12/15/2016

大事な本

 「どうしても、何が何でも、理屈がどうでも、説得されても、情に訴えられても、危険でも、命の保証ができなくても、とにかく入院は絶対にいやだ」という人にあうと、9年前のことを思い出す。救急的なシチュエーションならよくある話で、世の中にはできる事とできない事があるのは分かるけど、それでも何とかならないのかなと思う。それで、11年前にシカゴにあるNorthwestern大学病院(写真)の総合内科に留学した時に書店で買った本を開いてみた。

 Frederic W. Platt先生とGeoffrey H. Gordon先生が書いたField Guide to the Difficult Patient Interview(2004年)は、何回引越ししても私のそばにある。STEP(日本の国家試験参考書)もハリソン内科学もどこかにやってしまったけれど、こういう本は蔵書に残るんだなと思う。で、調べてみるが本の目次に「入院や検査を拒否する患者さんとの接し方」という章がない。仕方ないからパラパラ読んで探したらUnderstanding the Meaning of Illness(病気の意味を理解する)章にかいてあった。

 「Aだから入院が必要」だと了解可能なのに「『Aだから入院が必要』だろうが何だろうが関係なく、とにかく入院はしない」と患者さんがいっているとき、私達はおそらく患者さんにとって病気が何を意味するかを分かっていない。だから患者さんが自己破滅的で真実から目を背けていると責めるのではなく、私達の側に、みつけるべき事実がもっとあることを受け止めるべきだとこの本は言っている。

 まず「あなたが絶対に入院しないことは分かりました」で「そうだ!」というYesをひとつもらう。そのあとで、説得するためというのではなく相手を理解しようという誠実な関心を示す。そこで知りたいのは、患者さんはどうして自分が病気になったと考えているか、病気になったことについてどう思っているか、入院することで何を失うか(お金、社会的な役割、インターネット環境、能力)、病気や入院や治療による負担を軽減するためのどんなサポート(家族、友人、保険)を持っているか、など。

 It's not their problem, it's your problem。Paul Farmer先生が言っていたのにも通じるが、患者さんがどうしても入院したくないとおっしゃるのは患者さんの問題ではなく、患者さんの理解不足な私達の問題(だから章タイトルが「理解すること」になっている)。人のせいにするのは簡単だ。こういう状況では患者さん一人が聞かん坊の悪者みたいになっているから、誰もあなたを責めない。でも喧嘩別れみたいに帰すのが正解ではないと思う。まだまだこの本にお世話になりそうだ。



12/02/2016

キュア!

 トランプ氏が次期大統領になって、オバマ大統領はTPPも通せないし、残り任期でできることはメルケル氏の4選を応援するくらいだと思っていた。しかし、それでも共和党と民主党が一緒に可決できる法案というのはあるもので、昨日可決したのが21st Century Cures Actだ。やっぱり医療は人類共通の課題だから、党派を超えて賛同を得られる。予算の48億ドルは、薬や医療デバイスの認可を速く簡単にする規制緩和のほかに、NIHの研究、プレシジョン・メディシン・イニシアティブ(ゲノム情報などをもとにして一人ひとりに合わせたいわゆる「テーラーメイド医療」)、BRAINイニシアティブ(脳疾患についての詳細な脳マッピングプロジェクト)などに使われるという。
 キュアなんていうと言葉の響きがいい(下図)けれど、要は製薬業界の圧力を受けた規制緩和法案で、何も知らない患者さんが薬害や副作用に簡単にさらされると懸念する声もある。それでもやっぱりキュアっていい響きで、撲滅したい病気はたくさんあるから頑張ってほしい。例えばこないだアルツハイマー病に対する抗アミロイドβモノクローナル抗体のSolanezumabが治験で失敗したけれど、似たような抗体はたくさんあるし、beta secretase cleaving enzyme(BACE)拮抗薬という別のクラスの薬もたくさん治験中だ。Roche、Biogen、Lilly、Merck、AstraZenecaがリードしているようだが、日本の製薬会社も研究しているといいなと思う。
 



 

11/25/2016

Positive Strokes

 電子カルテもいいが、紙カルテにもいいところがあった。たとえば筆跡で誰が書いたかわかった(内容は読めないこともあったが)。それから、何をしてもうまくいかず周囲が敵ばかりに思える時に、「カルテの字がきれい」と言われただけで救われる人がいた。電子カルテになって、さまざまな職種の多くの人がカルテを簡単に読めるようになった。「字がきれいです」と言われることはもうないけれど「わかりやすいです」と言われることはできる。

 人間は周囲から日常に無限のストロークというフィードバックを受けていて、それがポジティブだったりネガティブだったりする繰り返しで自己肯定や自己尊重などが生まれると、交流分析という分野の心理学の本に書いてあった。振り返ると、ポジティブなストローク(下図)ばかり受けて育ったなと思う。運がよかったのかもしれない。いつでもどこでもポジティブなストロークが受けられるとは限らない。だから、自分で自分に、また自分から周囲に、ポジティブなストロークを与える人になりたい。

 そこで自分ですぐできるのが、祈りだと思う。シンプルに、現状において自分がいかに恵まれているかを再認識して感謝する。悩みや目標を言語化して、自力または他力の解決を願う。神様がいてもいなくても、祈り自体に自分を支えてくれる力があると思う。これはまやかしというより、心理学や行動科学でいう自己充足預言(self-fulfilling prophecy)、つまり思考は現実化するということだ。また自分を支えるだけでなく、河原和音『青空エール』にでてくるピグマリオン効果(Rosenthal効果とも;対義語はゴーレム効果)のように相手も支えるかもしれない。




11/23/2016

Hinadan

 Rubber stampとはゴム印のことだが、自らの意見なく(またはあっても言うことが許されないか、言う気がないか、言っても無視されるか、などで)追従する人ないし議会などのことも指す。よく引き合いに出されるのがNPC(National People's Congress、全国人民代表大会;写真はロイター)だ。2987人も代表が集まるのにそれぞれが意見を出し合い議論するわけでもなく、基本的にだまって指導部の方針を追認するさまは、欧米の価値観からかなり奇異に映るようだ。ことなる利権を折衝する場だと考えられている議会ならなおさらだ。

 しかし「会議は発言しない場所」というのは日本においてconventional wisdom(そういうもんだ、という智恵)だ。「日本人のミーティングといえばサイレント、スマイリング、スリーピングの3S」なんて過去の話かと思っていたがそうでもないらしい。それはミーティングが意見を出し合う場ではなくて指導者の方針を追認する場だから。発言が禁止されているわけではないけど、意思決定過程がそうである以上はむやみに発言しても自分も周囲もいいことがない。

 渡米したての2008年には自分の考えがうまく言えず堂々とできず苦労したし、帰国した2013年にはみんなに意見を言わせようと試行錯誤したけれど、日本でふたたび適応しようと思っている2016年には、周囲にあわせて頷いたり笑ったりしながら、必要な時に必要なタイミングで相手が聞いてくれるように発言して貢献する(あとでこっそり耳打ちするとか)などの穏便なやり方をさすがに学んでいる。

 これを私はテレビ番組になぞらえてhinadan(ひな壇)と呼んでいる。ひな壇芸人というのはユニークな概念なのでそのうちkaizenのように英語になるのではないかと思う。ステージに一人で立つのに度胸と場数が必要なように、hinadanするのにも練習が必要だ(難波義行『大勢のなかでも存在感がでる ひな壇芸人のトーク術』という本まで出ている)。日本文化を学び直す意味でもやりがいがあることだ。




11/16/2016

Brewing Question

 アメリカでCCU(循環器のICU)にいた時、指導医がいつもコーヒーを持って教育回診に現れた。この先生は院内感染対策(とくにカテーテル関連の菌血症)で有名な方だったのでなんだか可笑しかったが、たしかにコーヒーに雑菌がいるわけじゃないし、患者さんを診るときには手洗いやジェルを使っていた。日本でだって、長い外来を乗り切るために机にこっそりコーヒーを忍ばせている先生は少なくないと思われる。
 コーヒーといえば、日本の病院で朝食にコーヒーを出すところを聞いたことがない。「朝コーヒーをだす病院」で検索しても、カフェインの害(不眠、頭痛など)を指摘する記事しか出てこない。もし害があるから出さないのなら退院後もコーヒーをふくむカフェイン制限をかけたらいいと思うが、不眠や頭痛誘発がある患者さまのように明確に避けたほうがよい場合を除きそんなアドバイスはしない。
 コーヒー摂取と死亡率に逆相関(飲んだほうが死亡率が低いということ)があると示した疫学研究はたくさんあって、なんどもまとめられている(たとえばJ Nutr 2010 140 1007、これには日本の研究もいくつか含まれている)。死亡率のなかでも、心血管系死亡率に逆相関する結果がおおい。交絡因子がたくさんあるけれど、もしコーヒーを飲む人は心臓に優しく長生きする生活をしているというなら、習慣に取り入れたらいいかもしれない。認知機能や気分によい影響を及ぼすという論文もある(たとえばJ Nutr 2014 144 890)。
 それと別に、利尿作用で脱水になるという懸念がある。たしかに、まったくカフェインを抜いた被験者にコーヒーを数杯摂取させると同量の水摂取にくらべて多く尿が出る。だからコーヒーを飲んでいない人、かつ頻尿で困っているとくにご高齢の方に無理やり飲んでもらうことはない。ただ、コーヒーをのんで尿が出るから摂らないほうがいい、とまではいえないそうだ(coffeeandhealth.orgにまとめてある)。もしカフェインが心配ならカフェイン抜きのもある。
 入院前にコーヒーを飲んでいた患者さんは、退院後またコーヒーを飲む。あるいは好きな人は入院中も、売店や病院内のコーヒーショップ(写真)で挽きたてを買ってこっそり楽しむ。それはそれでいいけれど、食事代は入院費と別に払うのだから「朝食はコーヒーで牛乳はいらない」と言う人が、自分の払った牛乳を捨てて、コーヒーショップで別にお金を払うというのはいかがなものか。
 どうしてコーヒーが出ないのか。パンとコーヒーを朝食にするのは都会の若い人だけで、おおくの患者さんは今でもご飯とお味噌汁だからだろうか。私の印象ではご高齢でも都会でなくても結構な割合でパンとコーヒーを召し上がっている(ある飲料メーカーの調査では日本人の3割が朝にコーヒーと書いてあるがそれより多い)。
 コーヒーは淹れるのが大変なんだろうか。たしかに何百人分のコーヒーを朝つくるのは大変そうだし、新しくコーヒー設備を給食設備にいれる投資に見合った利益が回収できないのかもしれない。コーヒーは冷めると風味が落ちるので病棟のすみずみに運ぶのが難しそうだ。
 あるいは、技術的にもコスト的にも可能で医学的に問題がないけれど、言い立てるほどのことでもないし好きなら自分で買って飲むから、誰も言い出さないのかもしれない。それでもときどき「朝のたのしみだから缶コーヒーを飲もうとしたら病棟に止められた」、「いつも朝はパンとコーヒーなんですけど、病院ではごはんとほうじ茶じゃないといけないんですか?」などの声を耳にすると何とかならないかなと思う。




 

11/15/2016

Bon Appetit

 Omakaseという言葉は英語になっている(Sushiレストランでみかける)。基本的になんでも自分で選ぶのがアメリカで、病院でも食事は患者さんが自分で栄養科に電話して注文できるようになっている。カロリー、アレルギー、飲み込みやすさなどを医師が指定した条件のなかではあるが。いろんな文化の人たちが集まっていて食べられるものと食べられないものが違うせいもある。なおインドの病院では食事は患者さんの家族が作ってくると聞く。
 日本の病院の食事にもいろんなチョイスがある。主食だけで常食、軟飯、おにぎり、全粥、パン、うどん、そうめんくらいは選べるところが多いだろう。おにぎりは海苔なし、麺は刻まない、お粥はかため、パンは耳なしまで指定できる。さらに副食も、いろんなものをつけられる。たとえば:

