5/13/2024

忘れられない一言 70

  3月にMGHで初の遺伝子加工されたブタ→ヒトの異種腎移植を受けたRick Slaymanさんが亡くなっていたことが、5月12日に報じられた。医師は腎グラフトが2年はもつつもりでいたし、入院時に拒絶反応がみられたものの回復し、退院後の腎生検でも問題はなかったという。まさにsaddenedであり、ご冥福をお祈り申し上げる。

 病院は「世界中の数えきれない移植患者さん達にとって、Slaymanさんは永遠の希望の灯火(beacon of hope)であり続けるだろう」と述べた。また家族は、医師達の多大な努力と成果に感謝しつつ、移植の必要な何千の人達に希望を与えたいという「彼の希望と前向きさ(hope and optimism)は永遠に残るだろう」と述べた。

 Slaymanさんは一度移植を受けたが腎グラフトが廃絶し、(同種)再移植のめどが立たないなか、異種移植を決断したという。もし最初の移植腎がもっと長持ちしていれば、そして(同種)再移植のめどが立っていれば、あるいは移植以外の腎代替療法がもっと彼にとって快適なものであれば、決断はしなかったかもしれない。

 でも、そのどれでもなかった。そんな彼にとって異種移植は希望であったと思う。そして決断にあたっては、前向きさのほかに、勇気と(診療チームだけでなく、運命や神様も含めた)信頼も必要だったのではないか。

 米国内でも限られた施設でしか行われていないので、「ついにこんな時代が!」と言いつつ現実味がないが、「自分や家族が患者だったら」「自分の患者さんだったら」と想像すると、よりよい治療を提供する・受けるという普遍的な話として実感される。自分の診療においても、希望・前向きさ・勇気・信頼を持ちたいと思った。

 なお、4月にはLisa PisanoさんがLVADと共にブタ→ヒトの異種腎・胸腺移植を受けている。心肺停止の蘇生後であり、FDAが緊急認可して実現したため、Slaymanさんに移植された腎臓と同じeGenesis社製ではなく、United Therapeutics社製だったという。治験の始まるのは、時間の問題だろう。【7月9日追記:Pisanoさんに移植された腎臓は血流が少なく機能せず、5月29日に摘出された。Pisanoさんは7月7日に亡くなった。ご冥福をお祈り申し上げる。】




忘れられない一言 69

 芥川の暮らした田端(文士村記念館があるほか、旧宅跡に記念館を建てる運動も始まっている)と、旧吉原裏にある一葉記念館とは、都バス(草64)で数駅しかはなれていないので、半日もあればどちらも見て回ることができる。

千束稲荷にある胸像(筆者撮影)
千束稲荷にある胸像(筆者撮影)

 芥川龍之介が4才の時、樋口一葉は24才で亡くなっているので、活躍した時代は別であるが、もしかすると一葉作品が龍之介が預けられた芥川家で読まれていたかもしれない。この二人を対比する人はあまりいないだろうが、二点が印象的だった。

 一つ目は、執筆環境である。芥川は、執筆環境には拘らないと言いながらも「明窓浄机(めいそうじょうき)」な書斎を求め、子供が騒げば怒鳴って黙らせた。いっぽうの一葉は吉原裏に引っ越して駄菓子屋を営む傍ら、喧騒のなか長屋の奥で執筆した。

 筆者は「なるほど明窓浄机か、よい環境は必要だな」と思ったが、一葉の環境と執念に触れて反省した。なお、当時断筆を考えていた一葉はこの時期に『琴の音』と『花ごもり』を発表し、ここでの見聞を『たけくらべ』などに活かして才能を開花させた。

 二つ目は、医療環境である。一葉は、1896年4月に結核の症状がでたものの、医師にかかったのは8月であった。作品を絶賛した森鷗外を通じて青山胤通らの診察を受けたが手遅れで、当時治療がなかったこともあり、同年11月23日この世を去った。

