかを尋ね、反応を聴く
医師からしたら「この程度のこと」かもしれないが、あなどってはならない。これで患者満足度があがるのである。人として、healerとしての土台だろう。これが必修化されて「この程度のことだが残念ながら意外とやられていないこと」が「やって当然のこと」になれば、不要な医師・患者関係の摩擦が減るだろう。

11/19/2014

The Kalamazoo Consensus Statement

 Michigan州Kalamazoo。Kalamazooといえばジャズ・ビッグバンドの名指揮者にしてトロンボニストであるGlenn Millerの名曲"I've got a gal in Kalamazoo"を思い出す人も多いだろう。しかしこの本の第6章を締めくくるのはそれではない。1999年5月、ここに医学教育やプロフェッショナリズムに関わる団体から代表者たちが集まって「よき医師・患者関係に必須の要素を目に見える形で提示しよう」と議論した結果についてだ。まあ当たり前のことが書いてあるといえばそうなんだが、可視化することに意味があると思う。

  1. 関係を築く:患者中心の、関係性中心の診療アプローチをしよう。患者の価値観は自分と違うかもしれないことを念頭に置こう。
  2. 話し合いを始める:患者が患者自身のことばでどんなことで困っているのかを伝えたいか聞こう。その際に患者とのつながりを持つよう努めよう。
  3. 情報を集める:オープンな質問、クローズドな質問をつかい、言語での表現、非言語での表現に注目して患者さんに起きていることの理解を明確にしよう。
  4. 患者の見方を理解する:患者がどんな信念をもっていて、どんな心配があって、何を得ようとしてあなたに会いに来たのかを聞くことで患者の背景を良く知ろう。
  5. 情報を共有する:医学用語を避け、患者の教育度に配慮して、患者があなたの言っていることを理解していることを確かめよう。一緒におさらいしてさらに質問が無いか聞こう。
  6. 同意に達する:このあとどうするのかについて患者と同意に達しよう。それを助けてくれるものがあれば活用しよう。
  7. その場を締める:最後に質問がないことを確かめよう。もう一度あなたの理解を患者さんとおさらいし、次にいつ会うかを話し合おう。

Practice Makes for Better Practice

 この節では①若い医師は「知らない」と言えることが何より大事、②超緊急、準緊急、非緊急のトリアージができるようになろう、③ロールモデルに付いて学ぼう、ということが書かれていた。そして③のなかでふたつのエピソードが紹介されていた。
 一つ目は、本の著者が付いた家庭医学の創成期に活躍したDr. J Roy Guytherで、彼が忙しい午後の外来ですでに時間がビハインドであるにもかかわらずある老年女性患者の多彩な主訴一つ一つに耳を傾け、最後医師がドアを出る直前に「あの、先生…」という"oh by the way" questionとか"hand on the door knob" concernとか言われる例のアレを受け、嫌な顔せずにその問題について話し合ったことだ。この光景を目の当たりにした著者はそれが頭に焼きついたという。
 いまでは多彩な主訴をもつ患者の外来診療では「そのなかで今日はどれを話し合いましょう?」と絞るskillが教えられるし、実際身体診察するヒマもない日本の外来では多彩な訴えにかまう余裕はないかもしれない(各専門科に振ってしまえばいいか、というのは悪い冗談だが)。まあ最近はアメリカでも一人当たりの外来診察に割り当てられる時間は減っているから、アメリカのほうがむしろ医業収入を出せずクビになるかも知れない。
 でも診療最後の「あの、先生…」という"oh by the way" questionとか"hand on the door knob" concernとか言われる患者の訴えを軽視したり見落としてはならないというのはよく知られた事実であり、それが診療のカギになることもあるし、患者満足度もあがる。
 二つ目は、やはり家庭医学の草分け的存在のDr. Edward Kowalewskiの例で、ある日の診察である患者が「自分はいま人を殺してきたところだ」と曝露した。そこで医師は机の裏についたボタンを押した。これが銀行なら、通報されて警備・警察がやってくるところだが、このボタンはなんと"do not disturb"を意味するボタンで、廊下側からはその部屋のランプが赤く点灯するようになっている。そこで彼は患者と90分あまり話した後、一緒に警察署に行って患者は自首した。
 現場がパニックになるところを、平静の心と誠実な心で患者に接することで収めるスキルと自信をこの先生は持っていたということだ。医者の仕事ではない?そうかもしれない。しかし患者は助けを求めて医師の元に来た。助けを求める者を癒す力、まさに医のアートをまざまざと見せ付けられた思いだ。