生果物
お茶ゼリー
フルーツ缶詰
ねり梅
海苔佃
たいみそ
ふりかけ
梅干し
ようかん
ヨーグルト
ゼリー
プリン
ヤクルト
ジュース
アイス
納豆
ところ天
コーヒー牛乳
コーンスープ
パンプキンスープ
ポテトスープ
オニオンスープ

 入院中、食事は楽しみのひとつと思う。だからいろいろ選べてよいことだ。しかし、これらのチョイスがメニュー表のように患者さんの手元に渡されることはあまりない。納豆や生果物など、ものによっては避けたほうがいい患者さんもいるから仕方ないのかもしれない。だから、提供する側は患者さんが聞いていないと思って「飯を食わせておく」などと言ってはいけない(これを戒めてくださった初期研修時代の指導医にいまでも感謝している)し、ちゃんと好みを聞いて満足してもらったほうがいいと思う。
 たとえば、三度うどん(写真)でもいいほどうどんが好き、という患者さんがいるかもしれない。で、ニーズがわかれば日本の医療者は有能で真面目で思いやりがあるので、たとえその患者さんに塩分制限がかかっていてもなんとかしてくれる。どうすれば塩分少なくうどんを召し上がってもらえるか考えて汁をだし重視でうすめたり、工夫してくれるかもしれない(三食うどんもご本人がお望みで医学的に問題なければ不可能ではない)。工夫分のコスト*を取るためにやるというより、工夫したお食事を提供して喜んでもらえるのがいいと思う。それに、満足度が高ければ口コミでおすすめされるかもしれない。
 
*注:薄味うどんの工夫代というわけではないけれども、減塩食をおだししていることで「特別食加算」がとれる。また心疾患に対する減塩であれば、栄養師さんが週1回面談することで「入院栄養食事指導料」がとれる。



11/11/2016

情提文例集 補遺1

 お仕事でのお手紙の書き方について以前に投稿させていただいた。この記事、検索でひっかかるのかこのブログにおいては上位に読まれている。やっぱりコミュニケーションは大事で、とくに日本は今でも文書のやり取りが多い(昔からそう)から、とりあえずのたたき台や参考になっているならありがたい。

 あれからいろんな先生が書くお手紙をみてきたが、そのなかで「紹介礼状」というのが心に残っている。患者さまの退院前、かかりつけの先生に「Aに対してX、Bに対してY…、いたしました。退院後は、Zなどされてはいかがかと思います」というお手紙を書いたお返事だ。抜粋するとこんな内容だった。

 いつも大変お世話になっております。X日付けにてA様の情報提供書をいただきました。このたびはご丁寧な診療、情報提供書、ご対応、誠にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

 お手紙には、コストがとれるものととれないものがある。「今後の治療をよろしくおねがいします」というお手紙(たとえば、私が書いた診療情報提供書)はコストがとれる。「ご紹介ありがとうございます」というお返事(たとえば、私がいただいた紹介礼状)は、コストはとれない。無償の行為をうけとったわけだ。

 でも、こういう心遣いはじつはちゃんとお金になると思う。紹介されたときに「ご紹介ありがとうございました」と書けば、受け取ったほうはうれしいし、「また、あそこに紹介しよう」と思うかもしれないからだ。そのために時間をかけすぎては生産性がさがるけれど、簡単でも気持ちが伝わるように書けばいいと思う。
 
補遺1:他科依頼(併診願い)とそのお返事

 情提文例集(情提だけじゃないから「お手紙集」)に、他科依頼がなかった。というのも、米国には他科依頼というお手紙がないからだ。コンサルト・オーダーのコメントに腎臓なら「AKI Cr 2.0」とか書くだけで済む。詳しくは電話するか、会ってお話するかだ。文例を追加しよう。

 【依頼】お世話になっております。ご紹介いたしますAさまは[既往]の既往ある[年齢][性別]で、

①[入院日]より[入院病名]で入院しておられます。
②[自科主病名]で当科外来におかかりです。

(が、)[いつ][どんな][相談したい問題]を認めました。[相談する科にとって重要な追加事項]はX、Y、Zです。[相談したいこと(診察、検査、治療、意見)]につきご相談したく貴科にご紹介もうしあげる次第です。お忙しいところおそれいりますが、ご高診ご加療のほどよろしくお願いいたします。

 【お返事】お世話になっております、Aさまをご紹介ありがとうございます。拝見させていただき、(ご指摘のように)[診察で得た病歴、所見、検査結果など]を認め、[診断、アセスメント]と考えます。

①[検査計画]させていただくことにいたしました。
②[治療のレコメンデーション]するのがよいと考えます。
③[専門的な治療]の適応と考えます。
④[専門的な治療]させていただきました。
 
→[検査・治療日程]などご相談させていただければ幸いです。
→[フォローアップ計画]させていただければ幸いです。

 ご不明な点やご質問があれば遠慮なくおたずねください。重ねましてご紹介ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

 他科依頼をかいても返事を書いてもコストは取れない。入院中に他科依頼を受けて診察しても、検査しても、処方しても、DPCなら包括にふくまれる*。要は、タダ働きな場合もあるということだ。でも患者さま(と困ったあなた)の役に立ちたいと思って忙しくても相談にのってくれる、相手の先生に感謝したい。

*注:おおきな手技、退院時処方をのぞく。また、入院中いろいろ「がんばっている」病院には入院費に係数が上乗せされる仕組みがある(係数は毎年更新)。



 

11/09/2016

A Healthcare Provider

 英語を勉強した甲斐があったと思うのは、Economist誌の記事を読むとき。Malcolm Gladwell氏の本も甲斐リストに入っていたが、米国時代に空港で手に取ったOutlierは『天才!成功する人々の法則』として、そして最近読んだDavid and Goliathは『逆転!強敵や逆境に勝てる秘密』として、それぞれ訳されていた。

 ネイティブでなければ、訳書のほうがきっと読むのは速い。それでも原書をよむのは、値段が安いから。それから、読むのに時間がかかるほうが理解しやすいという逆説。David and Goliathにも、問題文を読みにくいフォントにしたほうが、読みやすいフォントよりも正答率が高いという話が出てきた。たしかに、日本語で斜め読みするより英語を読むほうが頭に残る気がする。

 そのDavid and Goliathに、急性リンパ白血病(ALL)の治療を大きく変えたEmil "Jay" Freireich先生のお話がでてくる。当時化学療法は、患者さんを苦しめるだけで根治もできないからやめよう、やっても1種類を1回、と考えられていた。しかしNIH Clinial Centerにいた彼とEmil "Tom" Frei、ふたりのエミル先生がそれを何種類も何度もやった。

 その前には、絨毛癌を何サイクルもmethotrexateを使って根治したM. C. Li先生がいた。しかし彼は異端視されNIHを追われた(のちに業績が認められた)。Freireich先生にも風当たりが強かったけれど、彼は他人がどう思うかを気にするタイプではなかった(そこがDavid and Goliathの主旨なのだが)し、Frei先生が調整や説得が上手でもあり、上司のGordon Zubrod先生も後押ししてくれた。

 ほうっておくと出血で助からない患者さんに血小板輸血するところから始まり、レジメンを重ねていき、ときには免疫がさがらないようにCML患者さんから余った白血球をもらってきて輸血したり、とにかく失うものがないので(何もしなければ死亡率100%だった)すべてを試して、ついにALLは治癒する病気になった。この話はSiddhartha Mukherjee先生のThe Emperor of All Maladies: A Biography of Cancerという本に詳しい(もちろんこれも訳されている)。

 現状の治療を提供する人をヘルスケア・プロバイダーという。でもそれだけじゃない。治療が広く行われるように活動する人がいる。現状を受け入れずに治療を変えていく人がいる。以前に書いた視力を回復する遺伝子治療もそうだし、視神経に信号を入力する人工網膜インプラント(写真)、網膜の再生医療もそう。でもこういうお話は日常臨床と直接関係せず、新聞や雑誌を読んでる人のほうがよほど詳しい。

 ヘルスケア・プロバイダーは現状のヘルスケアを提供するのが仕事で、それが期待されていて、それに対してお給料をもらう(極論すれば、ケアを提供することでお金を請求するのであって、ヘルスを提供することに対してではない)。そうなんだけれども、不安や絶望をもってやってくる患者さんに愛とか希望とかを提供できればなと思う。だから、夢や希望のある話はこれからも追いかけていたい。




11/04/2016

Power of Jeong

 医療報酬に反映されない医療行為というのも、ある。手術をすれば保険点数がつく。手術が患者さんに合っているかをよく話しあって結局しないことになっても、その話し合いにはお金は払われない(外来なら診察代くらいはでるだろうが)。当然、手術分の保険点数もつかない。
 でも「転職しないという選択肢も提案します」みたいな転職コンサル会社が流行るように、きちんとしたことをしていれば患者さんはやってくる。そのなかには手術が必要な人も多い。また説明をちゃんとすることは、リスクマネジメントにも重要だ。これらの観点などからも、計上されない利益というのはあると思う。
 患者さんのお話をよく聞いて関心をもつことにだって、いろんな効果がある。病気に関連した生活習慣、その背景にある考え方などが明らかになって治療介入がしやすくなるかもしれない。その人が自分になぜどのように治療が必要かを理解して、より前向きに取り組んでくれるかもしれない。
 I feel for you、I am here for youという意思が伝われば、患者さんがいままで誰にもいえなかった核心を、出会って数分で教えてくれることだってある。そのきっかけは、言葉じゃないことも多い。ベッドサイドにひざまずくだけで、あるいは「ご家族を連れずに入院されたのかな」と気づくだけで十分だったりする。
 まさに聴くに早く、語るに遅く(Jacob 1 19)。口はひとつだが耳はふたつ、ともいう。なおこの聖句、怒るに遅く、と続く。「なんで~できないの」「~しちゃだめでしょ」と責めたくなる気持ちも人間だからわかるけど、それは、遅く、遅く。人の怒りは神さまの望む義にはならないから(Jacob 1 20)。
 私達は人の秘密をききだすためにお金をもらっているわけでは、もちろんない。でも、信頼がなかったら医療なんてできない。私達は物を売っているわけではなくて、大げさかもしれないけれどまがりなりにも命を預かっている。だから信頼される人でありたいし、信頼されることに感謝したい。
 そういう医療は、東洋的には仁の思想であり情と思う(報酬にならないものが報酬になるというのは、老子の「無用の用」ともいえる)。最近は韓国が医療ツーリズムを大々的に広告していて、成績などよい数字をたくさん挙げている(写真)けれど、第一の宣伝文句はThe healing power of Jeong。정(ジョン)、すなわち情の癒す力。情けは人のためならず、か。




10/19/2016

Smile, what's the use of crying?