 なお、青山医師はその2年前に香港の疫病調査でペストにかかり生死をさまよった。Wikipediaによれば、樋口一葉はそれを聞いて「知らない人ではない仲なので、殊に哀れ」と述べていたそうだ。青山医師もまた、一葉の死に思うところがあっただろうか。

 芥川には、近所に住み「家族そろってお世話になっている」友人の主治医、下島勲がいた。しかし『或旧友への手紙』によれば2年間ばかり死ぬことばかり考えていたという芥川の「ぼんやりとした不安」は、下島医師には相談していなかったのだろう。

 その下島医師は、なんと芥川を看取っている。医師にとって、患者が自殺するほどショッキングなことも、そうそうない。きっと当時の感慨を記したものがあるのだろうが、思うところがあったと思われる。

 それにしても、絵画や音楽と違って言葉で伝えるはずの文学に、言葉では伝えられないものを伝えることができるというのは、興味深いことである。最後に、前述の一葉作『花ごもり』にある、お新という登場人物のこんなセリフを紹介する(現代仮名遣いに改めたもの)。

 うき世というものの力はいかほどの物やら目には見えねど、かなしきも嬉しきも我が手業にあたわぬこととあきらめぬる身は、つらき時はつらき時の来たりぬと思い、嬉ししき時は嬉しきとおもう、そのほかには何ともなされぬではござりませぬか


フォニックス入門2、母音

  母音の初段階は、aiueoを「ア・イ・ウ・エ・オ」と読むローマ字を越えること。ローマ字は短母音でしかなく、それと別に長母音の「エイ・アイ・ユー・イー・オウ」がある。これを理解しただけでも、tomatoが「トメイトウ」と、ぐっと英語っぽくなる(ただし、最初の「o」は短母音)。

 なお、長母音と短母音に関しては「final silent e」をぜひ知っておきたい。pineをローマ字で読むと「ピネ」で、長母音でよむと「パイニー」になるが、ご存じの通りこの語は「パイン」と読む(松を意味する)。

 つまり、最後のeは、発音されない。さらに、final silent eには、その前の母音を長母音にする働きがある。先ほどの例では、eがあることでpiが「パイ」になる。eを取ってしまうと、pinとなり、「ピン」となる(ピンの意味)。

 なお、「y」も「i」と同じように発音されるため、母音扱いしてよいだろう(ちなみにフランス語では、yのことを「ギリシャのi(i grec)」と言う)。

 さらに、先ほどの子音と同様に、母音にもblendとdigraphがある。blendは、quietを「ク(qu)」「アイ(i)」「エット(et)」と読むように、連続するだけである。

 digraphは、seaのように、eaで「イー」と読むようなものだ。さらに、正確にはtrigraphと言うのだろうが、aiueoに「l」「r」「gh」「w」を加えたものもある。highのighを「アイ」と読み、ballの「al」を「オー」と読むようなものだ。

 blend・diagraph・trigraphの例をアイウエオ順に挙げると:

・アで始まるもの

 アー(ar、are、er、ir、or、ur)、アイ(igh、ey)、アウ(ou、ow)、アウア(our)

・イで始まるもの

 イー(ea、ey、ie、ee)、イア(ear、eer)

・ウで始まるもの

 ウ(oo)、ウー(oo、ew、ue、ou、ui)、ウーア(oor)

・エで始まるもの

 エ(ea)、エア(air、are)、エイ(ay、ai、aigh、eigh、ey)

・オで始まるもの

 オー(au、aw、oa、oe、or、our)、オーア(oar、oor)、オイ(oy、oi)、オウ(ow、ough)

 これらを押さえると、たいていの単語は発音できるようになってしまうのが、フォニックスの凄いところである。日本にいると英会話教室でしか教えてもらえない「秘技」のような扱いの印象も受けるが、何のことはない、ネイティブは学校などでこうやって英語を学ぶと聞く。もっと広まればと記載した次第である。

