Faithという言葉じたいにも理性や理由によらず信じるという意味があるが、leap of faithとは信じて(よい結果になるか悪い結果になるかはわからないけれど)跳躍、つまり行動することである。キルケゴールが提唱したqualitative leapが基になっているという。ただそれ以前にも、超越した神や真実に近づくための神秘主義的な方法としてのleapを提唱した人はたくさんいた。
先日、生体腎ドナーについての生体腎ドナーによる文章のなかに、「臓器提供によって何がどうなるかと言うデータが乏しいので、leap of faithで提供するしかなかった(もっとデータがないと、提供者は増えないし安心して提供もできないだろう)」というのがあった。
移植全体として、レシピエントには「よかったですね」「始まりですね」とあれこれとサポートするが、ドナーは術後翌日には退院し、正直あまりフォローする機会がない(主にドナーのPCPが行っている)。レシピエントに「ドナーを見つけましょう(あるいは、自分から見つけるのが気が引けるなら、代弁者になってくれるliving donor championを見つけましょう)」としきりに勧める以上、ドナーが臓器提供によって何がどうなるかを、もう少し知らなければならないと思った。