 チャイニーズ・ハムスターは中国北部とモンゴル原産で、ハムスターよりもマウスに見た目は近い。この卵巣細胞が1950年代から実験に使われていて、CHO(Chinese hamster ovary)と略されている。が、それもさることながら意外に知られていないかもしれないのは、この動物が飼い主の指につかまる時にだっこちゃんになることだ(写真)。ちなみにハムスターはhamsterだがモルモットはGuinea pigといい、前者はマウスと近縁のげっ歯類で雑食でcrepuscular(薄明薄暮に活動する)だが後者はマウスと遠縁のげっ歯類で草食で完全にdomesticated(野生に存在しない家畜愛玩動物)だ。

 ハムスターを飼っていると、心が優しくなるのだろうか。それとも、心優しい人がハムスターを飼うのか。患者さんが自然と心を開いてくれる心の優しい人に「小さい時にペットとか飼ってましたか?」と聞いたら「ハムスターを飼ってました」という答えが返ってきた。動物園で子供が小動物とふれあう機会をつくったり、小学校で飼う(いきものがかりは金魚に餌をあげていたとか)ことの有効性を示すのに論文は不要だと思う。欧米で動物を病棟や空港や大学の学生相談室に置いてイライラや不安を和らげる試みがすでに行われている。

 CHOといえば前述の卵巣細胞や、炭水化物(炭素、水素、酸素の意味)を指すけれども、いまはチーフ・ハピネス・オフィサーの略でもある。デリバリング・ハピネスという社員の幸福度をあげ笑顔で生産性を上げるためのコンサルタント会社にある役職だ。Googleにはジョリー・グッド・フェローという役職もあった。「笑っちゃだめです、仕事中ですよ」から「笑いなさい、仕事中ですよ」の時代になったのか。確かに応対が笑顔のほうが応対が無愛想よりもいい。医療も同様と思う。ただし、心からであるように(笑いを強制されると燃え尽きの元になるらしい)。


10/06/2016

忘れられない一言 37

 大学1年のとき、EEP(アーリー・エクスポージャー・プログラム)という実習があって、助けが必要なひとたちの介助などを一週間させていただいた。去り際にスタッフの方に「この子達に手紙を書くとは言わないでほしい、言ったことをあなたたちが忘れてしまっても、この子達は楽しみにいつまでも手紙を待ってしまうから」と言われた。逆に言うと、手紙を書いて投函さえすれば、日本の郵便は優秀だから受け取り手まで届く。そしてそれがその人の心、ひいては自分の心にまで化学反応をおこすことを、当時は知らなかった。

 九州にいた研修医1年目のとき、腎臓内科志望でもないのにどういうわけか野生のイルカがみたくなって一人で天草に行き(写真)、東京の祖母に絵はがきを出した。手紙がEメール、SNSなどにかわって久しいが、旅行先から親しい人に絵はがきをだしたくなる人はまだ多いのではないか。自分が何を書いていたか覚えていないが、どうやら仕事の話も書いていたようで、祖母からの返事はこうある。

知樹さま。やっぱり知ちゃん!が呼びやすいです。ご老人と接するのは、こんどがはじめてではないにしても、患者さんとなると心づかいも大変でしょうネ。知ちゃんは、やさしいから、その気持ちが通じて、患者さんもうれしいことでしょう。こちらは淋しくなりましたけど、西に向かって(お台所が西になります)「知ちゃん、ガンバレ!」を繰り返しています。
天草にいらっしゃったとか、ステキ!です。たまに、気むずかしいおじいさんおばあさんいらっしゃったとしても、その方(たち)の「越し方」+苦労かもしれませんけど。
二年間は私たちには長い時間ですけど知樹先生にはアッという間かも。
では又、お身体を大切にしてネ。
(絵葉書をありがとうございまいした。トテモ、トテモ、ウレシイです。おじいちゃんにもよんであげました。) 
05.5.5 夜
 
 おばあちゃん

 孫を心配する手紙なんて世界中どこにもあるとおもうけど、「越し方」+苦労だなんて言い得たものだ。自分のことも考えていたのかもしれない。そう言われれば、人間何才であっても「越し方」と苦労があるなと、この手紙を読むとなんだか納得してしまう。なおこの手紙はつい最近に、祖母が他界して3年たってから発見された。私が返信先を書かなかったせいもあり祖母はこれを送ることができなかったのだ。

 しかし、この手紙がこのタイミングで届いたことにも意味があるんじゃないか。病棟で患者さんとご家族に病状説明しながらそれぞれの「越し方」+苦労を振り返って、そう思った。



10/05/2016

OUR BLOG

 去年京都でひらかれた学会に行って、ループス腎炎に抗GBM抗体陽性が併存することがある、とかいろいろ勉強になった。でも一番の経験は、あるお寺で掃除をされていた禅師に偶然お会いしお近づきになったこと。後日この禅師にいただいた「これを放てば手に満ちたり」という言葉が、いま身に沁みる。

 お察しの方もいるだろうが、SZDというのはSeize the Day(その日にできるベストを尽くそう)という言葉の略である。日々学んださまざまな知識や経験を、何か役に立てばと思って書いてきた。読者の方々を意識して利他的にかいた積りだけど、やっぱりマイブログはマイブログで、分野も横断的で投稿の目的もさまざまになる。

 それで、わたしよりも腎臓内科に情熱あるライターにコ・エディタ、コ・オーナーになってもらい、あたらしいブログをつくった(もし以前の腎臓関係の投稿をご参照くださっていた方がいたら、すべて移してある)。

http://bokutachinokiseki.blogspot.jp/

 あたらしい情熱は、あたらしい受け皿にいれよう。

 今までみてくれた皆様、ありがとうございます。

 これからも引き続き、よろしくお願いします。



10/01/2016

Dispenser

 「ヘパリン1000単位/mlを3mlで3000単位、確認お願いします」といわれて振り向くと、ヘパリンのバイアルと3mlの液体が入ったシリンジが並べてある。ここで「OKです」と言えるには、信頼が必要だ。なぜならばバイアルのなかのヘパリンと、シリンジの中の液体が同じだという証拠がないからだ。そうやって正論を指摘し、「たしかにそうですね、すみません(空気読め)」と目の前でバイアルから引き直してもらうことで世界が少し平和になったと思う一方、そんなことをいちいち疑いだしたら世の中はまわらないよな、と複雑な気持ちだ。信頼というのは、治安とおなじくらい、空気のようにあって当たり前だけどないと困る。

 「医療物品(医薬品とか消毒液とか)」の物流を取り扱うのはSPDというところだ。SPDが何の略か医者を10年以上やっていて知らなかったが、サプライ・プロセシング・ディストリビューションのことを指す。ただの用度課と違うのは、外注委託の業者さんが仕入先から病棟まで一元的に管理してくれることだ。そのおかげで看護部の物品管理の手間が省かれ、医事の負担が軽減し、在庫のムダが少なくなる。もとはメディケア導入などにより経営危機に陥った(以前にここここで習った)病院を救うため、コスト削減の手法としてうまれたらしい(日本医療福祉設備協会会誌「病院設備」第50巻6号)。病院が集まって交渉し、物品の価格をさげているところもある。

 さて、読者のみなさまはどうして私がこんなことを書いているのかもうおわかりかと思う。それは、SPDのIoTによって病棟の安全を確保するために、ディスペンサーを置いてはどうかという提案をするためだ。ディスペンサーというのはIDとパスワードを入れて必要な分しかだせないミニ倉庫で、これを導入すればいつ誰がなにをどれだけ引き出したかわかる(より正確には静脈認証がいい)し、今流行りのIoTでどこにどれだけ物品を補充すればいいかリアルタイムでわかる。電気代がかかるが物品・在庫によるコストの削減で回収できるはずだ。災害時に物品がロックされて使えないのが問題だがG電源をとればいいし、情報漏えいはプロに任せれば安心なはずだ。

 起こることが予見できるのに「それは仕方がない(起きて謝罪すればいい)」と諦めるよりも、起こらない方法を考えて試してみたほうが前向きで、よい副産物が得られるかもしれない。なお、ディスペンサーの成功例は術衣の管理だ。術衣はとても着心地がいいせいか、忙しい業務の中でけっこうなくなってしまい、そのコストが馬鹿にならない(これを英語でスクラブ・ロス・イシューズというそうだ)。そこでディスペンサーをつかうと「あなたはすでに1着引き出しているのに洗濯に回っていないんですけど」とかちゃんと管理してくれるし、棚に野ざらしで置いてあるよりも衛生的だ。日本で導入しているところもきっとあるに違いない。



 [2018年7月追記]この投稿のきっかけになった事件は、容疑者の逮捕をむかえた。名前を変えた病院は、薬剤管理を徹底するとしている。ディスペンサーにまでしたかどうかは、わからないが。



9/27/2016

忘れられない一言 36

 「先生はベスト・ウェイを走ってると思いますよ」。上京されたお忙しい合間を縫って東京駅でお会いしてくださったあと、別れ際にこの言葉を掛けてくださった指導医の先生は、すごい。人を癒すというのはこういうことなのかなと、いまは分かる。この言葉、順風満帆なときには誰もいわない。これは「先生は(今は自分ではそうは思えないかもしれないけど)ベスト・ウェイを走ってると思いますよ」ということだ。

 それが、信じるということだ。月が欠けていても、欠けた部分は見えないだけでちゃんとあるように。種をまいて土に埋もれていても、地下では芽生えの準備がおこなわれているように。Recoverという英語を辞書でひくと、to get back something lost or taken away, especially by making an effort(失われた、奪われたものを、とくに努力でとりもどすこと)。回復、でもいいけど、取り戻すことなんだ。

 冒頭のことばには「先生は(きっと輝かしい未来への)ベスト・ウェイを走ってると思いますよ」という意味もある。苦労するのも、すべては、よいことのために。Every cloud has a silver liningという。雲の端が太陽の光で輝いているように(写真)、いつかは必ず晴れるということだ。雨の後に月は星空にまんまるく輝き、日照りの後に種は芽生えておいしい穀物を実らせる。
 
 いったい、どうしたらこんな言葉をふと思いつくんだろう。

 私も、こんな言葉を言ってあげられる人でありたいと思う。



9/24/2016

BCMJSIM

 BCといえば紀元前(ビフォー・クライスト、いまではビフォー・コモン・エラとも)、バンクーバーのあるブリティッシュ・コロンビア、飯田橋にあるブリティッシュ・カウンシルくらいしか思いつかない。でも、英語版ウィキペディアを調べればほかにもある。弾道係数(バリスティック・コエフィシェント;例のTHAADとかにも応用されているはずだ)とか。私が追試ばっかりの医学部をなんとか卒業し、羽田で母に見送られ福岡に旅立つとき使ったスカイマーク航空のIATAコードBCとか。

 私は少なくとも英語版ウィキペディアの質は高いと思っていて、これが広告なしで読めることの有り難みがやっと分かった。それで、こないだはじめて(みんながこの額くれたら大丈夫という)300円を寄付した。そしたらウィキメディア財団のジミー・ウェイルズさんからサンクスメールがきて「知識は基本的な人権であると私たちは考えています」と書いてあった。たとえ人権宣言や独立宣言が最終的に剣で勝ち取られたとしても、ペンがなければ平和はこない。

 さて、ウィキメディアさんも取り上げないBCにボード・サーティファイドというのがある。これは米国の専門医認定機構(ボード)に認定されたということだ。内科ならABIMというのがあって、これは内科学会ACPとはちがう独立機構だ。日本は内科認定医を内科学会が認定する。で、内科認定医は英語でBoard Certified Member of the Japanese Society of Internal Medicine(正式な略称はないので、仮にBCMJSIMとさせていただく;下図の文字列のなかにBCMJSIMを探してもないので悪しからず)。

 わたしはABIMのBC資格を持っていて、日本の資格はなかったのだが、ありがたいことに申請すれば書類審査でBCMJSIMが取れる。それで、申請したら無事に通った。もうこれで、日本でやっていける。さらに総合内科専門医というのがあって、Fellow of the Japanese Society of Internal Medicine(FJSIM)というので米国内科学会のFACPに相当するのだろう。非常に名誉な資格だが、「よき腎臓内科医はよき総合内科医です」みたいなことを殊更言ってもしょせん本職の総合内科医には敵わないから、今のところそこまではいいやと思う。