 なお、文章になってもほぼ同じで、追加で知っておくべきはリエゾンくらいだろう。

 リエゾンは日本語にもなっているから「つなげる」という意味なことは多くの人が知っているだろう。フランス語で有名だが(liaisonも元はフランス語である)、英語・韓国語など他言語にもある。

 たとえば、I like yellowと言う時、likeの「k」とyellowの「y」がつながって「ky(キ)」になるので、「アイライキエロー」と聞こえる。復習になるが、likeの「e」はfinal silent eだから発音されず、前のiが「アイ」と発音されている。




フォニックス入門1、子音

 英語のつづり字と発音の関係をフォニックスと言うそうだ。とくに子供の英語教育ともなるとどこもかしこもフォニックス一色であるが、「B(ビー)、ブッ、ブッ」などと言っているだけで本当に効果があるのか?とちょっと疑問だった。

 しかし、今回その次の段階について学ぶ機会があり、効果の強力さを実感している。とくに、blend(混合)とdigraph(二重音字)という概念である。子音と母音に分けて説明する。

 blendとは、「bl」のように「b」と「l」がくっついた音。混合というよりは、立て続けに発音するものだ。語の最初にくることもあれば、途中なこともあるし、blendの「nd」のように最後にくることもある。

 母音を伴わない子音は日本語話者に発音しにくいため、「bl」が「ブル(bulu)」となってしまいがちである。これらの子音は、そのよい練習になると感じる。

 そしてdigraphとは、「二文字で(di)書く(graph)」音。「ph」のように、「p」でも「h」でもなく「f」の音になるつづり字を言う。これも、知らないと発音できない大事なものだ。

 参考までに、これらの例を挙げる。

 bl、br、ch、ck、cl、cr、ct、dr、fl、fr、ft、gh、gl、gr、kn(kは読まない)、ld、lt、lp、mb(bは読まない)、mp、nd、ng、nk、nt、ph、pl、pr、pt、rd、rf、rk、rt、sc、scr、sh、sk、sl、sk、sm、sn、sp、spr、st、str、sw、tch、th、tr、wh、wr

 他にもたくさんあるのだろうが、上記49個だけでも意外となんとかなる。かな文字の種類と同じと思えば、練習できない数ではないだろう。

 なお、子音についてはもう1点、「c」と「g」には「硬い音」と「柔らかい音」がある。「c」ならcakeやcatなどは硬く、faceやriceなどは柔らかい。「g」ならgreatやgoogleなどは難く、giantやgiraffeなどは柔らかい。

 



1/20/2023

花より団子

 以前花をみて感じ考えたことを書いたが、今度は団子をみて感じ考えたことを書く。なぜなら、ある日団子を食べたから。割と有名な団子屋さんなのでご存じの方もいるかもしれないが、そこの団子は3色が串に刺さらずころころ皿に置いてあった。


 団子はうまかった。そんなわけで翌朝、電車の窓に結露がついていたので、思い出してそこに同じように円を書いてみた。


 すると、三つの円に囲まれた部分が気になりだした。そして、それが各円の中心を結んだ三角形に対してどれくらいの割合なのかが気になった。このころはまだ、6角形だと100%敷き詰められるのにな・・くらいに思っていた。


 それで、三角形を取り出してみると・・


 円の半径を1として・・


 スキマの割合はこのようになる。


 インターネットで「1-pi/(2*sqrt3)」と入力すると、0.0931・・と計算してくれる。というわけでスキマは約9%なのであるが、インターネットの検索結果のなかにとんでもないものをみつけた

 なんと、「円周率÷(2×ルート3)」は級数展開できるというのだ。しかも、その証明方法もいくつか紹介されていた。フーリエ級数を使ったものが美しかったので、ここでも説明する。

 まず、フーリエ級数の有名な式に、「エックス=円周率÷3」を代入する。


 すると、二番目の式にでてくる三角関数の値は下図のようになるので・・


 二番目の式はこのようになる。あとで出てくるので、★としよう。


 右辺に分数が羅列されているが、これを「1・4・5・8・9・・番目(グループA、赤)」と「2・3・6・7・・番目(グループB、青)」に分ける。


 さあ、ここが肝心なのだが、Bを2倍すると、A-Bになっている!