The Art of Presentation

 仰々しい題目だが読んでみると基本的なことが書いてあった。プレゼンの目的を知れ。プレゼンの対象を知れ。「主訴→HPI→既往歴…」の順を守り聞き漏らすな。主訴は患者の言葉で。HPIの冒頭は新聞の見出し(lead)のようにその一行でだいたいの背景や状況が分かるようにしろ(そうすれば聞き手がそのあと、それに合わせて有ること無いことに注目しながら聞けるので)。見出しで始めるのは、私も気に入っている。
 HPIは時系列に沿って、元気だったときから病院に来るまで漏れなく描写しろ。アレルギーは何をいつ摂って何が起こったのか書け、絶対に(これをおろそかにすると、いつか医原性の恐ろしいことが起こりうる)。身体診察は「容貌→バイタル→頭から足」の順を守れ。アセスメントではプロブレムリストを立てろ。分かる範囲で書け(診断が着いているなら診断名を、着いていないなら症候など臨床上の問題点を)。この本の著者はアセスメントをプロブレムリストと同一視してているようだが、私はここに臨床推論を含めるべきだと思う。
 プランには治療と診断(検査)計画のほか患者教育、フォローアップなども含めろ。医学生なら抽象的なプラン(抗生剤)でいいが医師になったら「何の薬をどのようにいつまで何を指標に続けて、以下の副作用に注意し出現時はこう対応する」等できるだけ具体的に書ける様になるのが望ましい。食事、運動、ストレス、検診計画までたてられたら理想的だ。S→O→A→Pの順を守れ。プレゼンのフィードバックしてくれたりカルテチェックをしてくれる先輩医師に感謝しろ(私もそう思う)。

11/13/2014

忘れられない一言 25(aka Paul Farmer)

 この本の第五章の最後を飾るPaul Farmerは余りにも有名だし、彼のことを書いた本は邦訳も出ている(国境を越えた医師―Mountains Beyond Mountains) から私が書くことはあまりないが、彼がしていることは世界の医療不均衡との戦いだ。医師というか、anthropologist(博愛主義者)だ。しかし私が学生時代に彼を知ったきっかけはこの引用句だったと思う。

  The only non-compliant people are physicians. If the patient doesn't get better, it's your own fault. Fix it.
 
 すごいことを言う人だな、と思った。それからこの言葉は私の脳に刷り込まれ、患者さんがよくならない時にすぐ患者さんのせいにする医師は無視して、まず「自分の診断、治療に間違いはないか?」と自問する癖がつくようになった。言うは易し行うは難しだが、正しい診断と正しい治療をすれば患者さんはよくなるはずで、それができるようにならなければならない。

 さて第五章まで読んで、ここからは第六章がSurvival Tips for the Young Physician、第七章がCivility、第八章がLessons learned from Private Practice、終章がThe Healerだ。第六章、第八章などは具体的なアドバイスがありそうで楽しみだ。第七章のcivilityも内容が気になるし、終章がどう締めくくるのかも興味深い。

Non-philosopher philosopher

 Edmund D. Pellegrinoは職業倫理と生命倫理の分野でアメリカを代表する学者だ。彼は患者-医師関係の重要性を認識することはバイタルサインを取ることと同じくらい重要だと私達に突きつける。そして患者-医師関係は患者の利益、患者への善を中心においた関係であり、それは築かれると共に時には守られなければならないと説く。たとえば彼はThe Commodification of Medical and Health Careという論文でPlatoを引用している;

 But tell me, your physician in the precise sense of whom you were just speaking, is he a moneymaker, an earner of fee or a healer of the sick?