 というのが、学びたいことやとりたい資格はほかにもたくさんあるからだ。仕事関係では、内シャントの血管吻合は7−0プロリン糸で、PTFEグラフトと血管の吻合は4−0PTFE糸でそれぞれ縫うとか。高齢者、障害者、外国人など、誰かの視点に立ち行動する心づかいを学ぶ「ユニバーサルマナー検定」も、ぜひ取りたい。仕事以外なんて、ほんとうにきりがない。でも時間は有限だから、計画を立てて本当に学びたいことを学ぼうと思う。




9/20/2016

Dr. Pepper

 以前に人工知能にもロボットにもないのは愛と思いやりを与える心だと書いたのに、ちがうらしい。愛犬AIBOちゃんがでた1999年から17年、いまや人型のペッパーくんが病院で「カウンセリング」をしてくれる時代みたいだ。こういう話になると、どうしようかなと心配になってしまう。
 そんなペッパーくんの目を見ていると、しばらく考えてから感情を診断してくれ、悲しいなら「一緒に泣きましょう、そして新しい日を迎えましょう、あなたの笑顔が一番素敵です」みたいなことをジェスチャーと表情巧みに言ってくれる。けっこう一生懸命だし、おそらくプロの心理士さん(はやければ2018年から公認心理「師」という国家資格になる)が監修しているので、意外と効く。
 これからロボットがもっと進化して、よりリアルに患者さんと一緒に笑い、喜び、悲しみ、泣いて、励まし、支えてくれるかもしれない。AndroidにもiPhoneにも「カウンセリングアプリ」がすでにある。グーグルが開発した瞑想アプリHeadspaceもだ。疲労する感情労働者とちがって、ロボットは怒りや悲しみを受け止めても燃え尽きない。
 汽車ができて馬車がへり、冷蔵庫ができて氷屋がへり、スーパーができて商店街がへり、今度は人工知能とロボットができてどうなるの?というのが、わが国でもよく聞かれるようになった「第4次産業革命」。ただこれは、「それでも私達にしかできないことはなに?」とより考える機会になるだけである。
 第1次産業革命にしたって、アメリカの西部を中心に流通や金融を行っていたヘンリー・ウェルズとウィリアム・G・ファーゴによるウェルズ・ファーゴ社は、馬車(図はおもちゃ箱)がなくなっても事業を拡大して、2015年には世界最大の資本を有する銀行になった(いろいろあって今月JPモルガン・チェイスに抜かれたが)。
 ひるがえって医療と第4次産業革命との関係では、「人間はAIに負ける、ロボットに負ける」とか勝ち負けに持っていかないことだと思う。不戦勝みたいで申し訳ないが、それしかない。自分の頭と心と手をきたえてこれらを利用すればいいのだし、なにより人と人との「あいだ」を充実させる、すなわち徳をきたえることだと思う。


 

9/15/2016

Denominations

 こないだも書いたが、10人10色といってそれぞれ考え方が違うのはあたりまえで、それを受け入れ乗り越えていく大事さを痛感している。たとえばイギリスにおける英国教会(を含むプロテスタント)とカトリックの対立は、1534年に英国教会ができてから1688年にグロリアス・レボリューション(名誉革命)が成し遂げられるまで150年以上つづいた。その間にヘンリー8世がカトリックを弾圧し、メアリー1世がプロテスタントを弾圧し、中道を謳ったエリザベス1世がカトリックのスコットランド女王メアリースチュアートを処刑した。

 結婚しなかったエリザベスのあとを継ぎチューダー朝(この「朝」はHouseで、どこを統治しているかは問わないが)からスチュアート朝を建てたメアリーの息子ジェームス1世は自らが母と同じカトリック寄りと見られることを怖れてか、火薬陰謀事件で国家転覆を図ったカトリックの犯人たちを処刑した(事件のあったユリウス暦11月5日はいまでも祝われる)。しかしその息子チャールズ1世はカトリックと王権神授説にかたより議会と対立し、内戦でクロムウェルらに破れ処刑された。1649年のことである。

 このあとFirst Commonwealth、the Protectorate、Second Commonwealth、亡命していたチャールズ1世の息子がチャールズ2世として即位し王政が復活。そのジェームス2世が、名誉革命でプロテスタント派のオレンジ公(プロヴァンスにある神聖ローマ帝国の封土;ドラマ『The O. C.』とは別)ウィリアムにオランダから侵攻され追放される。ウィリアムスは妻と一緒の共同統治を英議会に納得さそれぞれウィリアム3世とメアリー2世になった。この革命でイングランドのカトリック化は終った。

 わたしはどの宗教がどうだと評価しているのではない。カトリックには主とイエスと精霊しか認めない新教にはないマリア崇拝があるし、やっぱりTota pulchra es(「あなたは完全に美しい」、つまり原罪の穢れなき受胎を意味する祈り)などに触れると心が慰められる。また英国教会がヘンリー8世の離婚沙汰でうまれたからといって、その聖性がそこなわれるものではない。すべての宗教宗派は究極的につながっている(万教帰一)。

 人と人がうまくやるためにどうしたらいいか。「人は人に対して壁を作らず、橋を作るように。橋は愛によって作られます(バレンタイン・デ・スーザ『そよ風のように生きる』)」。「ひとはあなたの暖かい褒め言葉によって強められ、自信を深めていくでしょう。相手を認めることは生かすことです(前掲書)」「慈悲深さ、寛大さが生活を明るくします。それらがないと、生活は暗く、小さなものになってしまいます(前掲書)」。この人は、イエズス会員だ。

 もっと実践的な人もいる。アンドリュー・カーネギーの右腕経営者チャールズ・シュワッブはこういっている(デール・カーネギー『人を動かす』)。「他人の長所を伸ばすには、ほめることと、励ますことが何よりの方法だ。上役から叱られることほど、向上心を害するものはない。わたしは決して人を非難しない。人を働かせるには奨励が必要だと信じている。だから、人をほめることは大好きだが、けなすことは大嫌いだ。気に入ったことがあれば、心から賛成し、惜しみなく賛辞を与える」。


9/12/2016

Pascal

 研修医のときに出会った先生はいろんなことを教えてくれたと以前に書いたが、そのひとつに「カルテやサマリーで数字を使う時には単位を書くように」というのがある。症例発表の形式にしておきなさい、ということだった。そのときには正直面倒くさいなと思ったが、慣れればそんなに苦ではない。
 ちゃんと明記したほうがいいこともある。たとえばカルシウムはmEq/lだったりmmol/lだったりmg/dlだったりする。そして、腎臓内科医ならこれらの互換性を知っておく必要がある(私はこれを有名な先生がさりげなく回診で開陳しているのを耳学問した)。4mEq/lのCaは2で割って2mmol/l(2価イオンなので)。2mmol/lのCaは原子量の40(g/mol)を掛けて80mg/l、分母をリットルからデシリットルになおして8mg/dlになる。
 そうやって単位に注目していると、ときどきすごいのに出会う。経管栄養剤の粘度を表す単位は「パスカル」で、正確には「ミリパスカル・秒」。圧のSI単位がパスカル(ニュートン/m2)になってポアズから変わったらしい。この単位の成り立ちには極めて高度な物理学が必要らしいが、私はケチャップ(写真)が3000-8000ミリパスカル・秒という目安を知っていればいいかとおもう。


Eyes Wide Shut

 アイズ・ワイド・シャットはスタンリー・キューブリック監督の遺作だ(トムクルーズがマスクをかぶる、写真)。オーストリアのArthur Schnitzlerが書いた心理小説『夢小説(Traumnovelle)』を基にしているそうだが、映画タイトルはおそらく監督が考えた、「大きく閉じた眼」という矛盾した言葉だ。私はこの言葉の意味がずっとわからなかったが、そのうち「眼が大きく開いているのに見えていない」と解釈するようになった。

 私の師匠が医学生のころ、病院にオスラー卿の流れを汲むEugene A. Stead先生が教えに来た。ステッド先生はオスレリアンの流れを汲む最後の名医・名教育者といわれている(Lancet 2015 385 1720)から、当時病棟を担当した研修医たちが自信を持って「おもしろい」と思う症例をもってきた。珍しい病気や、珍しい発症の病気などだ。

 しかしステッド先生は「ふむ、たしかに面白いだろうが他の症例にしよう」といい続けた。出尽くして研修医の先生たちが「もう面白い症例はありません」といったあと、ステッド先生は「ではこの病棟でもっとも面白くない症例のところにいこう」と言った。そうして連れて行ったのはどんな症例か。

 このエピソードは文献にない。サンクスギビングかなにかで私が恩師のおうちに呼ばれたときに聴いた話なので詳細は分からない。ただはっきりしているのは、その患者さんというのがご高齢で認知症があって嚥下が悪く肺炎になって栄養がたりず褥創ができそうで家族がそばにいなくて孤独で、物理的に抑制されていたかは忘れたがとにかく動けなくて昼も夜もなく天井ばかり見ていたような方だということだ。

 ステッド先生はこれらの問題を問題としてきちんと認識して、しかも「重要な」問題として認識して、ひとつひとつ丁寧にレクチャや議論をしたそうだ。思えばこの患者さんには私達が医療者として人に関われることのほとんどすべてがある。この患者さんをみるのに必要なのは難しい知識や手術技能ではなく、問題を見抜き問題点として挙げる力だ。そしてこれが「見えているのに見えていない」のが、私にとってのアイズワイドシャット。

 このエピソードは、彼が「臨床医に必要なことは多くが医学部・大学以外で習得できる」と考えていたことと符合する。彼はその考えから、医学部を出なくても医師の責任下に臨床診療ができるphysician assistantを創設した。



9/06/2016

I Wanna Hold Your Hand

 今年のノーベル平和賞は10月7日に発表される。テロばかりだったけど、ひそかに困った隣人を助けようと勇気を持って行動をしている人が世界にはたくさんいて、そこから選ばれるのかなと思う。私が選ぶとしたら、コロンビアの52年にわたる内戦を終結させようとしているJuan Manuel Santos大統領と左翼ゲリラFARC側のトップRodrigo Londoñoだろう。和解協定は調印済みで、10月2日の国民投票にかけられる。ここで可決すれば、南米のことはあまり報道しない日本など他の国でも祝われて、受賞の可能性が上がるかもしれない。
 南北戦争も朝鮮戦争もそうだが、家族や同胞が裏切り殺しあう内戦は恐ろしくて、終った後の傷が大きすぎる。コロンビアは25万人の死者をだしたから、懲りてお互いに和解しようと思ったのかもしれない。ゲリラ側も政府側も人道の罪を自白した者は限定的な行動制限とコミュニティー・サービスを行えば投獄されないという措置的正義は、苦いとおもうけど飲んでほしい。日本としては、コロンビアの再建にはすごいお金がかかるから(石油と天然ガスの宝庫であり、甘みが強くて美味しいコロンビアコーヒーもとれるから)ここは気前よく円借款を貸してあげたらいいと思う。
 さて和解の握手はshake handsで握った手を振るわけだが、手をつなぐのはhold one's hand、手を抱くということか。そう考えると乗り物のカップホルダーもカギにつけるキーホルダーもカップとカギを抱いている。日本語の「つなぐ」は「つな(綱)」に由来するのだとか。韓国語では손을 잡다(ソヌルチャプタ、手をつかむ)という。手をつないで気持ちを伝えられるのは基本人間だけで、動物にもロボットにもできない(犬とかイルカも手や手びれを使えるが厳密にはつないでない)。
 つないだ手の先には「あのとき手をつないでくれて心強かった」と言ってくれる患者さんがいるかもしれない。そのひとは裸同然で寒い手術室に寝て荒野に置き去りにされたように感じているかもしれない。顔に覆いがかかったり、場合によっては眼が見えなかったりして手技で身体に侵襲がくわわるたび怖がっているかもしれない。そんなとき、声をかけるよりも手をつないであげることがずっと安心を届けられるかもしれない。こんな、子供を持つ人や看護師さんなら常識なことを医学部では教わらないけど、相手を思いやる気持ちがあればきっと分かるようになるんだと思う。


