7/02/2024

Kidney Voucher Program

 アメリカはあまり生体腎移植をしないとよく言われるが、献腎移植が相対的に多いだけで、実際には日本よりもおこなわれている。一回腎移植カンファレンスに出席しただけでも、生体腎移植を可能にするさまざまな仕組みがうかがわれた。

  たとえば、kidney voucher programである。米国ではNational Kidney Registry(NKR)が中心に行っており、standard voucher、family voucher、swap saver、real time swap saverなどがある。

 Standard voucherとは、自分が本来提供したかったレシピエントとマッチせず腎臓を提供できない場合に、他のドナーに提供することで、そのレシピエントが「腎臓優待券(voucher)」をもらう。それにより、本来あげたかった相手が移植されやすくなる。

 Family voucherとは、非特定の相手に腎提供することで、家族5人に「優待券」を届けることができる。それにより、いつか誰かが腎臓病になった際に、その人が移植されやすくなる(券を使えるのは一人)。

 Swap saverとreal time swap saverは、paired kidney donation(いわゆるドミノ移植)に関係したもので、自分の家族や友人が(体調不良などで)移植を受けられなくても、ドミノを止めないように腎提供を行った場合、その家族や友人が(体調がよくなったら)優先的に移植を受けられるというものだ。

 また、生体腎移植ドナーの経済的負担をカバーするDonor Shieldという制度もあることがわかった。治療・検査費用、移植を受けるための旅費(同じ町でできるとは限らない)だけでなく、仕事ができない間の保障、入院中の子供や高齢者の世話にかかる費用など、さまざまな負担がカバーされるという。


(NKRのYouTubeビデオより)


6/05/2024

Waterfall

 かの名ピアニスト、ウラジミール・ホロヴィッツが「エチュードのなかで最も難しい」と語り、人前で弾くことを拒んだという、ショパンの作品10、第1番。練習曲ということになっているためタイトルはないが、右手の4オクターブに及ぶアルペジオを表す"waterfall"というあだ名がついている。

 このアルペジオ、一つ一つの分散和音が、指を開いて届く範囲を超えているので、手首や腕を動かさないと弾けないようになっている。どれだけ指を突っ張っても、疲れるか攣って怪我をするかで、無益である。

 あの名ピアニスト、エレーヌ・グリモーは『野生のしらべ』で、「ピアニストの悲劇とは、その動きが完全に垂直方向だということだ。それはわれわれの芸術における絶え間のない挑戦だ。」と言った。この曲に取り組むと、水平に弾く力がつく気がする。ショパンが、この曲を練習すればバイオリンのようにピアノを弾けるようになるだろう、と言ったのも頷ける。

 それにしても、手が届かないのに無理やり指を伸ばしても無駄(手首や腕をうごかすしかない)、というのはコロンブスの卵のような発想の転換であり、ショパンも、この練習はいままで教わったことを無しにする(un-teach)と語っていた。これは、音楽以外にも当てはまるアドバイスだと思う。


Wikipediaより


5/13/2024

忘れられない一言 70

  3月にMGHで初の遺伝子加工されたブタ→ヒトの異種腎移植を受けたRick Slaymanさんが亡くなっていたことが、5月12日に報じられた。医師は腎グラフトが2年はもつつもりでいたし、入院時に拒絶反応がみられたものの回復し、退院後の腎生検でも問題はなかったという。まさにsaddenedであり、ご冥福をお祈り申し上げる。

 病院は「世界中の数えきれない移植患者さん達にとって、Slaymanさんは永遠の希望の灯火(beacon of hope)であり続けるだろう」と述べた。また家族は、医師達の多大な努力と成果に感謝しつつ、移植の必要な何千の人達に希望を与えたいという「彼の希望と前向きさ(hope and optimism)は永遠に残るだろう」と述べた。

 Slaymanさんは一度移植を受けたが腎グラフトが廃絶し、(同種)再移植のめどが立たないなか、異種移植を決断したという。もし最初の移植腎がもっと長持ちしていれば、そして(同種)再移植のめどが立っていれば、あるいは移植以外の腎代替療法がもっと彼にとって快適なものであれば、決断はしなかったかもしれない。

 でも、そのどれでもなかった。そんな彼にとって異種移植は希望であったと思う。そして決断にあたっては、前向きさのほかに、勇気と(診療チームだけでなく、運命や神様も含めた)信頼も必要だったのではないか。