 ・・と言われても分かりにくいかもしれないから、A+Bと2Bを並べて、足し合わせてみると、Bの部分が消えていく。


 そんなわけで、一番下の式から「B=A/3」となる。これを★に代入すると、


 結局、スキマの割合は、「1ーA」というわけで、「(5、5+6、5+6+6・・分の1の和)ー(7、7+6、7+6+6・・分の1の和)」になる。

 
 花もいいが、団子もいい。今回は二次元にしたが、三次元にした時に正四面体にしめるスキマ空間の割合なんかも、おそらく円周率などで表現でき、それを級数展開することも可能なのだろう。ちょっとした日常のなかにも、奥深さが垣間見えるものである。




3/12/2021

「にもかかわらず」と「だからこそ」

 時節柄、診療で「にもかかわらず」と感じることが多い。隔離されている患者にもかかわらず、話をきく。防護服を着ているにもかかわらず、聴診する(重度の心臓弁膜症がみつかったこともある)。外来で透明プラスチック膜を隔てているにもかかわらず、触診する(虫垂炎がみつかったこともある)。

 これを「クールなプロフェッショナリズム」と理解してきた(こちらも参照)が、最近は逆に考えるようになった。きっかけは、2001年の映画『アイ・アム・サム』である。ご存知の方も多いだろうが、映画ではサムがルーシーの父親として適格かどうかが問われる。そして、ある証人がこう答えるシーンがある。

I know that you all think she's as smart as she is despite him, but it's because of him. 

  そうか、マイナスと思えることは実はプラスなのかもしれないな・・などと考えて日々を送っていたら、昨日のニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン(NEJM 2021 384 888)にもこんな表現がみられた。

Because of their personal experiences, physicians with mental disabilities can make important contributions to health care.

 「ピンチはチャンス」、「blessing in disguise(逆境・試練にしか思えないが実は祝福・恩寵なこと)」というイディオムにもなっているぐらいだから、発見者づらして書き立てることでもない。でも、そういうことを経験すると、リアルに知るというか、実感が湧く。



こちらより引用)




12/09/2020

感応外来

 患者の話を聞いて「そうなんですね、私も・・」と自分の経験を伝える医療者もいれば、伝えない医療者もいる。筆者は典型的な後者である。

 患者から見聞きするさまざまな悲惨さや過酷さを、私達が経験したことがなかったからといって、それらに共感できないわけではない。逆に、経験したことがあったからといって「患者の感じた苦しみ」と「私が感じた苦しみ」は同じではない。

 大切なのは、「患者にとってどうであるか」を尋ねたうえで、「それはきっと大変に違いない(経験したことはないけれども)」と、脳や心の同じ部分を光らせることだと思っている。
 
 しかし、こないだちょっと大変な状況の外来で、思わず戒めを解いて「じつは私も・・」とやってしまった。

 すると、自分の身体によい意味の鳥肌が立ち、細胞と細胞のあいだを温かい何かが流れていく感じがした。相手もそうだったかはわからないが、とても前向きに診察を終えることができた。

 41歳で末期がんのため死去したボストンの病院弁護士ケン・シュワルツ氏は、医療者が「ひと」として患者に心を開くことを「医療のルビコン河を渡る」と表現し、それが苦しい闘病生活の中で何よりも有難かったと記している(こちらも参照)。

 何でもかんでも「私も」と相槌を打つのは不適切にしても、効果的に用いるのは、ありかもしれないと思った。



YouとMeで「ゆめ」
こちらから引用)


9/16/2020

天も地も動かせなくても

 急性期病院にいれば必ずついてまわるのが、転院調整だ。しかし医師としては、ご家族とご本人にお話し、転院受け入れをお願いする手紙を書いたら(こちらも参照)、そこから先は調整を待つことになる。