9/05/2016

GCM and LCM

 あなたはケーキを7等分しろといわれたことはあるだろうか。7と360は互いに素だから、魔方陣をかける人か、北海道の人(下図の北海道旗にはオーストラリア国旗にもでてくる七稜星が輝く)でもないと大変だ。ドイツロマン派の詩人ノヴァーリスは「サイスの弟子たち」という作品で、自然とはあらゆるところに数字の暗号が隠された偉大な書物であると言ったそうだ。星を見て七稜星を想像するなんて洋の東西を問わず昔の人はすごい。

 互いに素は英語でco-prime(relatively prime)、つまり素数をプライム・ナンバーという。反対に、素因数分解できる数をcompositeといい、素因数分解はプライム・ディコンポジション。さて素数、互いに素な数たちは最大公約数(英語でGCM、great common measure)に1しか取れない。つまり、集団にたいしてあまりにも異端になってしまうと共通項がなくて一緒にやっていけない。みんな偶数なのにひとりだけ奇数なようなものだ。

 均一な集団にひとりだけ互いに素(ソは疎に通じるかもしれない)な人がいては、つまはじきだ。でも均一なだけの集団に爆発的なブレイクスルーは生まれない。9さんと13さんと16さんには公約数がないから、一緒にやっていくのは大変だと思う。でももしお互いがお互いを受け入れあったならば、最小公倍数(LCM、least common multiple)をとれる。9と13と16の最小公倍数は9かける13かける16、1872である。

 これが、前に紹介したグーグル社のアリストテレス・プロジェクトの意味。あるいは会社でもてはやされているダイバーシティーという言葉の裏づけ。わたしは3とか5とか7とか11は独立しててカッコいいなと思っていた。おおきな素数どうしでできた数(たとえば11111111は11かける73かける101かける137)を目指して周囲と互いに素になったりもした。最近は24(約数に2、3、4、6、8、12をもつ)みたいに丸いのもいい。数遊びだ。



9/01/2016

Today's Hero

 午前の外来受付が終了し、午後の外来受付まで待っている患者さんが待合ベンチで苦しそうにしていたとき、午後診察の医師に電話して「患者さんがつらそうなので、もし可能なら早めに診ることはできませんか?」と聞くことに罪はない。「とりあえずそちらに行きます」と言ってくれるかもしれないし、忙しかったり都合が悪かったりすれば「他のA先生に対応してもらいましょう」「救急外来にお連れしましょう」と言うかもしれない。

 (それくらい待てるでしょ)と言われればそうなのかもしれない。(休み時間なんですけど)(まず看護師さんに連絡してくれないと指示系統が乱れます)というのも、組織で決まった時間に働く人間だからそういう理屈もあると思う。でも、そういう誹りを覚悟して、それでも患者さんのためにと行動できる勇気を持った人には名前というか称号がついていて、それをヒーローという。

 ヒーローといえばマライア・キャリーとMr. Children。前者は自分らしくあることを怖れない勇気を持った一人称のヒーロー。後者は愛する人のために命を賭けられる二人称のヒーロー。そして上に挙げたのは愛する隣人のために一歩を踏み出せる、いわば2.5人称のヒーロー。よきサマリア人とも言う。米国にたくさんあるGood Samaritan Hospitalというのはこの精神でできた病院ということになっている。

 よく知られているだろうがサマリア人というのはユダヤ人の仇敵にあたる。でも旅の途中で傷ついたユダヤ人が倒れていてお坊さんも誰もこの人を無視した(かどうか知らないがとにかく通り過ぎた)のに、サマリア人だけが声をかけ手当てをし、傷ついた人をロバに乗せ宿に連れて行き財布を渡して「あとをよろしく頼む、足りないお金はまた払う」といって去っていった(Luke 10:25、図)。この人も私にとってはヒーローだ。



8/17/2016

Descending Chromatic Scale and Chord Progression

 以前に指導医講習会に行ったら、有名な先生がcinemeducation(映画を医学教育に用いよう)という活動を紹介していた。それだったらanimeducation(ブラック・ジャック)だってdramedication(ブラック・ジャックによろしく)だってあるが、私は宮本奈都著『羊と鋼の森』をすべての研修医に読んでほしい。私がプログラム・ディレクターだったら一括購入する、「あなたはあなたになればいい」「あきらめないで」と言葉を添えて。

 この本は心が震えるほど感動する言葉と思いが満天の星空のように散りばめられていて、その美しさは、ダイヤモンド・ダストのように冷たく凛としているのに心を涙で溶かす。そして、才能があってもなくても道を目指す(小説で言う「根気よく一歩一歩羊と鋼の森を歩いて行く」)人たちを温かく受け止める。

 さてギリシャ神話のアポロは学問や音楽などあらゆる知的文化活動の神、羊飼いを守護する戦いの神であると同時に、人々を癒す医学の神でもある(医神アスクレピウスは彼の息子だ)。だからというわけではないが、『羊と鋼の森』を読んでいるとピアノがハンマーのフェルトの数だけ羊を飼っていること、鍵盤の数が星座の数とおなじ88なこと、それに☆の角である5をかけた440ヘルツが標準音Aの周波数なこと、ヘルツ(心臓)は元々心拍音のことなどが包括的に得心される。

 といううんちく話とはべつに、私はアメリカで音楽療法の効果を目の当たりにしたし、日本の病院にいて院内コンサートに参加したときも、自己満足ではなく患者さんの回復になにか貢献できればと思っていた。だからピアノを習ってまだ1年だが、中学校英語でもはっきり自信を持って弾けば人の心を動かせると思って就業時間が終わると常勤医の先生が寄付したピアノを弾いている。そして、患者さんの回復、患者さんの家族の救い、医療スタッフに叡智が授けられその手に狂いがないことを願って祈る。

 などとなんで書くのかというと、カノン進行が簡単だけれど人々の琴線に触れる感動の進行だと最近実感して、ここに紹介して広がればいいなと思ったからだ。わたしはプロトタイプであるパッヘルベルのカノンニ長調(D major)に準じてD - A on C# - Bm - Bm on A - G - D on F# - Em7 - Asus4 - Dを弾く。左手はDメジャーの音階をおりるだけ。最初にadd 9してみたり中程でΔ(Major 7th)を加えたりバリエーションをつけられる。

 で、この進行をもちいたメロディーはほんとうに星の数ほどある。年がバレるがぱっと思いつくだけで岡本真夜「TOMORROW」、ZARD「負けないで」、KAN「愛は勝つ」、X JAPAN「ENDLESS RAIN」、川嶋あい(写真は渋谷1000回ライブ)「I WISH 明日への扉」。で、例によってGoogleで「カノンコード」と検索したら、ほんとうに信じられないほど多くの曲が出てくる。

 J-POPだけで「勇気100%」「守ってあげたい」「さくら(独唱)」「翼をください」「明日への扉」「さくらんぼ」「ヘビーローテーション」「Give Me Five」「会いたかった」「上からマリコ」「クリスマスイブ」「終わりなき旅」「守ってあげたい」「真夏の果実」「空も飛べるはず」「シングルベッド」「桜坂」「Love is…」「出逢ったころのように」「Buttefly」「壊れかけのRadio」「ALONE(B'z)」「ハナミズキ」…。

 この話はテレビ番組で紹介されたらしく、J-POPの基本なので多くの人に知られているだろう(私も「負けないで」と「TOMORROW」が一緒なことは感覚的に知っていた)が、医療の一部として紹介したかった。医療従事者はやさしいし、ピアノが好きな人もおおいから、感動コード進行による自分と周囲のひとたちの免疫賦活化、赦されて受け入れられているという支え、セルフ・イメージの向上などのために祈りながら、毎日どこかで弾いている人たちがいてほしい。

 

8/10/2016

Price of Miracle

 医学に興味を持ったきっかけはDNAの二重らせんとセントラルドグマ(DNAからRNAへの転写、RNAからたんぱく質への翻訳によりいのちと身体ができる仕組み)。医療に興味を持ったきっかけは南木佳士先生と若月俊一先生(写真;佐久総合病院サイトより)。この出会いがなかったら高校3年生の夏に文系だった私が医学部進学に転向することもなかった。
 わざわざ縁もゆかりもない北海道大学医学部を受験したのは、当時そこでおそらく日本初のADA欠損症に対する遺伝子治療が行われていたから(であって、佐々木倫子『動物のお医者さん』とは関係ないはずである)。残念ながら受験前に凍結した路面で滑り、そのまま試験も滑ったが、もし受かっていたら私はここにはいない。
 さて北大医学部が遺伝子治療を行ったのは1995年だが、それから時を経て欧米を中心に遺伝子治療が国と製薬会社主導でどんどん進んでいる。血友病B、ADA-SCID、家族性高カイロミクロン症(Glybera®)、遺伝性網膜病(SPK-RPE65®)。SPK-RPE65®などは目が見えないひとの目が見えるようになるんだから奇跡だなと思う。
 で、またお金の話になる。遺伝子治療は単一遺伝病を対象にするので患者数が少なくカネになりにくい。しかし単価を吊り上げると誰も買わない(Glybera®は100万ドルで発売して2012年から1件しか売れなかった)。そこで企業がコストダウンの努力をしつつ導入した概念がoutcome-based systemという。
 要するに「お薬は高いけど、これで治って通院加療が不要になって、患者さんが働くなら社会として安いでしょ」ということだ。それでC型肝炎のDAAに法外な値段がつく。しかし治療する医師もハッピー、製薬会社もハッピー、患者さんもハッピー、保険と国もハッピー、勤務先もハッピーで社会全体が「三者一両得」みたいなことがほんとうにあるのか。有限な財源をどうするか、倫理の話だなと思う。


8/09/2016

Can't Take Away Dignity

 Greatest Love of AllといえばWhitney Houstonの曲だと思っていたが、彼女が1985年に発表して各国のチャートをさらう前、George Bensonが1977年に出したのがオリジナルだった。いずれにしてもその歌詞には「私はずっと前に誰かの影は絶対に生きないと決めた。失敗しても成功しても、少なくとも自分が信じるように生きた。私から何をとっても、私の尊厳だけは取ることができない」という節がある。ここで強く歌いあげられた「尊厳」がdignityという語である。それくらい、dignityというのは重要な概念だと私は思っている。
 だから、患者さんのケアにおいてこれが妥協される状況を私は忍容することができない。角が立たないように自分が患者だった時のことを話すが、たとえば受診したクリニックで医師が「では胸の音を聴きますね」というなり、どんな資格をもっているのか知らない助手が服を勝手にまくり上げ、「じゃあ背中」というなり丸椅子を回したとき。しかもそこに「時間がないんだよこっちは」という気持ちが見え見えなとき。
 患者さんはモノじゃないし、買い物に来たお客さんでもない。苦しくて来ている人だ。優しい声掛け、怒りもやりきれなさも受け止め理解しようとすること、共感すること、肩に手を当てるなどのしぐさ、といったマナーは当然だと教えられて育った私はほんとうに幸運だと感謝している。指導医と患者さんがフィードバックしてくれた。ただ患者さんからのフィードバックは日本では難しいかもしれない。そもそも患者と医師で椅子が違う(図;元はこちら)ところからして、私などはおかしいと思ってしまう。



8/05/2016

Little More Action Please

 "Little less conversation"といえば、2002年にJunkie XLがアレンジしたプレスリーの曲で、「little less conversation and little more action please(お話もいいけど行動しましょう)」という歌詞が繰り返される。私はまだ研修病院にいて「頭とお口もいいけど手と足も動かしながらね」とかそういうことも一応指導する立場にあるので、指導させていただいている。といっても、お口で言うだけではできるようにならないので、手と足を動かしてお伝えするようにしている。