 米国内でも限られた施設でしか行われていないので、「ついにこんな時代が!」と言いつつ現実味がないが、「自分や家族が患者だったら」「自分の患者さんだったら」と想像すると、よりよい治療を提供する・受けるという普遍的な話として実感される。自分の診療においても、希望・前向きさ・勇気・信頼を持ちたいと思った。

 なお、4月にはLisa PisanoさんがLVADと共にブタ→ヒトの異種腎・胸腺移植を受けている。心肺停止の蘇生後であり、FDAが緊急認可して実現したため、Slaymanさんに移植された腎臓と同じeGenesis社製ではなく、United Therapeutics社製だったという。治験の始まるのは、時間の問題だろう。




忘れられない一言 69

 芥川の暮らした田端(文士村記念館があるほか、旧宅跡に記念館を建てる運動も始まっている)と、旧吉原裏にある一葉記念館とは、都バス(草64)で数駅しかはなれていないので、半日もあればどちらも見て回ることができる。

千束稲荷にある胸像(筆者撮影)
千束稲荷にある胸像(筆者撮影)

 芥川龍之介が4才の時、樋口一葉は24才で亡くなっているので、活躍した時代は別であるが、もしかすると一葉作品が龍之介が預けられた芥川家で読まれていたかもしれない。この二人を対比する人はあまりいないだろうが、二点が印象的だった。

 一つ目は、執筆環境である。芥川は、執筆環境には拘らないと言いながらも「明窓浄机(めいそうじょうき)」な書斎を求め、子供が騒げば怒鳴って黙らせた。いっぽうの一葉は吉原裏に引っ越して駄菓子屋を営む傍ら、喧騒のなか長屋の奥で執筆した。

 筆者は「なるほど明窓浄机か、よい環境は必要だな」と思ったが、一葉の環境と執念に触れて反省した。なお、当時断筆を考えていた一葉はこの時期に『琴の音』と『花ごもり』を発表し、ここでの見聞を『たけくらべ』などに活かして才能を開花させた。

 二つ目は、医療環境である。一葉は、1896年4月に結核の症状がでたものの、医師にかかったのは8月であった。作品を絶賛した森鷗外を通じて青山胤通らの診察を受けたが手遅れで、当時治療がなかったこともあり、同年11月23日この世を去った。

 なお、青山医師はその2年前に香港の疫病調査でペストにかかり生死をさまよった。Wikipediaによれば、樋口一葉はそれを聞いて「知らない人ではない仲なので、殊に哀れ」と述べていたそうだ。青山医師もまた、一葉の死に思うところがあっただろうか。

 芥川には、近所に住み「家族そろってお世話になっている」友人の主治医、下島勲がいた。しかし『或旧友への手紙』によれば2年間ばかり死ぬことばかり考えていたという芥川の「ぼんやりとした不安」は、下島医師には相談していなかったのだろう。

 その下島医師は、なんと芥川を看取っている。医師にとって、患者が自殺するほどショッキングなことも、そうそうない。きっと当時の感慨を記したものがあるのだろうが、思うところがあったと思われる。

 それにしても、絵画や音楽と違って言葉で伝えるはずの文学に、言葉では伝えられないものを伝えることができるというのは、興味深いことである。最後に、前述の一葉作『花ごもり』にある、お新という登場人物のこんなセリフを紹介する(現代仮名遣いに改めたもの)。

 うき世というものの力はいかほどの物やら目には見えねど、かなしきも嬉しきも我が手業にあたわぬこととあきらめぬる身は、つらき時はつらき時の来たりぬと思い、嬉ししき時は嬉しきとおもう、そのほかには何ともなされぬではござりませぬか


フォニックス入門2、母音

  母音の初段階は、aiueoを「ア・イ・ウ・エ・オ」と読むローマ字を越えること。ローマ字は短母音でしかなく、それと別に長母音の「エイ・アイ・ユー・イー・オウ」がある。これを理解しただけでも、tomatoが「トメイトウ」と、ぐっと英語っぽくなる(ただし、最初の「o」は短母音)。

 なお、長母音と短母音に関しては「final silent e」をぜひ知っておきたい。pineをローマ字で読むと「ピネ」で、長母音でよむと「パイニー」になるが、ご存じの通りこの語は「パイン」と読む(松を意味する)。