 私達はこの問いについて考えなければならない。そして考えることは哲学の始まりだというSocratesの言葉をPlatoは引用している。だから私達はnon-philosopher philosopherなのだ。私達は無償で医療サービスを提供するほどナイーブではないけれど、医療は産業だと言い切ってはいけないような気持ちにもなる。しかし医療費は年々増加しているし、病院としては利益率をあげなければならない(いつだったか「休日の退院はベッドが空床になるのでその辺を良く考えるように」と言われて驚愕したことがある)。
 Pellegrino先生はまた、道徳についても説いておりそれが元になってAmerican Medical Associationが2001年にPrinciples of Medical Ethicsを採用することにもなった。Platoは徳の四要素にfortitude(逆境に負けない強さ)、temperance(節制)、justice(公正)、wisdom(智恵)を挙げているがPellegrino先生はこれにfidelity to trust(信頼がおけること)、compassion(共感)、integrity(それらを統合すること)、self-effacement(自分より他を優先すること、謙虚なこと)、そしてphronesis(アリストテレスの用語で洞察力のこと)を加えた。
 一日が終わったときに「ああ、今日も症例や手技に対してお仕事をしたな」と感じるか「ああ、今日も自分の経験と知識と能力を活かして病み苦しむ患者さんとその家族を癒したな(あるいは癒えるのを助けたな)」と感じるか。原点を考えさせられた。やはりこの本はよい(著者がPellegrino先生に会いに行ったら「この手の本は30年くらい出ていない、よくやれよ」と言われたそうだ)。つねに後者の道徳観を忘れていないか、戒めなければならない。

11/12/2014

研究と臨床と教育(aka Theodore E. Woodward)

 Theodore E. Woodwardは著者の大学(Maryland大学)にいた医師で、すぐれた研究者でチフスなどの感染症研究でノーベル賞にノミネートされ、すぐれた教育者で学生が選ぶ賞(Golden Apple Teaching Awardと呼ばれ、米国のどの医学部にもある)とfacultyが選ぶ賞を殿堂入りするほど受賞し、かつ情熱的な臨床医師でブリザードが吹いて多くの医師がこれなかった日も平然とやってきて(もう80歳になろうという頃で自分が直接患者を診る業務はなかったのに)「除雪車にヒッチハイクで乗せてもらったよ」と言うような人だったそうだ。
 こういう研究も臨床も教育も一流な人というのは、確かに存在する。私でいえばアイオワ時代の今は亡き恩師がそうだった。皆さんの周りにもいるだろう。どうしたらなれるのか?いまは細分化、分業化がすすみ教育は教育、臨床は臨床、研究は研究に分かれているからレーダーチャート(うちの院長が好む言葉だが)を傘のように広げるのは無理なのだろうか?米国のacademicianは、臨床何%、研究何%、教育何%と決めて仕事をするという。しかし1/3ずつやる人はまずいない。大学にいる医師はphysician scientistかclinician educatorかhospitalistだ。
 で、私はclinician educatorを目指してやってきた。そしてsemi-academicな環境(community teaching hospitalで、大学ではない。医局にも入っていない)にいる。いまはエネルギーを蓄える時期だからアクティブな活動はできないが、考える時間はもらえている。今まではbed-side teachingとprofessionalismとclinical reasoningとefficient workについて教えるのが好きだった(得意だったから)。これからはどうだろう。目標は何度変わってもいい。歩き続けることが重要で、そうすればいつかどこかにたどりつくだろう。

11/10/2014

忘れられない一言 24(aka Schweitzer)

 この本の第四章を締めくくる巨人はAlbert Schweitzerで、この人についてもまた多くがすでに語られているので私が書くことはあまりないが、やはり何といってもこの人はserve(またはservice)ということの重要性を教えてくれる。彼はこんなことを言っている。

 I do not know your destiny, but I do know one thing; the only ones among you who will be really happy are those who will have sought and found how to serve.