 頭で考えたことを本当に実現するから人類はここまできたのであって、空も飛べるし海底にももぐれる。その道のりは時に困難だけど、いつかどこかで行動しなければ始まらない。それを例示するお話として、ハッブル望遠鏡のことを読んだ。宇宙望遠鏡の概念は1923年から提唱されていたが、ロケット技術の進歩で現実味をおびて戦後にプロジェクトがはじまった。NASAは1962年にOrbiting Solar Observatory、1966年にOrbiting Astronomical Observatoryを打ち上げ実験して、1968年に本格的にHubble宇宙望遠鏡計画がはじまる。

 望遠鏡設計だけでなく、地上ソフトウェア開発機関であるAURA(Association of Universities for Research in Astronomy)コンソーシアムにより運営されるSpace Telescope Science Instituteも1981年に設立された。AURAはアメリカ39の大学と7の国際学術機関からなり、技術開発を独り占めしたかったNASAと学界の権力争いで生まれた。完成後も1986年のチャレンジャー号事故で延期され、窒素充填室での管理費用だけで月600万ドルを払いながら1990年にディスカバリー号で打ち上げられた。

 しかし、よく知られているように鏡面に0.0022mmだけ設計より平らな歪みがあって解像度が5%に低下。修正ソフトウェアの開発では限界があり、1993年に修正光学系COSTAR(Corrective Optics Space Telescope Axial Replacement)を設置する初の船外ミッションが行われ成功。以後バッテリー、メインカメラ、ジャイロスコープ、太陽光電池パネルなどを交換する船外ミッションを次々に成功させた。2003年のコロンビア号事故で中止されていた最後のミッションが、2009年に世界中の熱望で実現した。軌道旋回などによる機体の劣化・破損により徐々に高度を下げて2021年までに地上におちると予想されているが、今のところなんとか機能している。

 考えていたことを、本当に実現してしまった。これでブラックホール理論など頭のなかで考えられていたことが実際に裏付けられた。またハッブルの名前のもとであるアメリカの天文学者Edwin Hubble博士が証明した「多くの『星雲(nebulae)』は天の川の外にある銀河である」という説も、ハッブルによって綺麗に映し出された。そう、綺麗といえばハッブルのデータは地上の誰もみることのできない、また想像することもできないほど美しい。こんなものが普通にJPEGフォーマットで送られてくるんだからすごい(ハッブル・ヘリテージ・プロジェクトとして管理されている)。

 ハッブルが落ちたらどうしよう?James Webb Space Telescopeが2018年に打ち上げ予定だ。いまのところ大きな宇宙事故がないので、ものすごい大恐慌か戦争がおきなければ大丈夫だろう。ハッブルは直径2.4mの一枚鏡だが、これは6.5mで、六角形の鏡が複合した形をしている(図)。またハッブルは大気圏上層の近いところを周るが、これはもっと遠い第2ラグランジュ点付近を周る。しかしこの宇宙望遠鏡の開発には、ヨーロッパ(EU加盟国も非加盟国も)とアメリカが関わっているのに、日本の名前はない。お金ならあるだろうし研究者の先生方もいるだろうに。自前でやるつもりなのか。



8/03/2016

Beyond Trillion Dollars

 日経をよむと、ときどき医学雑誌かと思うくらい紙面が医療関係で占められていることがある。透析だけでも、ドイツの世界最大手フレゼニウス社(透析だけでなく欧州43の病院を傘下に持つ巨大グループ)がBrexit後もドイツ株を牽引しているし、東レは香港、ニプロはインドでそれぞれダイアライザの量産に走り、アジアの爆発的な医療需要に商機をみている(こないだ医療経済は糖尿病なしでまわらないと書いたが、現実に増え続けているのでしかたない)。ほかにもPD-1拮抗薬のライセンスをもつ小野薬品が最高益をだしたり、GlaxoとGoogle子会社Alphabetが生体電子工学事業を立ち上げたり、いろいろだ。
 それだけ企業が医療に進出してくる時代なわけだが、そこにやってくるのを周到に準備しているのではないかと私が密かに思っているのが、ほかのサイトや商業を食いつぶし(ついにYahoo!も経営破綻した)税金を巧みに節約しながらTrillion Dollars(1兆ドル)企業に成長するとみられるビッグ4、Google、Facebook、Amazon、Apple社だ。彼らを地獄の黙示録にでてくる四騎士(子羊が封印を解くたびに世界の破滅のために現れる、白、赤、黒、青ざめた馬にのったhorseman;図)に比較するひともいるが、私は医師で希望を持つのが仕事だから、そうは考えたくない。
 イギリス帝国の平和のもと植民地経営と貿易で富を集めた東インド会社とちがって、これらの4企業は利便性や快適性といったサービス(すなわち人類への奉仕)でお金を儲けているので、きっと儲けに儲けたあとには医療と教育分野に進出すると思いたい(NYUのScott Galloway教授はこれをMeaningfulからProfoundへの変化と呼んでいる)。Google Docsはドキュメント、Google Scholarは論文検索だが、いまにAIを使ったGoogle Doctor、Google Teacherができるかもしれない。もっともGoogleはプラットフォームを作る会社だから、自己参加型の高水準のe-learningと効率化された教師によるフィードバックを実現したKahn Academyのようなシステムが動く環境を整えるかもしれないが。自前でつくるとしたらApple社か(iDoctor、iTeacherなど)。
 これらの企業が医療に本気で進出してきたら、どうなるのか。セキュリティと責任の所在の問題があるので、現実にiDoctorがモニターで「どうしました?」ということはないと思う。来るのはAI-guided medicineだろう。主診断名をいれたら疾患の基本診断・治療情報が表示されるようにはできる。初学者が好きな診断アルゴリズムなどもAIが得意とする分野だからすぐ代行してくれそうだ。オーダーミスや院内合併症なども人間より正確に監視してくれるだろう。画像診断のことはこないだ書いたし、外科でもロボット手術だけでなくスマート・スレッド(手術の糸にセンサーがついていて張力などを測定し傷の治りをモニターする)などが開発中だ。また、今はやりのI of T(internet of things)でバイタル端末、電子カルテ、ナースステーション、SPD(在庫)などがひとつにつながるだろう。
 これらを取り入れたスマートホスピタルを、ビッグ4のどこかが建設するかもしれないし、経済特区で国と協力して実験を始めるかもしれない。お金のことは、知らないがなんとかするだろう。スマートホスピタルとAIへの質問は、これが医療の質をあげるかということと、医療従事者の仕事を奪うかということだ。最初の質問だが、おそらく上がると思う。AIが人間の脳を置き換えるものではなく、アシストするものとして使われる以上は。ふたつ目の質問は、放っておけばある程度は奪うだろうが、やはり医療はAIがすべてを置き換えることはできない領域だと思う。
 ただ働き方は大きく変わり、医師のばあいAIを作る側にいける知識・経験をもったエキスパートと、AIが手を出せない技術系のテクニシャン、AIのガイダンスをもとにきちんとした診療をしつつ、患者さんとの時間を大事にして人間性の高いプライマリケアを提供するジェネラリストに三極化するかもしれない。医師の負担を減らすことと職を確保することと患者さんに益があることがすべて満たされれば一番いいのだが。と、Google Medicineなどがあるわけでもないのに勝手なことばかり書いたが、彼らが考えてないとは思えない。歴史を知り情報を得るほど私たちは未曾有の社会変化を経験している気がするので、杞憂に終わってもよいから準備は必要だと思う。


7/25/2016

人類補完計画

 人類は氷河期と飢餓に適応して生き延びてきたので、血糖を上げるホルモンは何個もあるのに下げるホルモンはインスリンしかなく、いまだ経験したことのない未曾有の飽食時代に肥満と(2型)糖尿病のパンデミックがおきている。みたいなくだりは陳腐になるほど聞かれる。アメリカ時代に今は亡き私が最も尊敬する臨床と教育の師で、糖尿病撲滅のため慈善財団に寄付をもらい研究もしていた先生が、ICUでの回診中に「これを見ろ。みな糖尿病の結果だ」と言ったように、糖尿病の下流に感染症があり心筋梗塞があり心不全があり心房細動があり足壊疽があり脳梗塞がありCKDがあり末期腎不全がありショックがある。
 で、このワクチンも核兵器も効かないインディペンデンス・デイなみの人類の敵である糖尿病を、本気で滅ぼす気があるのかわからないときがある。糖尿病が医科診療医療費に占める割合は4.5%(厚生労働省『国民医療費』、平成22年)というが嘘である。上記合併症のこともあるし、おそらく平成22年以降に新規経口血糖降下薬がたくさんでた。ということは、糖尿病は巨大市場なのである。この病気があるおかげでクリニックと病院と透析センターとカテ室と製薬会社が食べていける。もしこの病気がなくなったら大変なことになる。
 糖尿病と肥満は、薬を使わず治すことも不可能ではない。生活習慣について、生活習慣についての気持ちの持ち方、また病気についての気持ちの持ち方をしっかり聞いて、動機付けを助けて適切にアドバイスを行うことで、BMIも血糖もさがる。気持ちは晴れやかに、身体は軽くなって生まれ変わってくれる。外食産業やコンビニと敵対しなくても、高級スポーツクラブに通わなくても、これらを実現することはできる。全員にできるとはいわないし、清濁併せ呑む医療を理想だけで生きていくことはできないが、患者さんに教わったこのことを私は忘れずにいたい。
 さてその肥満について、キーとなる遺伝子をターゲットにした治療をおこない成功したパリとベルリンの研究者による論文が出て(NEJM 2016 375 240)、個人的には衝撃だった。メラノサイト刺激ホルモン(MSH)の上流にあるPOMCの欠損症はたしかにまれな病気だが、MSHがmelanocortin−4 receptorを介して食欲低下を起こすleptin-melanocortin経路の異常は一般的な肥満にも関係している。論文ではPOMC欠損症(と合併する副腎不全へのステロイド補充)による過食肥満でBMI 50kg/m2程度のloss-of-functionのヘテロ接合体とホモ接合体の2例に対してSetmelanotideの1日1回皮下注射を行い、レプチン値の著明な低下、空腹感スコアの改善、BMIの著明な改善、耐糖能の改善を認めた。このクラスの薬の重要な副作用である高血圧はみられなかった。
 2例の結果で人類全体のことを話すのは針小棒大だし、この手の脳内を改造する薬は行動異常とか自殺とかの副作用がでることがあるのでポシャるかもしれない。人類を飽食時代に適応させるために人類補完計画が必要だなんて言ったら、マッドサイエンティストだと思われるかもしれない。でも、人類とまでいかなくても身近な人達の心身の健康を置かれた環境から守るためにできることを考えている私にとっては、この論文はとても意味のあるものに思えた。臓器を治療する時代から、脳を治療して行動を治療する時代がきているのかもしれない。それは手術とか薬ではなくてもいい。私が患者さんにみせてもらったのも、結局は脳の改造だ。


7/14/2016

Era of Artificial Intelligence

 人工知能の発達により仕事がなくなるという心配は、産業革命のときなどと同質だがより影響が深く広いかもしれない。インスタグラムがフェイスブックに10億ドルで買収されたとき同社に従業員は14人しかいなかったのに、同時期に14万5000人の従業員をかかえたKodak社が倒産した(どちらも写真をあつかうというだけで因果関係はないようだが)。

 それに備えてuniversal basic income(一定額の収入を全員にあたえる一種の社会保障)が本気で議論されて、スイスでは国民投票になった。産業革命時のThomas PaineやJohn Stewart Millの思想をもとにしているが、働く意欲をなくすのと逆進的だということで圧倒的多数で否決された。それでも、フィンランドやオランダで真剣に検討されている。