 つまり、最後のeは、発音されない。さらに、final silent eには、その前の母音を長母音にする働きがある。先ほどの例では、eがあることでpiが「パイ」になる。eを取ってしまうと、pinとなり、「ピン」となる(ピンの意味)。

 なお、「y」も「i」と同じように発音されるため、母音扱いしてよいだろう(ちなみにフランス語では、yのことを「ギリシャのi(i grec)」と言う)。

 さらに、先ほどの子音と同様に、母音にもblendとdigraphがある。blendは、quietを「ク(qu)」「アイ(i)」「エット(et)」と読むように、連続するだけである。

 digraphは、seaのように、eaで「イー」と読むようなものだ。さらに、正確にはtrigraphと言うのだろうが、aiueoに「l」「r」「gh」「w」を加えたものもある。highのighを「アイ」と読み、ballの「al」を「オー」と読むようなものだ。

 blend・diagraph・trigraphの例をアイウエオ順に挙げると:

・アで始まるもの

 アー(ar、are、er、ir、or、ur)、アイ(igh、ey)、アウ(ou、ow)、アウア(our)

・イで始まるもの

 イー(ea、ey、ie、ee)、イア(ear、eer)

・ウで始まるもの

 ウ(oo)、ウー(oo、ew、ue、ou、ui)、ウーア(oor)

・エで始まるもの

 エ(ea)、エア(air、are)、エイ(ay、ai、aigh、eigh、ey)

・オで始まるもの

 オー(au、aw、oa、oe、or、our)、オーア(oar、oor)、オイ(oy、oi)、オウ(ow、ough)

 これらを押さえると、たいていの単語は発音できるようになってしまうのが、フォニックスの凄いところである。日本にいると英会話教室でしか教えてもらえない「秘技」のような扱いの印象も受けるが、何のことはない、ネイティブは学校などでこうやって英語を学ぶと聞く。もっと広まればと記載した次第である。

 なお、文章になってもほぼ同じで、追加で知っておくべきはリエゾンくらいだろう。

 リエゾンは日本語にもなっているから「つなげる」という意味なことは多くの人が知っているだろう。フランス語で有名だが(liaisonも元はフランス語である)、英語・韓国語など他言語にもある。

 たとえば、I like yellowと言う時、likeの「k」とyellowの「y」がつながって「ky(キ)」になるので、「アイライキエロー」と聞こえる。復習になるが、likeの「e」はfinal silent eだから発音されず、前のiが「アイ」と発音されている。




フォニックス入門1、子音

 英語のつづり字と発音の関係をフォニックスと言うそうだ。とくに子供の英語教育ともなるとどこもかしこもフォニックス一色であるが、「B(ビー)、ブッ、ブッ」などと言っているだけで本当に効果があるのか?とちょっと疑問だった。

 しかし、今回その次の段階について学ぶ機会があり、効果の強力さを実感している。とくに、blend(混合)とdigraph(二重音字)という概念である。子音と母音に分けて説明する。

 blendとは、「bl」のように「b」と「l」がくっついた音。混合というよりは、立て続けに発音するものだ。語の最初にくることもあれば、途中なこともあるし、blendの「nd」のように最後にくることもある。

 母音を伴わない子音は日本語話者に発音しにくいため、「bl」が「ブル(bulu)」となってしまいがちである。これらの子音は、そのよい練習になると感じる。

 そしてdigraphとは、「二文字で(di)書く(graph)」音。「ph」のように、「p」でも「h」でもなく「f」の音になるつづり字を言う。これも、知らないと発音できない大事なものだ。

 参考までに、これらの例を挙げる。

 bl、br、ch、ck、cl、cr、ct、dr、fl、fr、ft、gh、gl、gr、kn(kは読まない)、ld、lt、lp、mb(bは読まない)、mp、nd、ng、nk、nt、ph、pl、pr、pt、rd、rf、rk、rt、sc、scr、sh、sk、sl、sk、sm、sn、sp、spr、st、str、sw、tch、th、tr、wh、wr

 他にもたくさんあるのだろうが、上記49個だけでも意外となんとかなる。かな文字の種類と同じと思えば、練習できない数ではないだろう。

 なお、子音についてはもう1点、「c」と「g」には「硬い音」と「柔らかい音」がある。「c」ならcakeやcatなどは硬く、faceやriceなどは柔らかい。「g」ならgreatやgoogleなどは難く、giantやgiraffeなどは柔らかい。