 You ask me to give you a motto. Here it is: service. Let this word accompany you as you seek your way and your duty in the world. May it be recalled to your minds if ever you are tempted to forget it or to set it aside. Never have this word on your lips, but keep it in your hearts And may it be confidant that will teach you not only to do good but to do it simply and humbly. It will not always be comfortable companion but it will always be a faithful one. And it will be able to lead you to happiness, no matter what the experience of your lives are.

 サービスという言葉は、「サービス残業」のようになんとなく不当に尽くす(使われる)イメージで捉えがちだが、彼はそれを徹底的に肯定的に捉え、結果アフリカのジャングルまで行って、みんなにもサービスを行えと言っている。一方で彼が30歳になるまでは自分のために時間を使う(30歳になったら人類に尽くす)と決めていたことも伏線に考慮しなければならないが。
 私は、サービスと言う言葉は相手に良いようにつかわれる(そういえばservantと言う言葉もある)のではなく自分から自分を使って自主的に相手に尽くすことを言うのだと思いたい。これを書いているのも、自分の英語力を使って、医学教育の曖昧な領域を補完する助けになればと思ってのことだ。彼が言うようにsimply、humblyに。

Imperturbability

 そうそう、Sir Oslerのところでimperturbabilityという語にであった。これは「動じないこと」で、有名なaequanimity(平静の心)が心の持ちようだとすれば、imperturbabilityはそれを持って行動することだ。Codeのとき、まず自分の脈をチェックしろなどと言われるが、経験と知識を深めて予想外の出来事にも動じない態度を身につけなければならない。

忘れられない一言 23(aka Peabody)

 Francis Weld Peabodyはハーバード大学の教授をしながら市中病院でmedical serviceにも当たった人だが、この医師がこの本で取り上げられているのは、20世紀に医学が患者を治すべき対象の機械のように扱いはじめたことに強い憂慮を覚えそれに対して警鐘を鳴らしたからだ。彼はJAMAにCare of the Patientという人間性を大事にすべきだという警句を連載し、それは後にDoctor and Patientという彼の著作集に含められることになった。例えば彼はこんなことを言っている;

 The good physician knows his patients through and through, and his knowledge is bought dearly. Time, sympathy, and understanding must be lavishly dispensed, but the reward to be found in that personal bond which forms the greatest satisfaction of the practice of medicine.

 これを読むと、私が初期研修をしていたときに教えに来た米国人医師の恩師を思い出す。最初に彼に会ったときにはその病歴・身体診察などの鋭い観察に基づく診断能力と膨大な知識に舌を巻いたが、米国で彼の診療を見たときには彼がまさにここに書かれたようにたくさんの時間とsympathyとunderstandingを使って患者さんのことを知り尽くしている、その凄さを尊敬した。患者さんはpatientsであるまえにpeopleであることを忘れてはならないと改めて思う。

忘れられない一言 22(aka Sir Osler)

 Sir William Oslerについては多くの人に語られているが、この本を読んで彼がTeacher and Studentという著作のなかで学ぶ者が修めるべき性質についてリストしているのを知った。一つ目は、”art of detachment”。すなわち遊びと学びのメリハリをつけること。二つ目は、”virtue of method”。これはシステマティックな学習を習慣化すること。三つ目は、”thoroughness”。無知も間違いも隠さず徹底して真理を学ぶこと。四つ目は、なぜかこの本に書いてない。邦訳された『平静の心‐オスラー博士講演集』に載っているかもしれないからあとでチェックしてみよう。
 ただこの本ではSir Oslerが類稀なる観察力で科学的に臨床医学、病理学を発展させたことや、学生を病棟に連れてきて教える方式を取り入れたといった良く知られた業績のほかに、彼が心身医学の父として知られていることが紹介されており興味深かった。心身症を認めようとしない患者や家族に彼はよくこんなたとえ話をしていたという。

 The body and mind are like husband and wife, when one doesn’t feel well, the other sympathizes.