 そのために(名前は違っても)どの病院にもあるであろう「退院支援チーム」は、なんとかしてくれる心強い存在なのであるが、きょうはこの「何とかする」に関連する英語表現について紹介したい。

 それは、"move heaven and earth"である。たいていは仮定法で「~するためなら何でもする(would move heaven and earth to do ...)」と用いられる。

 2017年ディズニー映画『リメンバー・ミー(英題:Coco)』でエルネストがヘクターをだまして毒を盛った杯で乾杯するときに"I would move heaven and earth for you, mi amigo(アミーゴのためなら天も地も動かす)"を思い出される方もいるだろう。

 あるいは、80年代ポップがお好きな方なら、英国歌手リック・アストリーの"Together Forever"(1987年)に出てくる"Don't you know I would move heaven and earth to be together forever with you"を思い出すかもしれない。

 しかし「天も地も」なんて、すこし古臭いというか、芝居がかかっている気がする。それで由来を調べると、旧約聖書で万軍の主が"In a little while I will once more shake the heavens and the earth, the sea and the dry land"と言ったことになっていた(ハガイ書2章7節)。

 筆者はまだ「1日もはやく退院を!」という立場にはないのだが、患者さんや家族のたっての希望がある場合には、「天も地も動かしてなんとかしてください!」と言いたくなるかもしれない。まあ、その際には自分で連絡するだろうが。




映画『天と地と』(1990年)



 

9/09/2020

トトロの教えてくれたこと

  『ふたつよいこと、さてないものよ』と喝破したのは河合隼雄先生(『こころの処方箋』、1992年)だが、同じことを『となりのトトロ』(映画公開は1988年)エンディング・テーマから教わった。

 ほかでもない、曲の最後に繰り返される「トットロ・トットーロ」のことである。下図のように、コードはメジャーからセブンス、セブンスからディミッシュト・セブンス、さらにマイナーへ移り変わる。



 
 最初のFメジャーだけなら、なんの心配もドラマもない。それがセブンスになり「おや?」と変化がうまれる。一つ目(1行目後半)のセブンスは歌詞がCで始まり長調風だが、二つ目(2行目前半)はB♭ではじまり短調を予感させる。

 そしてそこから、一陣の風のようにディミニッシュト・セブンスが吹き込み、Dマイナーへ。二行目はルート音(ベース音)もC→C♯→Dと半音階で進行し、森の気味悪さを暗示するかのようだ。そしてふたたび、1行目のFメジャーにもどる。

 このが繰り返される様子は、筆者にはまるでサインカーブのようにすら思える。また、このマイナーコードがあるからこそ、人生が味わい深くなるのかもしれないと思えてくる。少しの不安、少しの恐怖を乗り越えることによってである。


 同曲歌詞「もしも会えたなら、すてきな幸せがあなたに来るわ」ではないが、子供のときにだけ会えるはずのトトロに、はじめて会えたような気がした。ありがとう、トトロ(と久石譲さん!)。


引用元はこちら


忘れられない一言 68

 一日に何十回もやっている達人が条件のよい血管を刺す時でさえも、「弘法も筆の誤り」ということがある。まして、そこまでの達人でない場合や条件がよくない場合はなおさらだ。

 しかし、患者さんとしてはもちろん失敗してほしくない。それでだろうか、時には刺す前に、「失敗したら、院長呼ぶよ」と言われることもある。

 院長を呼ぼうが呼ぶまいが何とかしなければならないことに変わりはない。しかし、やはりこう言われるとちょっと気が引き締まる。かといって「失敗しても怒りませんから安心してください」と言われたら気が抜けるのかというと、そういうわけでもないのであるが・・。

 じつは筆者も、健康診断で採血される際など「うまく行きますように」とひそかに祈っている。誰を刺すときにも、何を言われても(言われなくても)、刺される相手はそう思っていると自覚して、ベスト・ショットを心がけるよりない。



Pat Betanar ”Hit Me With Your Best Shot”
(引用はこちら