 人工知能じたいが映画のように人間に立ち向かうことは考えにくいにしても、人が悪用することは十分にあり、悪用された人工知能は核兵器より恐ろしいとも言われる。たとえばロシアは警察が顔認識システムFaceFinderをつかい、中国はソーシャルネットワーキングサイトを検閲して反乱分子をみつけている。さらに軍事利用までされたら大変だ。

 人工知能が取って代わりやすい仕事はルーチンで思考をあまり要しないもの(たとえばテレホンアポインターなど;実際に自動音声案内がすでに使われている)とされるが、Alpha Goで有名なディープラーニングによって他の仕事も危うくなってきた。医療は比較的守られていると思っていたが、たとえば放射線画像の読影システムEnliticなどが開発されている。内科でも、症例をたくさん覚えさせたら人間よりよい鑑別診断を挙げてくれるかもしれない。

 物理学者Stephen Hawkingも人工知能を公に心配しているらしいし、元英国王立協会会長のReeds卿も人工知能が安全で有益であることを保証するよう求める公開書簡を書いている。だからというわけでもないが、私も人工知能の爆発的な発達(intelligence explosionという)をどう受け止めるか考えている。

 人工知能を活用できればそれに越したことはないが、私は人工知能と対になる集合知能(collective intelligence)が重要だと思っている。この言葉じたいは経営用語として日本で生まれたそうだが、要は人々が知識と知恵を共有するということだ。それでこのサイトがあり、また知識や経験をすすんで吸収する姿勢をもってどんな人々からもいろいろ学習し続けたいと思っている(他のブログもよく読むし)。

 しかし人間は完璧じゃないから(このサイトだってそうだから免責している)、脳が集まりお互いに指摘しあって協力しあうことも大事だと信じている。Google社で研究するJulia RosovskyらがおこなったProject Aristotleは人と人が協働するときにプロダクティビティを最適化するにはどうしたらいいかを調べたものだが、それによればメンバーの能力にかかわらず、以下の三点があるグループがもっともプロダクティビティが高かった。すなわち①メンバーが均一に参加している、②お互いを配慮する力が高い、そして③女性が多い(!)という点だ。

 もう一つ人工知能にできないのが、心であり愛を注ぐことだと思っている。患者さんの痛みをとるのは痛み止めだけではない。共感することであり、理解しようとすることであり、そばにいることであり、眼差しであり、笑顔であり、手をかざすことであり、言葉をかけることである(本当にそれで痛みが消えることはある)。人倫として当たり前かもしれないが、医療従事者にとってこれからその重要性はいよいよ増すかもしれない。



6/27/2016

Direct-to-Consumer Personal Genome Testing

 先日DTC PGT(direct-to-consumer personal genome testing、消費者直接販売型パーソナル遺伝子検査)の購入者にとったアンケート調査PGenスタディの結果が米国内科学会誌にでて(Ann Intern Med 2016 164 513)、日本ではまだ関係ないなと思っていた。しかし、郵便ボックスを開けると国内会社のチラシが来ていた。なんと。ということはこれをみた人たちがたくさんいて、なかには検査を購入する人もいるだろう。DTC PGTには自分のことを知りたい病気を予防したい長生きしたいという人間の根本的な誘惑に訴える力があるが、チラシにある「本検査は医療行為に該当せず、診断ではありません」という小さな文字を誰が読むだろうか。

 で、購入者が結果について予防・治療の相談をしに病院にやってくるかもしれない。海外のデータではおおむね、DTC PGTを購入した人の2-3割が結果について医師に相談にくる。その多くは一般内科医だが、知識がなく結果の正確さと臨床への応用に疑問をもち外来時間が足りないなど準備ができていない(私も含めて;2009年の日本のアンケート研究では回答した非専門医の6割が検査そのものを知らなかった、J Hum Genet 2009 54 203)。そして今回のPGenスタディで患者側のアンケートを取ると、主治医に相談して「非常に満足」は35%、「まったく不満足」は18%、医師に知識がありそうで話し合う気があり診療に活かそうとするほど満足度が高かった。

 主治医を飛ばして専門家にかかることもあるだろう。べつのスタディで、遺伝専門家でDTC PGTの知識と結果の解釈能力を持っているべきだと感じている人は回答者の約半数とさほど多くなく、自分たちから勧めるという人は4%だった(Genet Med 2011 13 325)。なお日本遺伝カウセリング学会が認定する臨床遺伝専門医一覧をみると千数百人いらっしゃるようだが小児科と産婦人科の先生が多い。生殖医療や遺伝病を主に扱っておられるのだろう。また同学会が認定する遺伝カウンセラーは2015年12月現在182人いらっしゃるが、地域差が大きくたとえば九州には6人しかおられない。どちらも名簿が公開されているが、成人の購入者が来始めているだろうか。

 チラシにあるもうひとつの小さな文字が、「本検査のお申し込みにあたりお客様よりご提供いただいた個人情報は会員規約に基づき利用できるものとします」。「規約以外の目的で利用されることはありません」と書かないのは、規約に基づき利用するからだろう。6月25日付の英Economist誌にAll about the base(Meghan Trainorの歌、All About That Bassと掛けている)という記事が載って、ゲノムシーケンス市場規模は2020年までに200億ドルに達するとみられる。技術革新が著しく、最大手米Illumina社は、4種の塩基がナノ孔を通過する電気抵抗の違いを読む英Oxford Nanopore社、PCR不要で走査型電子顕微鏡の原理で電気抵抗を読む日本のQuantum Biosystems社はじめとする次世代シーケンサーに抜かれるかもしれない。

 そしてシーケンスされたゲノム情報は、天文学的に膨大なデータベースとして集められ、集めた会社が製薬会社と契約を結ぶ。たとえば米Human Longevity Inc社はAdstra-Zenecaと(10年で数億ドル)、英政府がつくったGenomics England社はAbbVie、Biogen、Roche、Takeda、GSKと。またデータベースのプラットフォームとなるクラウド会社は、使用料をもらう。たとえばHuman Longevity Inc社はAmazonに月100万ドル払っているという。ほかにもGoogle、中国のHuaweiなどがすでに参入して、情報処理や分析のパフォーマンスを向上させシェアを争っている。

 研究で病気がおこる遺伝的しくみが解明されたり遺伝子を標的にした治療がうまれたりするのはすばらしいことだし、ビッグデータがそれを可能にするかもしれない。カネになるから国や経済的には乗っかったほうがいいと思う。ただ現時点でのDTC PGTの臨床応用は、止めることはできないけれどどうかなと思う。米国内科学会誌は、9つの遺伝子異常(SNP)を組み合わせて糖尿病の発症を予測できるが、それよりBMIのほうがよほど強い予測因子だという臨床医的なコメントをしていた(Ann Intern Med 2016 164 564)。医師患者関係があるのでせっかく相談してくれたからには無下にしないが、患者さんに届くレポートに具体的な遺伝子名やSNPの場所などは載らないだろうし検査会社も「診断ではない」と断言してあるのでやっぱり困りそうだ。




6/25/2016

Naked mole-rat

 やっぱり動物の話は楽しい。Science誌が2013年のBreakthrough of the Yearに選んだのはがんの免疫療法で(Science 2014 342 1432)、抗PD-1抗体やchimeric antigen receptor T cell(CARとも)など研究も盛んだが、同じ年にScienceがVertebrate of the Year(今年の脊椎動物)に選んだのはnaked mole-ratだ(Science 2014 342 1444)。

 英語を直訳してハダカモグラネズミと言ってあげたいが、和名はハダカデバネズミ、裸出歯鼠。歯がでているのには理由があって、それは彼らが地中を歯で掘りネットワークになった道を作って、コロニーで社会生活を営んでいるからだ。それもアリやハチと同じ「真社会性」をもつ2種しかいない哺乳類のひとつだ(1匹の女王と繁殖能を持つ数匹のオスがいて、残りは繁殖力のない働きネズミ)。

 大きさは10cmくらい、アフリカ東部にいて毛がなく透き通った皮膚をしている(図;本物はちょっとここには)。注目されて日本でも上野はじめいくつかの動物園でみられる。



 彼らの受賞理由は、その年に彼らの驚異的な長寿(30年以上生きる)とがん抵抗性(今年になって初めて報告されるまで1例もなかった;Vet Pathol 2016 53 691)の機序を説明する研究がたくさん出たからだ。

 リバプール大学を中心とする多研究施設が2011年にゲノム解析して(2014年にscaffoldとcontigの完成度が高まり、naked mole rat genome resourceとして公開されている;Bioinformatics 2014 30 3558)、その後の研究で細胞間基質の高分子ヒアルロナン(high molecular-mass hyaluronan)分解酵素(HAS2)遺伝子に特殊なシーケンスがあるためヒアルロナンが分解されず、細胞がヒトなどの5倍も厚いヒアルロナンに覆われがん化が防がれること(Nature 2013 499 346)、リボソームが極めて正確な転写発現能を持ちエラーたんぱくをつくらないこと(PNAS 2013 110 17350)がわかった。

 ほかにも抗がん遺伝子p16とp27が異常に発現しているとか、代謝を極力落として酸化ストレスを受けないとか(そもそも酸素の少ないところに住んでいるし;ミトコンドリアや酸化還元に関する遺伝子発現に差があるらしい)、DNA repair transcriptomesの発現がつよくDNA復元経路が活性化しているとか、いろいろある。

 なお彼らは栄養分のある地下茎を掘り当てて、その内側を食べて外側を残して成長させて、を繰り返すし、代謝を落とせるので、地下茎1本でコロニー全員が何年も食べていけるという(腸内細菌がセルロースを分解できる)。ほかにも真社会性動物に固有のフェロモンに関係した食行動があるのだがここには書かない。

 この動物は長寿とがん抵抗性だけでなく、痛みを感じない(substance Pがない)、哺乳類なのにまれにしか恒温機能をつかわない(寒いと群れでくっついて暑いと深くもぐる)、などユニークすぎる。

 ちなみに私がこの動物を知ったのは、彼らにビタミンDがないからだが、よく考えたら一生地中にいる彼らにビタミンDが必要ないのは当然か。カルシウムは受動的に吸収され、あとは骨プールと腎の出納でなんとかしているようだ。

 もっとも祖先は地上にいたのでビタミンD受容体は腸、腎、Harderian腺(眼の奥にある毛づくろいの脂をだす腺)に残っているが(Gen Comp Endocrinol 1993 90 338)。彼らだけでなくUV暴露の少ない動物(コウモリなど)ではビタミンD必要量が少ないかほとんどない。


[2019年6月追記]本物についに会って来た(写真)!いうほどグロテスクでもなく、愛らしかった。



5/23/2016

What questions do you have for me?