11/05/2014

忘れられない一言 21(aka Maimonides)

 Moses Maimonides(Rabbi Moses ben Maimon、Rambam)はイスラム・ペルシャ文化全盛期を生きたユダヤ人で、ユダヤ教信徒にとっては医師よりむしろ聖職者として有名な人である。RhazeもAvicennaも情熱を持って敵味方・貧富に関係なく患者を癒したが、医のアートと医学教育を語る上で彼ほど献身的に患者や若い医師に尽くした人はいないそうで、Osler卿は彼の情熱と智恵に敬意を込めて彼を”Prince of Physicians”と呼んでいる。
 Maimonidesは「Maimonidesの誓い」と「Maimonidesの祈り」の二つでも知られている。これは実際には彼の言葉ではなくImmanuel Kantの弟子Markus Herzの言葉だとも言われているが、誓いのなかにこんな言葉があって私達の襟元を正してくれる。

 Today he can discover his errors of yesterday and tomorrow he can obtain a new light on what he thinks himself sure of today. Oh, God, Thou appointed me to watch over the life and death of Thy creatures; I am ready for my vocation and now I turn unto my calling.

 前半は「昨日より今日、今日より明日」と言っているわけだが、ともするとルチーンな「お仕事」になってしまう私達へのよい戒めだ。後半は、自分は神に神の創造物の生死をwatch overするよう選ばれたと言っている。このwatch overという言葉には、生死をどうこうするのは神で、自分はそれをアシストするという意味が込められているように思える。Maimonidesもまたヒポクラテスに始まりいままで紹介した医師達と同様に、生活習慣や食事を治療の根幹に置いていたが、それは現代にも通じる話だ。

忘れられない一言 20(aka Avicenna)

 Rhazeの次に紹介されているのが有名なAvicenna(Abu Ali Sinna、またはHakim Ibn Sinna)だ。この人はBook of Healingと、14冊からなり以後700年にわたり医学書の基礎として伝承されることになるCanon of Medicineという本を書いたペルシアの医師だ。あのOsler卿もこの本を”a medical bible for a longer time than any other work”と記している。
 彼もRhaze同様に観察を重視したがそれを広げ、実験したり治験したり感染症の概念を提唱して検疫をはじめたりした。またRhazeとちがい先人から学ぶ姿勢が旺盛で、ヒポクラテス、ガレン、アリストテレス、Rhaze、そしてインド医学の影響を受けた。心身のつながりについてもよく言及し、王子が恋人に振られたあとは彼女の名前や住所を聞いただけで不整脈がでたのに、よりを戻したらたちまち治ったエピソードを紹介しており笑える。Avicennaの節を著者はこう締めくくっている。

 He reminds us to look back to our ancestors and learn from them to create new knowledge in a scientific manner and to use the information gained to reach out and heal our current patients.

忘れられない一言 19(aka Rhaze)

 この本の第三章は中世の医師たちを紹介している。中世の医師といえばGalenを想像する人が多いだろうが、この本ではRhaze、Avicenna、Maimonidesの三人を紹介している。Rhaze(Abu Bakr Muhammad ibn- Zakariya Razi)はContinens Liber(The Large Comprehensive)という9冊からなる集大成を著したことで有名なペルシアの医師で、Galenの体液説を公的に否定した最初の人だ。本に書かれたことよりも、自分で観察し考察することを重視した彼は、こんなことを言っている;

 All that is written in books is worth much less than the experience of a wise doctor.

 科学技術が進んで知識が集積した現在を生きる私達は本を読んで医学を勉強する。それは本に書かれた内容がすでにwise doctor達のcollectiveな経験、またはevidenceに基づいたものだからだ。だから症例検討会などで経験豊かな先生が「(私の経験によれば)これはこうだ」などと言っても、心のどこかで「ああそうですか」と思うことがある。でもそれは、それでいい。というか、自分も自分なりの観察と経験で意見を持てばいい話だ。