 "It is easier to act your way into a new way of thinking than think your way into a new way of acting."とはJerry SterninがMonique Sternin、Richard Pascaleと一緒に書いたThe power of positive deviance(2010年、ポジティブな逸脱者、未訳、Dr. Atul Gawandeがforewordを書いている)に出てくる言葉だ。昔からの慣習や文化、固定観念などを変えるには行動から変えるのがよい、のを例を挙げて示した本だ。

 Ann Int Med 2016 164 566は、回診の最後に"Do you have any questions?"という時には(please don't)と思っているし、たとえ思っていなくても患者さんにはそのように伝わることから、これからは"What questions do you have for me?"と聞くようにしよう、と決めたUCSFの先生のお話だった。

 わたしもこの違いを意識していて、とくに病状説明の時に相手の心象や聞き足りないことなどを引き出したい時には「ここまでお聞きになっていかがですか?」「何か聞いておきたいこととかお感じなっていることとかいかがですか?」と無理やりopen-endedにして(たぶん日本語としてはおかしい)聞き方をしている。

 そして待つ。するとだいたい何か答えてくれる。何がわからないかわからない、という一言でもそこから会話を広げてお互いの理解を深めることができる。日本では病状説明は昔ムンテラ(mouth therapyを意味する和製ドイツ語)といい医者からの一方通行でよかったが、いまはIC(informed consent)と言う。つまり患者家族が状況を理解して同意することを確認するのがゴールである。

 このエッセイが言いたいことは無意識に使っている言葉が文化を作っていて、それをちょっと変えるだけで文化を変えることができるということだ。筆者は他にmorning reportでチーフレジデントに"What studies do you want to order?"(変わった検査をたくさん挙げて)という代わりに"How will that test change your management?"(それをやってマネジメントはどう変わるの)と聞かせるようにしたという。

 あと病室を出るときに"Good-bye"や"I'll come back and see you again later"(私もこれは嘘なこともあると思ってきた)の代わりに"Thank you"というようにしたという。これはちょっと言い慣れない。家族に病状説明するときには「お父様(お母様)を診させてくださってありがとうございます」と言ったことはあるが。ただそれこそ冒頭の引用のように、言い続けていると「診させてくれてありがとう」という気持ちや考え方が定着してくるのかもしれない。



2/24/2016

Terminal Intubation

 いくら医学的な適応があってフルコードだからといっても、この人は挿管されたらきっともう家族と話すことはできないのだろうなというシチュエーションには心が痛む。いくら事態が緊急でも、手術室に向かうストレッチャーの横で話すくらいの会話を家族や大事な人とさせてあげてあげられればいいなと思う。とくにまだ患者が話せる状況にあるなら。患者も家族も医療者も救命一心でいるときには気づかないかもしれないが、それが最後の会話になるかもしれないのだ。日本人は面と向かって家族や大事な人に自分がいかに彼らを愛してるかを伝えたりはしないかもしれないが、親しい人と手を握って「がんばって」でも「ありがとう」でも声を掛け合えることは、人にとっての最低限の尊厳ではないかと思う。そういう演出を考えることも、医療者の役目ではないかと思う。



2/05/2016

よろしくお願いします

 日本に帰ってきて未だになれないのが記号としての「よろしくお願いします」だ。回診で患者さんとお話して、何をどうよろしくお願いするのかよくわからないがとりあえず最後に「よろしくお願いします」という。私は言葉を額面通りに受け取ってしまうので当惑を隠せず日々を送っていた。私なら「病状はよくなっていますから治療を続けましょうね」とか「おつらいとおもいますけどお薬を用意していますからナースコールを押してくださいね、また見に来ますね」とか具体的な内容のある言葉をかける。

 が、こないだ珍しくある日本のドラマ(写真も参照)を観ていたら、告白してお付き合いすることになった男女がお互いに「よろしくお願いします」と言っていた。しかも何度も。これに及んで、「よろしくお願いします」は何かを具体的に依頼する「お願いします」ではなく、日本においてコミュニケーションを潤滑にする記号なのだと悟った。その証拠に、「よろしくお願いします」といわれた患者さんは「は?何をお願いされたのか聞いてないんだけど」と混乱することはなく、(ああなるほど回診の締めくくりだな)と納得するのか「はいどうも、よろしくお願いします」とか「ありがとうございます」とかいう。

 そもそも「よろしくお願いします」という言葉は私の知る限り日本語と韓国語にしかなく、英語に直訳するとplease treat me favorablyとなるそうだが、そんなゴマすりみたいな用法で日本で使われることはない。「今日も一日よろしくお願いします」みたいな、もはや挨拶、記号なのだ。とおもって、わたしも最近は患者さんに何かをお願いするわけではない「よろしくお願いします」を使えるようになってきたが、いつか患者さんに「は?何をよろしくお願いされるか分からないしそんなこと言われても困るんだけど」とたしなめられないかビクビクしている。



2/03/2016

Paracentesis

 米国でBaxter社がプロモートしている(がどれほど効果があるかは不明な)PD universityでのことだったと思うが、1744年に赤ワインを腹水の治療目的に腹腔内に注入した記録が残っていると聞いたなあ、などと研修医の先生が腹腔穿刺するのをスーパーバイズしながら思った。Peritoneumとはギリシャ語のperitonaion(stretch around)に由来し、紀元前1550年ころに書かれた古代エジプト医学書Ebers papyrusにも記載があるという(どうやって解読したのかしらないが・・・ロゼッタストーンか)。

 歴史上最初に腹腔穿刺を記載したとされるのは紀元前1世紀ころ古代ローマの医学書De Medicinaを著したAulus Cornelius Celsusで、青銅の管でお腹を刺す方法だったという。そういえば私が初めて初期研修病院の見学にいった日に初めて救急にきた患者さんが、自分でお腹をナイフで刺したという人だった(突き刺さったままやってきた)。「学生さんおいで」といわれて手術見学に入らせてもらったら腸管が無傷で、指導医の先生が「汁の入ったうどんに箸を刺してもうどんは傷つかないでしょ」と平然と言っていたのに驚いたのもいい思い出だ。

 歴史上の人物で腹水穿刺を受けたのはベートーヴェンで、1827年のこと。パンパンに膨れたお腹から水が放たれ「楽になった」と喜びの涙を流したが、残念ながら末期肝硬変だったようで、その二日後にはエリーズィウムに旅立ってしまったという。この手技もレントゲンも超音波も使わずに行われたのだろう。ベートーヴェンの直接死因が血圧低下だったのか、あるいは腹膜炎だったのかはわからないが、穏やかに亡くなったのだとしたらやはり「うどんは傷つかなかった」もなかったのかもしれない。

 さて今回、超音波で左下腹部に当たりをつけてブラインドで穿刺して腹水の流出があったにもかかわらず、すぐ出なくなった。で、超音波ガイド下でダグラス窩付近にカテーテルを入れなおしたが、今度はカテーテルからは自然流出があるのにチュービングをつけると出ない。それで、途中に三方活栓をつけてシリンジをつかい、手動で50mlずつ研修医の先生に抜いてもらった(しばらくしたら重力で落ちるようになったが)。手技はこういうトンチのような工夫ができるのが面白い。なお、私がいままでいた施設ではみたことがないが、持続吸引につないで腹水を排液することもあるらしいから、そうしてもよかったかもしれない。



それも大事、これも大事

 ICU、とくに内科ICUという所は原疾患を正しく診断し治療するまでのあいだ支持療法で時間を稼ぐ場所だから、初動で診断がまちがっていたり、現疾患の治療が遅れてしまっては「なにかをしているつもりでなにもしていない」ことになる。

 それは、たとえば「なおらない肺炎」の触れ込みで来ても、漫然と広域スペクトラム抗生剤を投与して待つのではなく、初療時にANCA関連血管炎や抗GBM病による肺胞出血の兆候を見逃さないで、自己抗体結果を待たずに血漿交換に踏み切る観察眼と勇気を持つということだ。そして、その結果を予見(免疫抑制、凝固異常など)しておかなければならない。

 またリンパ節生検結果待ちの悪性リンパ腫うたがいにともなう致死性自己免疫性溶血性貧血や急速に進行する臓器障害の人がいたら、外注の生検結果を漫然と待って輸血するのではなく、一日でもはやく化学療法が始められるように病理結果を問い合わせHE標本だけでもうちにあるなら見に行き、血液内科医の意見を得る(在院していなければ連絡する)ことが律速段階であり助かるための道である。化学療法の副作用も覚悟しておかなければならないが、元を断たなければ仕方ない。

 こんなとき、現場はとりあえず救命することでいっぱいいっぱいなので、手が余った人が分担してあげることも大事だなと思う。なにごともチームワーク。私が集中治療フェローシップをあんなに勧められたのにすすまなかったのは、生命維持のスペシャリストになるより重症疾患のただしい診断と治療ができる人になりたかったからだ。

 そういえば初期研修医時代に、救急搬送されてきた患者さんの救急対応でみんなのアドレナリンがあがっているあいだに、ひとりロビーで家族からながながと病歴をとって怒られたこともあった。



Armchair Detective

 armchair detectiveというのは、『謎解きはディナーのあとで』(東川篤哉)の影山のように話を聞いて推理する探偵のことだ。まあそんなにかっこいいものじゃないけれど、世の中の臨床的な問題はガイドラインとUpToDateに書き尽くされているものではないので、それでもわからないことはこの世に知られているところまでは調べなければならない。「わからない」といってしまったら、それで終わりだから。ほかの誰かが調べてくれると思ったら大間違いだから。最悪剖検になっても、正直いって通り一遍のことしか調べてくれないから。そしてなにより、論文がオンラインで検索できるおかげでたとえばlate-onset primary hemophagocytic lymphohistiocytosisの遺伝子異常、PRF遺伝子のさまざまな変異による免疫病態のスペクトラムであるperforinopathyなど、専門外や稀な病気であってもかなりのところまで調べることができるから。

 私は機械みたいに来る日も来る日も同じような病気を同じように治療するということはできなくて、ぜったいこれはおかしいという外れているところを見つけなければと思って(まあそれでも見逃すことはあるから難しいんだけど二度同じ間違いはしないようにして)、その時々の状況でどうすればいいかをclinical judgementを働かせながら悩み、患者さんごとの生い立ちとか個性とか家族背景とかにフォーカスをあてて共感しながらゴールを考え、医療がいろんな職種のいろんなひとたちが人間ゆえの不器用さで協力しあい危うく(内部告発するわけじゃないけど、危ういんですよ本当に…自明です)成り立っているのを受け入れながら腐らず仕事をしているわけだが、本気で調べなければならないことがあったらarmchair detectiveになってパソコンの前でサイバー攻撃のように検索をかけるのも大事な役目だと思っている。

 この作業は正直あたまが熱くなって疲れるなと思うこともあるけど、なんでもかんでもガイドラインとUpToDateで診療すればいいんだったら、それこそほんとうに誰にでもできるし。




2/02/2016

CAB(prazans)

 H+/K+-ATPaseはαサブユニットが2種類あって、α1はgastric isoform(HKα1)、α2はcolonic isoform(HKα2)と呼ばれるがそれ以外にも存在して、腎臓では遠位ネフロン、とくに介在細胞で酸排泄(とK+再吸収)に関わっている。HKα1 H+/K+-ATPaseが極小濃度のSch-28080で阻害されることは古くから分かっていた(J Biol Chem 1987 262 2077)が、この薬は肝障害などあり胃酸分泌抑制に実用化されることはなかった。

 しかし月日は流れ、H2ブロッカーがでて、PPIがでて、ついにSch-28080を修飾したH+/K+-ATPaseのK+ competitive acid blocker(CAB) がでた。まず韓国でrevaprazanが認可されて、ついで日本でvonoprazanが認可された。ドイツでlinaprazanが研究されたが効果がなく中断された。糖尿病、高血圧などと並んで胃薬は超巨大市場だから、やっぱり新薬研究は進んでいて(J Neurogastroenterol Motil 2014 20 6)、PPI徐方剤やPPI合剤、TLESR(Transient Lower Esophageal Sphincter Relaxation Reducers)などがあるようだ。

 TLESRはGABA-B、mGlucR5、CB、CCK、5-HT4、ムスカリン受容体、オピオイド受容体などをターゲットにしているらしい。ところでCABはとても強力に胃酸を抑制するが、Clostoridium difficile腸炎だの入院中の誤嚥性肺炎だのガストリン産生によるカルシノイドだのといった長期の副作用が気になる(vonoprazanの動物データでは何百倍も神経内分泌腫瘍のリスクが上がるそうだが)ほかに、コモンな副作用に下痢があるそうだ。これが、HKα2をブロックすることによる大腸でのK+喪失に関係しているのか興味がある。